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花園で笑う  作者: 宮澤花
第2部 忍
97/211

3 距離 -4-

「でも、安心した。また、小百合の早とちりだったのね」

 お姉ちゃんは笑う。

「そのために、わざわざ?」

 忍はビックリした。お姉ちゃん、心配してくれたんだ。


 お姉ちゃんとは年も離れているし。自分はお姉ちゃんと違って、何をやってもパッとしないダメな妹だ。

 それでも、心配してくれた。それがすごく、嬉しかった。


「当たり前でしょ。実の姉妹だもの」

 お姉ちゃんは笑いかけてくれる。

「ありがとう」

 忍は心から、そう言った。


 そして、安心させたくて。

「大丈夫。昨日はちょっと、狭いところだったからかな。それだけ」

 と付け加える。

 けれど、途端に。お姉ちゃんの表情が険しくなった。

「本当に具合が悪かったの?」

 忍はしまった、と思った。逆に心配させてしまったようだ。


 あわてて、

「大したことないんだよ。寮に帰って少し休んだら、すぐ良くなったし」

 と言う。だが、お姉ちゃんの表情は変わらなかった。

「忍。もしかして、そういうこと初めてじゃないの? 保健室は? 寮母さんは知っているの?」

 厳しい声で、問い詰められる。忍は困ってしまった。


「保健室は、一度行ったけど。あの、少し休めばすぐ治るの」

 下を向く。あんまり行きたくないとは、言いにくい。

 部屋が清潔すぎて落ち着けないなんて。理由にもなっていなくて、恥ずかしい。


「忍。病院に行かなくちゃダメよ」

 お姉ちゃんは厳しい声で言う。そういう言い方をすると、ママにそっくりだ。

 忍は困った。病院に行ってもムダだ。だって、あの不調は。お祖母ちゃんじゃないと治せない。


 でも。そんなことを言って、どうして信じてもらえるだろう。

 お祖母ちゃんなら信じてくれる。でも。


 ママは、お祖母ちゃんの力も信じていないし。

 お姉ちゃんだって、みんなの前で露骨にお祖母ちゃんをバカにするようなことはしないけど、本当は。

 あまり、信じていないんじゃないか。そう思うことがある。


 お祖母ちゃんでさえそうなのに。どうして忍を、信じてくれるだろう。 

 先生は信じてくれたけど。それが奇跡みたいなことだったのだ。


 お姉ちゃんの目をまっすぐに見られない。

 どうして。こんな風になってしまうんだろう。

 先生にすがって泣いて、ようやく安心できたのに。

 今の忍はまた、身の置き所のない思いをしている。


「本当に、そんなんじゃないの。大丈夫。大丈夫だから」

 そんなのは厭だから。何とか誤魔化そうと、そう言って首を振る。

 けれど、お姉ちゃんは。ママと同じ顔で忍を問い詰めてくる。

「大丈夫じゃないんじゃない。ずっと続いてるんでしょう?」

「そんなことない。本当に、たまになのよ」

 忍は、目をそらす。


 お姉ちゃんはじっと忍の顔を見て。尖った刃先を抉りこむように、言う。

「今日は、小林夏希さんのことについて聞きたいと思ったんだけれど」

 忍の肩が。ビクリと震える。

「同じクラスだったんでしょう。だから、彼女についてのあなたの意見を聞きたかったの。だけど」

 お姉ちゃんの目が、厳しい。

 逃げることを許さない眼差し。

 そしてお姉ちゃんは。声を低め、耳元で囁いた。


「フェアリーって、何だか知っている?」


 その瞬間。頭が、真っ白になった。

 忍の中で、何かがはじける。高い熱が出た時のように、頭の中がぐるぐる回る。


 お茶のカップ。

 お香に火をつけようとする彩名の手。

 小林さんのショートカットの髪。後ろ姿。

 そこから立ち上る気配。

 誰かの嗤い顔。怒る顔。

 階段の踊り場で忍を追い詰める生徒たち。

 委員会の最中に漂う、腐臭のようなあの臭い。


 臭い。気分が悪くなる。

 漂白してしまいたい。

 漂白して、あの保健室みたいに清潔に、薬品の香りで塗りつぶして。


 ああ。

 ぐるぐる回る風景の中、中心にいるのは誰なのか。

 誰かが嗤っている。

 何人もで、忍を指さして嗤っている。

 いや、本当はそれはたった一人で。

 

 頭の中に渦巻くその奔流に。忍は押し流されそうになる。

 その時。

『自分の感覚を信じなさい』

 ものすごくハッキリと。頭の中で、お祖母ちゃんの声がした。


 それは、いつ聞いた言葉だったか。

 毎年のクリスマスの、短い滞在で。お祖母ちゃんの傍で教えてもらった、たくさんのことの中のひとつ。

『いつも自分の感覚を磨きあげて、信頼できるものにしておくこと。それが一番大切なことであり、全てであるんだよ』

 お祖母ちゃんのその声に。混乱していた全てが、収束していく。


 自分の感覚。

 忍の感じていること、それが語るものは。


「ダメよ」

 顔を上げ。まっすぐにお姉ちゃんの黒い瞳を見て、忍は言った。

「お姉ちゃん、ダメ。それは、良くない言葉よ」  


 何なのかは分からない。けれど、それは良くないモノだ。

 それだけはハッキリと分かる。

 小林さんや、穂乃花お姉さまの体からしていた腐臭。その全ての源になるものなのだ。

 

 それに、お姉ちゃんを近付けてはいけない。近付けたらきっと、良くないことが起きる。

「お姉ちゃん。そのことは忘れなきゃ、ダメ」

 強く言って。忍はそのまま、身を翻した。

 生徒用ロビーを飛び出す。お姉ちゃんに問い詰められたら、理由を説明できないから。呼び止められるのも無視して、一目散にその場を逃げた。



 寮の自分の部屋に飛び込んで、枕に顔を埋めて泣いた。

 どうして、こんなにも。自分と他の人との距離は遠いのか。

 いつだって逃げるしかない自分。

 何にも出来ない自分が、情けなかった。


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