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花園で笑う  作者: 宮澤花
第2部 忍
82/211

1 アリジゴク -1-

 十月の初め。

 雪ノ下忍は、ため息をつきながら夕方の道を歩いていた。手には、ママの実家から送ってきた梨の包み。

「彩名ちゃんの家に持って行ってちょうだい」

 と、ママは言った。

「久しぶりなんだから、ちょっとおしゃべりしてきてもいいのよ。夕ご飯は、七時くらいになるからね」

 彩名というのは、小学校の時の友達の名前だ。いや、正確に言うと、『小学校の時の友達だとママが思っている』子の名前だ。


 小さな頃は、本当に友達だった。それが変わったのは、いつからだったか。

 卒業間近には、彩名たちのグループから忍はかなり激しいいじめを受けていた。

 ママは、そのことを知らない。彩名たちは、大人の前では『いい友達』を演じたから。


 お姉ちゃんが今の学校に誘ってくれて良かった、と思う。

 姉の千草は、中高一貫、全寮制の女子校である『百花園女学院』に通っていて。

「忍も受けたらいいんじゃない? いい学校だから」

 と、言ってくれたのだ。


 本当は、パパとママは反対だったのは知っている。ママたちは、中学に上がってからお姉ちゃんがすっかり家を離れてしまった、と淋しがっていて。

「いくら有名な私立校だからって、あんなところに入れなければ良かったね」

 と、いつも言っていたから。だから、忍には受験をしてほしくなかったのだ。

「忍も、小学校からのお友だちと一緒の方がいいわよね? 地元の公立中学も、結構評判いいみたいよ」

 なんて言ったりして。


 だけど。そんな未来は、忍にとって真っ暗なものだったから。

 お姉ちゃんが受験のことを言い出してくれた時、

「行きたい。私、お姉ちゃんと同じ学校に行きたい」

 と。飛びつくように、言ったのだ。

 パパとママは何とかそれを諦めさせようと、いろんなことを言ったけど。お姉ちゃんの口添えもあり、最後は受験をさせてくれた。


 ただ、長いお休みには二人そろって必ず帰ってくるのが条件だった。

 二期制の百花園には、この時期『秋休み』がある。土日を合わせて四日間の短い休みだけれど、入学の時の条件を満たすため、忍はお姉ちゃんと一緒に帰宅している。


 重い梨の袋を見下ろして、ため息をつく。行きたくない。

 でも、行かないわけにもいかない。断る理由がなかった。

 彩名が外出していればいい。彩名のお母さんがいれば、渡して帰ろう。いなかったら……そのまま、戻ればいいだけだ。


 坂の上の、大きな家。そこが彩名の家だ。

 彩名のお父さんとお母さんは、だいぶ前に離婚している。お母さんは仕事をしている人だったから、生活には困っていない。


 チャイムを押して、しばらく待つ。

 もう帰ろうかと思った時、中から鍵を回す音がして、ドアが細く開いた。

「忍じゃん」

 しかめた眉と、白い骨ばった顔に、目ばかりが大きくて目立つ。ウエーブのかかった髪は、流行の形にセットされていて、服装も可愛い。小学校の時のままの、彩名がこちらをのぞいていた。


 口許が、意地悪く歪められる。

「帰って来てたんだ。何の用?」

 忍は、気後れする。いつもこうだ。彩名の前だと、怯えてしまう。

「梨。お母さんが、持ってけって」

 それだけ言って、紙袋を差し出した。


「ふうん」

 彩名は、いぶかしげな顔でそれを受け取る。

 それから、忍を見てもう一度、嗤った。

「入ってきなよ。久しぶりだし、話したいじゃん。アンタの学校って、どんなとこ?」


「もうすぐ夕ご飯だから。もう、帰らないと」

 小さな嘘で、抵抗する。

「いいじゃないよ。久しぶりなんだよ? アンタ、何。友だちをもっと大事にしないとダメなんだよ」

 手が伸びてくる。ブラウス越しに、強く腕を掴まれる。

 痛みに、忍は顔をしかめた。


「ほら。入って入って」

 そうして。無理矢理、引きずり込まれる。

 アリジゴクの巣に引き込まれる、虫のようだ。そんな風に、思った。


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