百五十一話 交差する運命
「…………、」
季節は流れて――冬。
クリスマスの足音がひたひたと聞こえてきた頃、一人の男は夜の道をとぼとぼと歩いていた。
中途半端に伸びたボサボサの黒髪。レンズに少し傷がついた黒ぶち眼鏡。
男はスマホでも見ているかのように下を向き、けれど慣れているのか、すれ違う人々の肩に一度も当たる事はない。
二十三歳。生まれも育ちも東京都。
そこそこ良い大学に在学しながらも、就職活動では上手くいかず、何十社と『ご縁がなかった』と不採用。
結局、男は内定が出ないまま今年の春に卒業となり……現在に至っていた。
「はあ……」
我慢していたため息が口から出てしまう。
高校時代から着ているダッフルコートの襟を直すと同時、白くて重い吐息が宙に消える。
男は冬の夜空を見上げ、ギュッと一度、目を瞑ってから再び歩き出す。
心も体も冷えてしまっている。
なので近くの自販機で温かいおしるこ缶を買うと、男は通りかかった公園のベンチに一人座った。
「……早く正社員の仕事を見つけないとな。せっかく父さんと母さんに大学まで出させてもらったのに、いつまでもフリーターじゃ心配をかけてしまうよ」
言って、自分の将来を真剣に考える男。
気を抜けば悲観しそうになるのをグッと抑えて、おしるこ缶に口をつけて一緒に流し込む。
しかし、ふと気づくと隣のベンチには若いカップルの姿が。
見た目と雰囲気からして大学生だろうか?
心の中で『参ったな……』と思った男は、気まずいので自分の世界に入るべく、
これまた高校時代から使っているリュックから、一冊の雑誌を取りだした。
『月刊迷Q通信・十二月号』。
男の愛読誌であるその表紙には、自身一番のファンであるパワフルな若手探索者が載っている。
今月の特集はその探索者のインタビュー記事だ。
聞き手が美人だからか、少しデレデレした感じが誌面からも伝わるが……それも彼の個性だと、男はファンとして微笑ましく思う。
「この人は本当にスゴイよな……。まだデビューして二年くらいしか経っていないのに、大きな死線を何度も越えてきたんだから」
ぶつぶつと呟きながら、男はもう何度も読んでいるその記事を読む。
隣のカップルが怪しげな眼を向けてきていても全く気づかずに、
一言一句、憧れて尊敬するその探索者の言葉を目で追っていく。
――だからこそ、『それ』に気づけたのはある意味、奇跡だった。
「!?」
ほんの一瞬、何気なく上げた視線の先。
そこには公園前の歩道を歩く、仕事帰りの中年サラリーマンの……その後ろ。
手にある雑誌の『表紙の人物に似た者』が、三十メートルほどの距離に存在していたのだ。
男はこれでもかと目を見開き、雑誌を落として固まってしまう。
見間違いかとも思ったが、その顔は表紙と瓜二つで――そして何よりも。
彼の右肩には、『本人である証明』に他ならない、真っ白いミミズクが乗っていた。
「……!」
ドクドクン! と男の胸が高鳴る。
その様はまるで、スーパースターな世界的アスリートに憧れる少年。
リュックも雑誌も忘れてベンチから離れ、気づいた時には駆けだしていた。
「あ、あの! すいませんッ!」
「……ん? 何だ俺か?」
「はい、そうです! もしかしてあなたは、『ミミズクの探索者』の友葉太郎さんですよね!?」
「お、おう。その通りだけど……?」
「ホーホゥ。うちのバタローを知ってるとは良いセンスをしてるじゃないか」
突然、夜の道で興奮気味にかけられた声に。
少しだけ引く太郎と、誇らしげにファバサァ! と翼を広げるズク坊。
――やはり本物だ!
男はオホン! とせき払いをすると、目はキラキラと輝かせつつも、ほんの少しだけテンションを自制してから。
「僕はあなたの大ファンです! もし良かったら握手してもらえませんか?」
と頭を下げて、右手をススッと差し出した。
「お、おう。何か芸能人っぽくて恥ずかしいけど、握手くらいなら全然――?」
対して、太郎が差し出された右手を握ろうとした瞬間。
なぜか男は小さな声で「あっ」と言うと、急に出していた右手を引っ込めた。
そして焦った様子で、今度はペコペコと謝りながら、すぐに反対の左手を差し出す。
「うん? ……ああ、今後とも『迷宮サークル』ともども応援よろしくな!」
「は、はい! もちろん応援させていただきます!」
固い握手を交わして、太郎は満足気な顔で去っていく。
「今日は冷えるなー」「早く帰ってばるたんと三人でお風呂に入るぞホーホゥ!」と、仲良さそうな会話をしながら。
男はそんな一人と一羽の背中を高揚した気分のまま見送る。
冬の寒さも忘れるくらい、憧れの存在との会話と握手は興奮の時間だった。
「……。もう一度、もう一度だけ。……僕も挑戦してみようかな」
男は引っ込めていた自分の右手を見てから、今宵はよく見える夜の星空に視線を移す。
まだ二十三歳。
ファンタジーと現実が混ざり合ったこの世界で、夢を追ってもいいんじゃないか――男はそう思った。
「あの人みたいに、なれたらいいなあ……」
誰にも聞こえないその声は、乾いた冷たい風にかき消される。
東京上野にある公園前の歩道。
この時、そんな特別何でもないような場所で――初めて二人の男の運命は交差した。




