3 距離 -1-
昼休み。寮で昼食を取った後、生徒指導室へ向かう。十津見先生と話せるのは、普段だったらとても嬉しいのに。今日は気分が沈んで、足が進まない。
恐る恐る部屋の戸をノックする。
「入りなさい」
先生の声がした。
黙って頭を下げ、中に入る。
「座りなさい」
忍は腰を下ろしたが、先生は立ったままだ。
「朝の話は本当か?」
先生の声が。上から降ってくる。
忍は。下を向いて、膝に乗せた拳を見つめている。
「君は小林夏希の死について、何かを知っているのか。どうして黙っていた」
その声が、怖くて。忍は、震える。
「知りません」
ようやく、それだけを言った。
先生は、眼鏡の奥で目を冷たく光らせる。
「だが、笹井や古川はそう思っていないようだったが?」
「あれは誤解なんです」
忍は言った。
「私、何も。本当に、知らないんです」
しばらく沈黙が落ちた。
先生は。忍の言ったことが本当かどうか、見抜こうとするように。忍をじっと見ている。
時計だけがゆっくりと、針を進めていく。
昼食を取った後の昼休みは短い。このまま、帰らせてほしい。そう思った時。
先生が口を開いた。
「笹井は、何か根拠がある様子だったな。少なくとも、君と小林の間には何かトラブルがあった。それには相違がないのではないか?」
ドキリとした。
トラブル。そういう言葉で、表していいのかは分からないけれど。
確かに、忍と、小林さんの間はうまくいっていなかった。
「それについて詳細に話しなさい」
先生は言った。
けれど、忍は返事が出来ない。
だって、あれは、とてもぼんやりしていて、ハッキリしなくて。あんなことを話して、誰が信じてくれるのだろう。
傍にいると気分が悪くなるなんて。それを悟られて、嫌われたなんて。
バカバカしすぎる。理由にもなっていない。
信じてもらえないだろう。そう思うと怖くて、言葉が出ない。
先生は、忍が何か言うのをしばらく待っていた。
そして、口を開く気がないと悟ったのか。大きくため息をついた。
「ここでは、話す気にならないのか?」
忍は先生の顔を見直す。意味が分からない。
「仕方ない。一緒に来なさい」
先生は長い脚で、サッと扉の方に移動する。
忍は時計を見た。午後の授業が始まるまで、あと五分しかなかった。
「午後の授業なら気にしなくていい。吉住先生には、君の聴取が長くなるかもしれないと言ってある」
先生は言った。
「場所を変える。知っていることは、全て話しなさい」
先生の目が、眼鏡越しに自分を見る。それに引っ張られるように。忍は、立ち上がった。
先生は校舎の階段を上に、上にと登っていった。
百花園の建物の一階は、生徒指導室や保健室、生徒用ロビーや職員室、応接室があり。二階と三階は教室。四階は、音楽室や理科室といった、特別教室になっている。
そこを通り過ぎると、後は屋上しかない。
階段から屋上に出るドアには、錠がかけられていた。先生は、内ポケットから大きな鍵を出して、それを開く。締め切られていた扉が、重そうに動いた。
「出なさい」
先生はそう言って、先に立って扉をくぐった。
屋上は明るかった。秋の青空からそそぐ日差しが眩しい。
高台にある学校の、更に一番高い場所。
ここからは、周りの家や店がまるでミニチュアみたいに見えた。遠くには海、反対側には山が見える。
風が心地よく、髪とスカートを揺らす。
先生は扉からまっすぐに歩いて行って、突き当りのフェンスのところで立ち止まった。
「ここでなら、他の人間に聞かれる心配はない。安心して話しなさい」
それで。先生が、忍が誰かに聞かれることを怖がって、生徒指導室では話せなかったのだと思っていることが分かって。
忍は泣きたくなった。
先生は、忍のことを気遣ってくれている。それなのに。
「雪ノ下?」
先生がうながす。
「本当に、何も知らないんです……」
忍は小さな声で言った。
「役に立つようなことは、何も」
その気遣いに、返せるものがない。
先生はしばらく黙って忍を見てから、言った。
「それでも、小林と何かあったのだろう? その話は出来るはずだが」
尚もためらっている忍を、先生はジロリと見て。
「雪ノ下。話しなさい」
厳しい声で、そう言った。
それが。忍の中で堰き止められていたものを、一気に崩した。
「先生」
涙をこぼしながら。
「信じてくれますか?」
忍は、先生の顔を見上げた。
急に泣き出した忍を見て、先生はちょっと驚いたような顔をして。
「どうした。落ち着きなさい」
と言いながら、不器用に肩を叩いてくれた。
その大きな手が、温かくて、安心できて。
忍は、ゆっくりと話し始めていた。




