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花園で笑う  作者: 宮澤花
第2部 忍
93/211

2 波紋 -5-

 その夜は、小林さんのお通夜だった。希望者は申し出れば出席可能だと言われた。ただ、ご両親も動揺しているので、余程親しい者以外は控えてほしい、という言葉もあった。

 忍とひかりちゃんは相談して、行かないことにした。

 小林さんと仲が良かった古川さんと星野さんは、行ったようだが。他のクラスメートも遠慮したらしかった。



 翌朝。 ひかりちゃんは委員の仕事で、先に登校した。忍は朝食の後片付けを他の一年生と一緒に手伝ってから、いつもの時間に教室に向かう。

 途中の階段で、呼びとめられた。振り返ると古川さんと星野さん、そして小林さんのルームメイトだった梅組の笹井さんの三人が立っていた。


「雪ノ下。ちょっと話があるんだけど」

 古川さんは忍をにらみつけながら言った。いつも、小林さんと一緒に忍に意地悪をして来た子だ。

 細い眉を吊り上げてにらみつけられるのが、とても苦手だった。


「何……」

 声が、小さくなった。どうしていつも自分はこうなんだろう。

 怒られる覚えがなくても、相手の方が悪くても。強い口調で言われると、大きな声が出ない。言い返せなくなってしまう。


「何じゃないよ。あんた、夏希に何したの」

 笹井さんが厳しい声で言った。 夏希というのは、小林さんの名前だ。

「小林さんが、何か……?」

 忍は小さな声で言う。


 笹井さんは更に言った。

「とぼけないでよ。こっちが聞いてるんでしょ」

 声が、とがっている。

「私たち、夏希が何であんたを気にしてるのか知らなかったんだけど。あんたみたいな地味な子、放っとけば、って何回も言ったんだけど」

 古川さんも言う。

「無理もなかったのね。白状しなさいよ。いったい、何で夏希を脅してたの」


「お、脅してた?」

 忍は仰天した。

「私、そんなことしてないよ」


「とぼけるんじゃないわよ!」

 笹井さんが怒鳴った。

「私たち、昨夜、夏希の家に行ったんだから。お母さん、泣いてたよ! 悪いと思わないの?」


「そうだよ。夏希、死んじゃったんだよ。もう、何も出来ないんだよ」

 星野さんの声が震える。目がうるんでいる。

「知ってることがあるなら、言いなよ! それともまさか、あんたが殺させたんじゃないでしょうね?!」


 忍はゾッとした。まさか、そんな。

 どうして、そんなことを言われなくちゃいけないんだろう。


「私、何も知らないし、小林さんのことは悲しいと思うけど、でも、そんな」

「嘘つきなさいよ!」

 古川さんが叫んだ。

 と思ったら、頬が痛かった。平手打ちされたらしい。

「嘘ばっかり! だったら、何でお通夜に来なかったのよ?!」


 言い返せなかった。

 そうだ。悲しかったなんて、嘘だ。

 本当は、自分は。彼女が二度と学校に来なくなって、ホッとしているのではないか。


 小林さんは、殺されたんだというのに。

 悲しんでなんかいないのだ。


「夏希のお母さんが、私たちにあの子の日記を見せてくれたのよ」

 古川さんが言った。

「はっきりしたことは書いてなかったけど。夏希、すごく悩んでたみたいだった。ヒトに言えない秘密があったみたいで」


「その中に、何度も書いてあったわよ。『あいつは知ってる。何とかして黙らせなきゃ』って。それってあんたのことでしょう、雪ノ下」

 笹井さんが細い目を怒らせて、忍をにらみつける。


 意味が分からない。混乱して、反論できない。

 ただ、首を横に振る。

「私。別に、何も」


「いい加減にしなさいよ! 夏希をあんなに傷付けて。いつまでも知らんぷり? 最低!」

 笹井さんの手が伸びる。どん、と胸を押された。

 その勢いが強かったので。忍は、踊り場から足を滑らせ、転落した。


 あっ、と思った。視界が大きく揺れる。

 時間がスローモーションになったように感じる。


 足を。ちゃんと、着かなければ。

 うまく、着地すれば、きっと。間に合う。何とかなる。

 なるけれど。

 失敗したら、落ちて、怪我して、そして。


 ああ。ダメだ、うまく、いかない……。


 その瞬間。やわらかいものに、抱きとめられた。

 顔を上げると、白いワイシャツとネクタイが見えた。すがりついた胸からは、女の子とは違う、男の人の匂いがした。

「暴力沙汰か?」

 忍の頭の上の方で。低い声が、冷たく言った。

「これ以上、警察の世話になるのは我が校としては御免だが。笹井真理絵、君は学校の評判をまた落とす気か? 君自身が警察の世話になりたいのか?」


 踊り場で。笹井さんが青い顔をしているのが見えた。

「私、別に。今のは、ほんのはずみで。雪ノ下さんが、勝手に」

「そうです。真理絵ちゃんは、助けようとしたんです」

 古川さんと星野さんが声をそろえる。


 忍は乱暴に突き放された。

 十津見先生がそこに立っていて、信用しかねると言った表情で三人を見上げていた。


「どちらにしても、階段や廊下での私語は禁止だ、笹井真理絵、古川弓香、星野志穂。暴力沙汰は更に重い処罰がある。分かっているのか?」

 それから。眼鏡をかけた目が、冷たく忍を見下ろす。

「君もだ。君は風紀委員だろう、雪ノ下忍。校内の風紀を守るべき立場の人間が、自ら規律を破ってどうする」


 忍は下を向いた。

 私語をしていたのは本当だから、返す言葉がない。大好きな先生に叱られるのは恥ずかしく、とても辛かった。


「十津見先生。そいつ、夏希の事件について知ってることがあるのに、黙っているんです」

 笹井さんの鋭い声が飛んだ。

「そうです。だから私たち、先生のところに行くように、って説得していたんです」

 古川さんの声も重なる。


 先生の目が忍をじっと見下ろす。

「雪ノ下忍。本当か?」

 忍は。力なく、首を横に振った。それ以外、何も言えない。喉が詰まって、声が出ない。


 十津見先生は、軽蔑したような表情で忍を見下ろし、冷たく言った。

「今は時間がない。始業まですぐだ。雪ノ下忍、昼休みに生徒指導室に来なさい」


 それだけ言って、先生は職員室の方へ行ってしまった。

 それで気がすんだのか。笹井さんや古川さんたちも、教室の方へ去っていく。


 忍は。とても惨めな気持ちで、ひとりその場に残された。

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