3 距離 -3-
ずいぶん泣いてから、我に返って。忍はとても恥ずかしくなった。こんな風に先生の胸にすがりついて泣くなんて。恥ずかしくて顔があげられない。
「もう落ち着いたか?」
困ったような先生の声が聞こえた。忍は耳まで赤くなって、先生から離れる。
「君は少々感情的すぎる。そんな風にされては、どうしたらいいのか分からん」
「すみません」
忍は更に頭を下げた。ため息が聞こえた。
「とにかく、先ほど言ったことは忘れないように。何か気付いたら、すぐ私に報告しなさい。それから、身辺には気を付けるように」
それだけ言うと、先生は歩き始めた。少し離れてから、
「早く来なさい」
と厳しい声で言う。忍は慌てて後を追った。
先生は速足で屋上から階段に通じる扉をくぐった。忍が後を追うと、元通り厳重に鍵をかける。
「では。六時間目の授業には、ちゃんと出席しなさい」
それだけ言って、先生はさっさと階段を下りて行ってしまった。
その後ろ姿に。忍は慌てて、
「ありがとうございました」
と声をかける。
先生は、返事もしなかった。
それでも忍の胸には、信じてもらえたという温かい気持ちが残った。
教室に戻ると、ひかりちゃんが心配していた。
「大丈夫だった? 全然帰って来ないから、心配したよ」
そう言ってくれるひかりちゃんは、本当に優しいと思う。
「十津見にいじめられたんじゃない? 大丈夫?」
そんな心配は的外れだが。
忍は首を横に振って微笑んだ。
「大丈夫だよ。十津見先生、優しく話を聞いてくれたよ」
「十津見が、優しく?」
ひかりちゃんは何だか訝しげな顔をするが。先生はあんなに優しいのに、どうしてみんな分からないんだろう。と、そう思う。
「そう言えば、お姉さんが来たよ。忍のお姉さん。千草お姉さま」
ひかりちゃんは言った。
「忍に会いたいんだって。放課後、生徒用ロビーに来てだって。綺麗で優しそうなお姉さまだね。ホントは怖いって噂だけど、そうなの?」
「あー、うん」
忍は曖昧に笑った。そんなことを言われたら、お姉ちゃんは全力で否定するだろうが。
「うーんとね。お姉ちゃんは、敵に回さない方がいい人だよ。多分」
小さい時の記憶をたぐり寄せてみると。近所のいじめっ子も、年上の子供たちもみんな、お姉ちゃんには頭が上がらないようだった。お姉ちゃんを知っている上級生は、忍のことを決していじめない。それどころか、忍が同級生にいじめられたりするのを見ると。
いじめている子を諭したりさえしていた。
お姉ちゃんは女の子らしくてたおやかな人で。だから一体どうやっているのか忍には見当もつかないのだが。
とにかく、何か特別なやり方で。お姉ちゃんは他の人たちをおとなしくさせてしまう、不思議な人なのだ。
忍はひかりちゃんに礼を言い、放課後、お姉ちゃんに会いに行くことにした。
生徒用ロビーは、主に寮も部活も違う生徒同士が交流するための場所だ。
忍が行くと、もうお姉ちゃんは来ていて、窓側の日当りのいい席で缶コーヒーを飲んでいた。
「お待たせ」
忍は近寄っていって、声をかける。
「お姉ちゃん、何の用?」
お姉ちゃんは答える前に、忍に座るように身振りで示した。
忍はうなずいて、腰掛ける。百花園では、上級生と同席する時には許可なしで座ってはいけない。たとえ実の姉妹でも、校内なら同じことだ。
忍が腰を下ろすのを待って、お姉ちゃんは口を開いた。
「元気そうね」
忍はとまどった。何のことだろう。
「元気だけど」
首をかしげると、お姉ちゃんは言い訳するように微笑んだ。
「小百合がね。昨日、アンタが具合が悪そうだったって」
「小百合お姉さまが?」
忍は呟いた。
そうか。昨日の委員会の時か。
部屋を出て行くときに、忍が具合が悪そうに下を向いていたのを見たのかもしれない。




