2 波紋 -5-
その夜は、小林さんのお通夜だった。希望者は申し出れば出席可能だと言われた。ただ、ご両親も動揺しているので、余程親しい者以外は控えてほしい、という言葉もあった。
忍とひかりちゃんは相談して、行かないことにした。
小林さんと仲が良かった古川さんと星野さんは、行ったようだが。他のクラスメートも遠慮したらしかった。
翌朝。 ひかりちゃんは委員の仕事で、先に登校した。忍は朝食の後片付けを他の一年生と一緒に手伝ってから、いつもの時間に教室に向かう。
途中の階段で、呼びとめられた。振り返ると古川さんと星野さん、そして小林さんのルームメイトだった梅組の笹井さんの三人が立っていた。
「雪ノ下。ちょっと話があるんだけど」
古川さんは忍をにらみつけながら言った。いつも、小林さんと一緒に忍に意地悪をして来た子だ。
細い眉を吊り上げてにらみつけられるのが、とても苦手だった。
「何……」
声が、小さくなった。どうしていつも自分はこうなんだろう。
怒られる覚えがなくても、相手の方が悪くても。強い口調で言われると、大きな声が出ない。言い返せなくなってしまう。
「何じゃないよ。あんた、夏希に何したの」
笹井さんが厳しい声で言った。 夏希というのは、小林さんの名前だ。
「小林さんが、何か……?」
忍は小さな声で言う。
笹井さんは更に言った。
「とぼけないでよ。こっちが聞いてるんでしょ」
声が、とがっている。
「私たち、夏希が何であんたを気にしてるのか知らなかったんだけど。あんたみたいな地味な子、放っとけば、って何回も言ったんだけど」
古川さんも言う。
「無理もなかったのね。白状しなさいよ。いったい、何で夏希を脅してたの」
「お、脅してた?」
忍は仰天した。
「私、そんなことしてないよ」
「とぼけるんじゃないわよ!」
笹井さんが怒鳴った。
「私たち、昨夜、夏希の家に行ったんだから。お母さん、泣いてたよ! 悪いと思わないの?」
「そうだよ。夏希、死んじゃったんだよ。もう、何も出来ないんだよ」
星野さんの声が震える。目がうるんでいる。
「知ってることがあるなら、言いなよ! それともまさか、あんたが殺させたんじゃないでしょうね?!」
忍はゾッとした。まさか、そんな。
どうして、そんなことを言われなくちゃいけないんだろう。
「私、何も知らないし、小林さんのことは悲しいと思うけど、でも、そんな」
「嘘つきなさいよ!」
古川さんが叫んだ。
と思ったら、頬が痛かった。平手打ちされたらしい。
「嘘ばっかり! だったら、何でお通夜に来なかったのよ?!」
言い返せなかった。
そうだ。悲しかったなんて、嘘だ。
本当は、自分は。彼女が二度と学校に来なくなって、ホッとしているのではないか。
小林さんは、殺されたんだというのに。
悲しんでなんかいないのだ。
「夏希のお母さんが、私たちにあの子の日記を見せてくれたのよ」
古川さんが言った。
「はっきりしたことは書いてなかったけど。夏希、すごく悩んでたみたいだった。ヒトに言えない秘密があったみたいで」
「その中に、何度も書いてあったわよ。『あいつは知ってる。何とかして黙らせなきゃ』って。それってあんたのことでしょう、雪ノ下」
笹井さんが細い目を怒らせて、忍をにらみつける。
意味が分からない。混乱して、反論できない。
ただ、首を横に振る。
「私。別に、何も」
「いい加減にしなさいよ! 夏希をあんなに傷付けて。いつまでも知らんぷり? 最低!」
笹井さんの手が伸びる。どん、と胸を押された。
その勢いが強かったので。忍は、踊り場から足を滑らせ、転落した。
あっ、と思った。視界が大きく揺れる。
時間がスローモーションになったように感じる。
足を。ちゃんと、着かなければ。
うまく、着地すれば、きっと。間に合う。何とかなる。
なるけれど。
失敗したら、落ちて、怪我して、そして。
ああ。ダメだ、うまく、いかない……。
その瞬間。やわらかいものに、抱きとめられた。
顔を上げると、白いワイシャツとネクタイが見えた。すがりついた胸からは、女の子とは違う、男の人の匂いがした。
「暴力沙汰か?」
忍の頭の上の方で。低い声が、冷たく言った。
「これ以上、警察の世話になるのは我が校としては御免だが。笹井真理絵、君は学校の評判をまた落とす気か? 君自身が警察の世話になりたいのか?」
踊り場で。笹井さんが青い顔をしているのが見えた。
「私、別に。今のは、ほんのはずみで。雪ノ下さんが、勝手に」
「そうです。真理絵ちゃんは、助けようとしたんです」
古川さんと星野さんが声をそろえる。
忍は乱暴に突き放された。
十津見先生がそこに立っていて、信用しかねると言った表情で三人を見上げていた。
「どちらにしても、階段や廊下での私語は禁止だ、笹井真理絵、古川弓香、星野志穂。暴力沙汰は更に重い処罰がある。分かっているのか?」
それから。眼鏡をかけた目が、冷たく忍を見下ろす。
「君もだ。君は風紀委員だろう、雪ノ下忍。校内の風紀を守るべき立場の人間が、自ら規律を破ってどうする」
忍は下を向いた。
私語をしていたのは本当だから、返す言葉がない。大好きな先生に叱られるのは恥ずかしく、とても辛かった。
「十津見先生。そいつ、夏希の事件について知ってることがあるのに、黙っているんです」
笹井さんの鋭い声が飛んだ。
「そうです。だから私たち、先生のところに行くように、って説得していたんです」
古川さんの声も重なる。
先生の目が忍をじっと見下ろす。
「雪ノ下忍。本当か?」
忍は。力なく、首を横に振った。それ以外、何も言えない。喉が詰まって、声が出ない。
十津見先生は、軽蔑したような表情で忍を見下ろし、冷たく言った。
「今は時間がない。始業まですぐだ。雪ノ下忍、昼休みに生徒指導室に来なさい」
それだけ言って、先生は職員室の方へ行ってしまった。
それで気がすんだのか。笹井さんや古川さんたちも、教室の方へ去っていく。
忍は。とても惨めな気持ちで、ひとりその場に残された。




