2 波紋 -1-
翌朝の目覚めは良くなかった。
なんだか、よく分からないけれどイヤな感じのする夢をたくさん見た気がして、体も頭も重かった。
お昼前に家を出て、お姉ちゃんと学校に戻った。
電車で二時間。二人とも、ほとんどしゃべらなかった。忍は小林さんの事件のことで頭がいっぱいだったし。お姉ちゃんもそのことを考えているのか、それともあの、結婚するって相手の人のことを考えているのか。とにかく、黙ったままだった。
学校の敷地に入ってからは、お姉ちゃんと別れる。百花園では、実の姉妹は一緒の寮になれない。お姉ちゃんは桜花寮、忍は柊実寮だ。
部屋に入ると、ひかりちゃんが先に着いていて、心配そうな顔で話しかけてきた。
「忍、あのニュース聞いた?」
忍はうなずいた。どのニュース、と聞き返すまでもない。ひかりちゃんも、やはりショックだったのだろう。
「何があったんだろうね」
その言葉に、忍は首を横に振る。二人とも、彼女とは親しくなかった。考えても、答えを導き出すことは出来ないだろう。
「私、ずっと考えちゃって」
ひかりちゃんは言った。
「アイツ、感じ悪いヤツだったけど。それでも、あの時ひっぱたいたりしなきゃ良かったな、って」
忍はパッと顔を上げた。それは。
「アレは、私のせいだよ。ひかりちゃんが気にすること、ない」
ひかりちゃんは首を横に振った。
「ううん。カッとなって、先に手を出したのは私だもん。私が悪かったんだよ」
忍は本当に申し訳なくなった。元はと言えば、それは全部自分と彼女のことだったのに。
それなのに、自分が。ひかりちゃんのように感じていないのに気付いて、忍は愕然とした。
気の毒だとは思う。小林さんのことは苦手だったけれど、いなくなって良かったなんて思っているわけではない。
だけど。
あの時、もっと何とか出来たのではないかとか。
もっと仲良く出来なかったのかとか。
そんな考えは、今まで一度も浮かんでこなかったのだ。
全部仕方のないこと。自分ではどうしようもなかったこと。自分のせいじゃ、ない。
そう思っていた自分に。忍は心底、ゾッとした。自分は、とても冷たい人間なのじゃないか。そんな気がした。
けれど。思い出をどんなに引っくり返してみても。
小林さんと仲良くすることなんて、出来なかったようにしか思えなかった。
「私ね。ちょっと、気になったの」
そんな自分を誤魔化すように。別のことを口にする。
「何?」
ひかりちゃんは。ドキッとしたように忍を見る。
「大したことじゃないんだけど。ネットに、小林さんの写真が、載ってたんだけど。あの……後で」
言いかけて、忍は少しためらう。殺された後、とはさすがに口に出来ない。
「通りかかった人が撮った写真」
凶行の現場写真。写っているのはほとんど、人の背中と、道路に流れ出た血と、警官ばかりだったけど。
放り出された脚と、スカートの裾が写っていたものが一枚だけあったのだ。
「制服だったみたいなの。どうして、お休みなのに制服で出かけたのかな、って」
百花園の規則は厳しい。繁華街なんか歩いていたら、それだけで問題になる。制服を見かけて、学校に通報してくる人も多い。そのたびに風紀委員は駆り出され、校則違反者を探し出すのに躍起にならなくてはならない。
制服で、繁華街を歩くなんて。親と一緒でもなければ、まずやらないことだ。
学期中は、校則で外出時も制服を着るように決められているが。それでさえ、みんな、外でこっそり着替える。
忍のお姉ちゃんは同じ日に制服で出かけて、お土産にお菓子を買ってきてくれたわけだけれど。
お姉ちゃんは別だ。お姉ちゃんならいざとなったら、十津見先生に尋問されても笑顔で切り返せる。そんな人じゃなかったら、怖くて出来ない。それくらい、大それたことなのだ。
「そうなの? それはおかしいな」
ひかりちゃんは身を乗り出してきた。
「小林さ、割と抜け目のない方だったし。校則やぶりとか、目立たないようにやるやり方を部活や寮のお姉さま方から聞いていたみたいなんだよね。そんなヘマ、やるようには思えないけどな」
忍はうなずいた。
「私も、それがおかしいと思ったの」
「でもさ。そうすると、これは」
ひかりちゃんは声をひそめる。
「百花園生を狙った無差別殺人、とか? 小林は制服を着てたから殺された。そういうこと?」
それから、気まずそうに下を向いた。
「ごめん。悪趣味だよね。クラスメートが死んだのに、こんなこと」
「ううん」
忍は力なく言った。
「私も、まだ実感がないの。間違いじゃないのかって気がする」
人が死ぬということは、忍にとって身近なことではない。
父方のお祖父ちゃんが死んだのは、忍がまだ二つの時で。
お姉ちゃんはお祖父ちゃんのことを少し覚えているみたいだけれど、忍にとっては。もの心ついた時から、写真の中にしかいない人だった。
ママの方のお祖父ちゃん、お祖母ちゃんは今も元気だ。身内に死んだ人は、他にいない。
だから、死ぬというのは。テレビや、映画や、小説の中にしかないことで。
その重さも意味も、今の忍には。まだ遠くにある、理解の出来ないものだった。




