13 ガラスの靴の少女たち -3-
午後の授業が終わった後、四年梅組の教室をのぞきに行く。妹も大事だが、薫の方が今は急を要する。
薫は教室に戻っていた。クラスメートに呼ばれて、素直に教室の出入り口に来た。
「薫さん。少しいいかしら」
私はたずねる。
「寮で話した方がいいなら、そうするけれど。お時間はある?」
彼女は硬い表情になる。
「あの……。良かったら、ここで」
小さな声で言う。私は眉をひそめる。
これは良くない兆候だ。薫は話を短時間で、深い部分に触れることなく済まそうとしている。
「薫さん」
私は厳しい声を出す。
「学校の方がいいの? 本当に?」
薫は視線をそらした。彼女は元々、あまり強い性格ではない。
「あのう、私。お姉さまにご迷惑をかけたくないんです」
「私の心配なら結構よ。困っている妹を助けるのは姉妹としての義務だもの」
私は少し冷たく言った。
心の中では、彼女の変化に戸惑っている。
昨日は、あんなに追いつめられて、助けを求めているように見えたのに。
今の彼女は、むしろ落ち着いている。そして。
私の介入を、嫌がっている。
「じゃあ、こうしましょう」
私は言った。
「薫さん、昨日から具合が悪かったでしょう。今日は保健室で寝ていたと聞いたわ。無理して、また具合が悪くなったりしても困るから、生徒用ロビーに行きましょう」
お誘いという名の、これは強制。薫はそれ以上逆らうことはなく。カバンを持って、私について来た。
一階の生徒用ロビー。つい一週間前、ここで忍と話した。本来はあの時のように、寮が違う生徒同士が話すための場所だが。別段、同じ寮の生徒が使ってはいけないわけでもない。
奥まった席を探す。幸い、空きがあった。私は椅子に腰かけてから、薫に、
「どうぞ、おかけなさい」
と声をかける。薫はおずおずと、そこに座った。
そうしていると、いつものおとなしい彼女で。昨日のことが、嘘のように思える。
「考えたのだけれど」
私が言うと。薫はビクリ、と肩を震わせる。
「薫さん。やっぱり、大人に相談しないとダメよ。あのことは」
少し声を落とす。
「あなただけじゃない。他の子たちにも関わる、大変なことよ。校則違反とか、そういうことを言ってるんじゃない。私が心配しているのはあなたたちの体と」
ちょっとためらう。でも言わなくては。
「命よ」
ドラッグを持って死んでいた小林夏希。
刺された大森穂乃花も、同じものを持っていた。
そして、援助交際に出かけた浦上薫が持って帰ったドラッグ。
これは一つの環をなしているはずだ。
「こんなことをしていたら、あなたもいつか刺されるかもしれない。そう思わないの」
私の言葉に、薫はゆっくりと。いやいやをするように、首を横に振った。
「違うんです。大丈夫なんです。あの……あの子たちは、契約を破ったから。だから、罰せられたんです」
細い声が。理解不能なことを言う。
「契約?」
訊ねると。困ったように下を向く。
「言えません。これ以上言ったら、それも契約違反になるから」
要するに。秘密を漏らすなということか。それを破ったから、二人は刺された?
だとしたら、思い当たることがあった。
停学になった大森穂乃花。私はその理由を、援助交際の現場を押さえられたからではないかと考えていた。
援助交際と薬物使用が直結しているのなら。薬物をバラまいている者にとって、穂乃花はとても危険な存在だったはずだ。学校に援助交際のことを問い詰められているうちに、薬のことも口にしかねない。
口封じ。それが、あの事件の真相か。
じゃあ、小林夏希は?
彼女は、忍に何かを知られたと考えていた。
妹が、本当に何かを知っていたのかどうかは分からない。
けれど。もしかして、それが事件の引き金だったら?
背筋を、冷たい風が吹き抜けていくような気がする。
母の懸念は当たっているのかもしれない。
忍が本当に、この件に足を突っ込んでいるのなら。次に狙われるのは、あの子なのかもしれない。
「もう無断外出なんかしませんから。ごめんなさい。許してもらえませんか」
薫は。細い声で、ひたすら私に頭を下げる。何だか、私がこの子をいじめているみたいだ。
「バッグも……返して下さい……」
泣きそうだけど。
「ダメよ。あれは証拠よ」
私は、冷たく言わざるを得ない。
「学校か、でなかったら警察に提出して、ちゃんと事情を話さなくちゃ。あなたの、その、生理のことだって」
「大丈夫なんです」
薫は頑固な口調で繰り返した。
「大丈夫って。そんなわけがないでしょう、薫さん」
こちらもつい、声を強くしてしまう。大丈夫も何も、そのままにしておけば、月が満ちれば子供が生まれてしまうんだよ!
だが、薫は怯えなかった。同じ、頑固な表情のまま。どこか安堵したような色も浮かべて彼女はこう言ったのだ。
「もう大丈夫なんです。フェアリーが(その言葉を発音するときだけ、彼女は声を聞き取れないくらい低くした)全部、うまく片付けてくれる、って約束してくれたから。契約を守っていれば、とても優しいんです。もう何にも心配しなくていい、大丈夫だから、って言ってくれたんです」
その、満ち足りた顔。落ち着いて、誰かに頼り切っている表情に。
ようやく、私も気付いた。
彼女を寮から出してはいけなかった。
朝から、今までの間に。教室か、寮への行き帰りか、移動教室への通り道か。校内のどこかで、彼女は『薬の配布者』と接触を持ったのだ。おそらく、代わりの薬も手に入れた。
そして怯えた子猫は。
敵の膝の上でのどを鳴らす、満ち足りた子猫に戻った。
私は。またしても、後手を踏んだことを認めなくてはいけなかった。




