フツーの恋
「沢城の連絡先?知らない。おまえ、知らなかったの?」
山口の驚いた声が、不安に加速度をかける。
「俺、フラれたんですかね」
「いや、沢城の性格なら、それはきちんと言うだろ。そんな感じじゃなかったし。何か別の理由じゃない?」
「引越し先も知らないんですよ」
「実家に帰るって言ってたよ」
山口さんに言って、何故俺には言わない?
今日は絶対、タチの悪い酔っ払いになってやる、と慧太は決意する。
「実家、どこです?」
「赤塚。入社した頃は実家から通ってた」
慧太の家は同じ路線のふたつ先の駅だ。あまりの近さに絶句する。
「佐藤のおっさんと付き合うために、家、出たんじゃないの?」
焦んないでいけよ、まだ出社日はあるんだから、という山口の言葉はまた、素通りだ。
そうか、佐藤なら携帯の番号は知ってるだろう。
教えるかどうかは別として。
佐藤がひとりの時間を狙って、瑞穂の連絡先を聞きに行くと、意外なほどあっさりと11桁の数字をメモした。
「おまえに世話かけたらしいから、隠したって仕方ないしな」
表情の見えない無愛想が、更に不愉快そうな顔になる。
ありがとうございました、と離れようとすると、佐藤のほうから声が掛かった。
「来週は何日か出社するよ。切り替えの遅いヤツだから、待ってやんなよ」
不思議な言葉を聞いた気がして、慧太は佐藤の顔を見返した。
「腹が立つくらい正直な反応するな」
佐藤はそう吐き捨ててから、続けた。
「次はおまえみたいなヤツと恋愛するんだって言ってた。だから、待っててやって」
これで終わり、と顔を伏せて仕事に戻った佐藤に、ひとつ聞いてみる。
「惜しくないんですか」
「惜しくたって仕方ないだろうが。俺が言えることじゃない。あれこれ順番が違ったんだから」
動物を追い払う仕草で話を打ち切られた。
順番が違うって、わかるようなわからないような言葉だ。
ただ、佐藤は慧太が思っていたよりも、瑞穂を好きだったってことは、わかる。
待っててやって、の口調がいつもと違って穏やかだったから。
携帯電話のフラップを開いたり閉じたりしながら、慧太は自室で考える。
連絡して欲しくなくて、わざわざ言わなかったんだろうか。
楽しそうだったのに。笑ってたのに。
結論が出せないって言ってたな。
あれは、どういう意味だったんだろう。
更に鬱々と過ごした週末、慧太は友達と遊んでもまったくノリが悪く、携帯を弄り回すのにも飽きた。
電話をかけて良いのか良くないのか、誰かに指図してもらえたら良いのに。
そんなわけで、久しぶりに出社してきた瑞穂が、さわやかに朝の挨拶をしたときには、かなり逆上的に腕を掴んでしまった。
「ごめん。帰りに説明するから。営業先から戻ってくるまで、待ってる」
極まり悪そうな顔で、それでも帰りの約束ができたので、得意先を端折って回って大急ぎで帰社する。
戻った時に流通管理部のブースを覗き、席に座って仕事をする瑞穂を見つけて、安心した。
なんだか、上がったり下がったりのエレベーターにでも乗っているようだな、と慧太は自分でおかしくなる。
もう、夜に一緒に歩くことはないかも知れない、花盛りを見ていない桜坂。
歩きながら、瑞穂の話を聞く。
慧太に寂しいのだと自覚させられてから、佐藤との終わりを決意したということ。
決意したにもかかわらず、自分が納得できなくて苦しかったこと。
「だからね、津田君が気にしてくれてるだけで安心しちゃう自分が許せなかった。どんどん寄りかかっていっちゃうし、津田君の顔見ると嬉しくなっちゃうし」
横浜に出かけた日も、最後まで退職することを言おうか言うまいか迷っていたこと。
「寂しかっただけで、津田君じゃなくても良いんじゃないかって自分に確認したかったの」
「だからって、急にいなくなるか?」
「まだ出勤日あったもの。言っちゃったら連絡先聞かれると思ったし、連絡先なんか残したら、連絡待っちゃうじゃない」
ちゃんと自分と向き合いたかったの、ごめんね。
何が欲しくて何が要らないんだか、ひとりで考えたかったの。
怒った?と聞かれたら、そんなことないと答えるしかない。
歩いて行って、また、小さな階段にたどり着く。
ここで話すことも、おしまいだな。
「結論、出たの?」
階段に腰掛けながら、慧太は立ったままの瑞穂に聞いた。
慧太でなくても良かったと言われそうな、一抹の不安がある。
瑞穂はすこし泣きそうな顔で、慧太に視線を返した。
「うん、もう出てたみたい。私、まだあちこちガタガタだけど、津田君と一緒にいたい。いい?」
いい、なんて言葉じゃ足りない。ガタガタの部分も一緒に補修したい。
「とりあえず、津田君じゃない呼び方にしてくれる?」
好きな人と一緒にいたかっただけ、と瑞穂が以前言った言葉。
あの時、瑞穂はそれが普通だと言った。
「フツーの恋」なんてなくて、本当は全部普通なのかも知れない。
恋の始まりなんて、自分でコントロールはできないのだから。
腕を開いて立ち上がった慧太は、自分の肩よりも低い位置にある頭を胸に引き寄せた。
fin.
最後までおつきあいいただき、ありがとうございます。
普通の男の子の、ちょっとだけ紆余のある恋愛はいかがでしたでしょうか。
できましたら、感想などいただけると本当にありがたいです。
その後のふたりを、少しだけ付け足しました。
どうしてるかなーなんて思っていただけると、幸い。




