16 百花祭 -7-
克己さんを起こして講堂を出る。外に出ると太陽の光がひどく眩しく感じた。
大きく欠伸をする彼を見て。もう少し遠慮しても、と思うが。
その半面。この人にとっては、あれはただの女の子たちの劇に過ぎなかったのだと思われて、ちょっと安心する。妹が出ていたから。私は神経質になりすぎていたのかもしれない。
「じゃあ。そろそろやりましょうか」
私は声をかける。
克己さんはうなずいて。
「分かりました。じゃあ、校門で」
そう言って、大股に去っていく。彼は、学校から少し離れたところにある有料駐車場まで車を取りに行かなくてはいけない。
克己さんが横にいなくなると、急に不安に襲われた。本当にうまく行くのか。たくさんの人の目の中で。二人を無事に、ここから引き離すことが出来るのか? 自分がとても無謀なことをしているような気がして。遠ざかっていく背中に、すがるような視線を向けた。
いや、考えていても仕方ない。私はスマホを出し、メールを妹に打つ。
「克己さんがもう帰るから、挨拶に来て。校門で待ってるから、急いで」
まず一つ、送信。
続けて小百合に。
「例の件で薫と話したい。卓球部の屋台にいるはずだから、校門までうまく連れて来て。急いで」
これも送信。小百合ならうまくやってくれると思う。
それから。急ぎ足に校門に向かった。標的の二人より、先に校門に着いていなければ。私の最大の役目は、克己さんの車が来るまで二人を引き止めておくことだ。それに失敗したら、目も当てられない。
前庭を歩いている時に、携帯が鳴った。見ると、忍から返信だった。
『ごめん。十津見先生に呼ばれて、ちょっと裏庭に行かなくちゃいけない。北堀さん、すぐ帰っちゃうかな。ごめんなさいって言っておいて』
何だソレ。
裏庭というのは、北校舎の反対側で、教職員や来賓用の駐車場になっている場所だ。生徒が足を踏み入れることはほとんどない。何でそんなところに。
十津見、何をしてくれとるんじゃい。と言うか、人んちの妹をそんなところに呼び出して、どうするつもりだ。
どうしよう、と思った時。再び携帯が鳴る。小百合から着信だった。
「もしもし、千草? 薫、いないんだけど」
いきなり、そう言われた。
「少し前に、携帯で誰かに呼び出されて、行っちゃったんだって。なあ、今じゃないとマズいの? どうする?」
厭な予感がした。
標的の二人が。どうして、今。こんな風に、私たちの手をすり抜けて。
「薫を探して。急いで」
それだけ言って、私は電話を切る。
すぐに克己さんに連絡をした。彼は黙って私の報告を聞いていたが。
「君は二人を探して下さい。いや、あの下級生の子の方が急を要する。彼女を探して下さい。僕もすぐにそちらに戻ります」
そう、言って。今度は向こうから、電話が切れた。
その真剣な声音が。あの人もこの事態に不吉なものを感じているのだと思わせて。怖くなる。
私は身を翻した。どうしよう。どうする?
克己さんは、薫を探せと言ったけど。私の足は、裏庭へ向かう。急ぎ足になる。
忍なら、居場所が分かっている。妹の顔が見たい。安心したい。十津見の用だと言うのなら。姉の私が一緒にいたって、別に問題ないよね?
お祭りでにぎわっているのは、中庭と北校舎まで。そこから先は、何もない。
先生方の車と、植栽があるだけで。人影すら、まばらだ。
その中に。制服を着た影がある。あのシルエットは。
「忍?」
私は声をかけた。
「……お姉ちゃん」
妹が振り向いた。頼りない、途方に暮れたような顔。
忍は一人だった。十津見はいない。私は。速足に妹に向かう。
厭な予感が。私の中で、どんどんどんどん大きくなる。
妹に近付く。駐車してある車の陰になっていた忍の全身が、見える。
そして。その手が赤黒く染まっているのを見る。
悪い夢の中に迷い込んでしまったような。非現実的な光景。
私は、なおも足を進める。
自分の意志ではないように。定められた役を果たすためだけのように。操り人形のように、歩いていく。
「お姉ちゃん……私」
泣きそうな声で、妹が言う。
私はカン違いしていた。
妹は、ひとりではなかった。
彼女の足元で、血に濡れて横たわっている人影。
それは。
妖精の衣装を着た、浦上薫だった。
=第1部 千草 了=




