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第六節 氷の国①...寝坊した二人

1年目5月4日(火)

「姉様、朝ですよ。起きてください。」

 うるさい小鳥が耳元でさえずる。

「朝に強いではありませんでしたの?起きてください。」


 うるさいな、本当に。

 もう学校卒業してるし、仕事もまだ見つかってないし。何時起きようか、俺の自由だろう?


「むーん」

 腕を動かして、乗っている二匹の小鳥を振り払う。

「寝かせろ。」


「あっ...もーう。

 何で急に子供みたいに...

 姉様、朝、朝ですよ。起きてください。」

 それでも、小鳥が耳元でさえずる。


 くそーっ...

 何で意地になって俺を起こそうとするんだ?

 お前にだって、まだ学校があるのに。毎日毎日、ひとっちに来て、勝手に掃除して、料理して...俺が家を出た意味ねぇじゃん!

 大体、俺に「彼氏自慢」してくる意味が分からねぇし、そんな暇があったら、彼氏とイチャイチャして来いって...

 なのに、日課みてぇに俺の(しろ)に...


「姉様~...」

「お前なぁ~!」


 目を開けると、そこに美少女がいた。

 銀色の髪の毛、冬の妖精のような白い肌、まだ幼さが残ってる可愛らしい顔立ち...


「あぁ~...」

「姉様?」

 少女が頭を傾けて、俺を見つめる。


 いやぁ...そっか俺、「異世界」に来たんだ。

 あの()も家族贔屓なしで可愛いと思うけど、流石に髪の毛を銀色にするほど、派手なメークしてない。

 そもそも、呼び方が「姉様」である時点で、俺は気づくべきだった。


「雛枝か。」

「目が覚めた?

 おはよう、姉様。起きてください。」

「いや、寝かせろ。」


 しかし、睡魔がそれでも俺を放さない。というか、俺が「睡魔」を放さない。


「えぇ、何で?

 昨日、一番に部屋へ戻ったのに、何で一番朝が遅いの?」

「うぅ~...」

「ゾンビみたいな声を出さないで、姉様。」


 実は昨日、夜遅くまで起きてて。ようやく空いている部屋を見つけて、風呂も入らずに布団に潜ったら、「ようやく寝れる」と思いきや、守澄奈苗(このこむすめ)がまた泣き出しちゃって...お陰で、こっちはほぼ寝てねぇんだよ!

 ...気分が荒ぶっているけど、雛枝に伝える元気がない。


「今日は姉様に色んな場所に連れて行くつもりだったのに...」

 雛枝が少し沈んだ声で呟いた。


「...はぁ。」

 女の子に甘えのは、男の性か。

 肘をベッドを押して、無理矢理に体を起こす。更に両腕を高く上げて、屈伸運動...いや、口を開けずに欠伸をしただけだった。

 それでも、頭がぼんやりしてて、瞼が重く、全開きができない。


「ぅぅぅ...はよ...」

「そんなに眠いの、姉様?目が全然開いていないよ。」

「私は一人だと何でもできる人だけど、誰かと一緒に居ると途端にダメになる人ですわ。」

「うわっ、口調まで変っ!

 姉様、まだ寝ぼけてますの?」


 うん、寝ぼけてる。

 現状を理解できる程の知能まで戻ってはいるが、まだ周囲を認識できる程の知能はないみたい。

 朝低血圧な人にとって、目が覚めるから起きるまでには一時間も掛かるのですよよよ...


「ぅっ...」

「あっ、またベッドに戻った!もーう、折角起きれたのに!

 姉様ぁ、起きてください!姉様ぁ!」


 うん、起きる...

 今、起きる...


「おはよう、雛枝。」

「おはよう、姉様。

 でも、口だけじゃなく、体も起こしてください。

 朝ですよ、起きてください。」

「うん、起きる。」

「返事だけが一人前だよ!ちゃんと起きてください。」


 誰かに無理矢理引っ張り上げられた。

 再びベッドの上に座ってる状態。


「あれ?(せい)もヒスイちゃんも...」

「そうよ。皆さんは起きてますよ。

 男性陣には外に待たせていますけど。」


 気遣いどうも。

 ってことは、今、この部屋にいるのは女性のみ...


「っ!」

 とある人を見て、一気に目が覚めた。


 蝶水(ちよみ)さんだ。

 お母様が俺に付けた護衛役だ。

 昨晩の記憶が蘇り、耐え難い怒りに襲われる。


「姉様?」

「ぅぅぅ...」

 寝ぼけたふりをする。

 目を半閉じして、頭を空っぽにして、ぼーっとする。


「あれ?起きたと思ったのに、まだ寝ぼけてます?」

「起きてるよ~。」


 正確には、起きたけど、心を落ち着かせるため、一度寝ぼけた状態に戻しただけだ。

 そして、もう一度蝶水さんを見る。

 うん、美人だ。

 顔半分くらいに火傷の跡があるが、顔つきが美人だ。

 よしッ!今の俺は冷静だ。

 ...でも、眠い。


「雛枝、今日は何の予定?」

「声に全然力が入ってないね。

 どうします、姉様?無理なら、今日は休みにする?」

「休み?いいね。

 じゃ、みんなは遊んできて。バイバイ。」

「いや、違うよ、姉様!あたし達も休み。」

「雛枝達も...?」


 それは申し訳ない。

 俺が怠けたいだけで、みんながその巻き添えを食らうのは、可哀そうじゃない。


「いや、雛枝達は遊んできて。

 私は寝たいけど、折角の旅行を無駄にしたくない。

 私抜きで楽しんできて。」

「それなら、あたしも残る。姉様と一緒に居る。」

「いや、雛枝にはみんなの案内をしてほしい。」

「姉様がいないと、やる気が出ない。」

「雛枝...」


 妹なのに、言うことを聞かない奴だな。

 世界の妹達はみんな、ヒスイちゃんになればいいのに...きっと、それで世界平和になるぜ。


「え、また?」

 そんな事を考えていると、急にヒスイちゃんから声がした。

「ナナエお姉ちゃん!輝明お兄ちゃんから、前回もナナエお姉ちゃんだけ抜きでって聞いたのですか。

 本当ですか?」

「前回?」


 前回はいつの事だ?

 まだ頭がぼーっとしてて、考えが纏まらない。


「えっと、ヒスイの前の、しょくば?あの『天馬(ペガサス)の絵』が見えるところ。」

「あぁ、その時の事か。」


 ここにいないあき君があの事を、サトリのヒスイちゃんにばらしたのか?

 まぁ、バラして問題ない事だし、いつ他愛のない話のネタに使われても構わないような話だから、あき君を責める気にはならない。


「また体調を崩したのかって、輝明お兄ちゃんが...」

「あき君に『大丈夫』と伝えて。

 というより、今回は本当に悪い。

 完全にただの寝不足で、怠けたいだけだ。

 悪い。」


 寝ぼけてる頭を総動員して、ヒスイちゃんに精一杯の笑顔を見せる。

 しかし、ここでまたしても別の所から、横槍質問が来た。


「今回は『二回目』なのか?」

(せい)?」


 嬉しい事に、無口の(せい)ちゃんは俺の事になると、積極的に話しかけてくる。

 俺以外でこういう(せい)を見るのは...あ、そっか、あき君に関する時もか。

 チッ...中性的な顔をしていなかったら、あき君の呪い人形を作っていたぞ。

 いや、待って。今は「中性的」でも、将来イケメン間違いなしじゃん!やっぱ、今のうちに作っとくか?


「すーはー」

 深呼吸...

 今はあき君より、可愛い(せい)の事だけを考えよう。

 喋ると男言葉を使うけど、基本無口な「黙っていれば美人」な(せい)...いや、黙っていなくても美人か。美人すぎる(せい)にとって、男言葉使おうか使わないか、彼女の美人さの瑕となる事はないだろう。


 そういえば、「いつもの自分でいてもいい」と言ったのは俺だったっけ?

 でも、(せい)はその前からぼっちだったし...俺は何も悪くない!


「前回の合宿、僕は参加しなかったが、今日と同じ事が起きたか?」

「いや、それはちょっと誤解だよ、(せい)。」

「ん?」

「えと、敢えて言う事でもなかったから、言わなかったけど。

 前回の合宿、私、合宿先の場所で、そこの『地域魔力』に中てられて、動けなかった日があった。」

「そんな事...僕はまだ、ななえの事、なにも知らない...

 って、それじゃ、『合宿』の度に、ななえが危ないじゃないか!?」

「いや、あき君が何とかしてくれるので、その心配はもういらないわ。」

「輝明、『君』が...」


 珍しく、(せい)が難しい顔をした。

 ...ぷっ、俺、ひでぇな。

 (せい)だって、考え事ができる脳があるから、心の中とはいえ、「バカ扱い」するのは酷いよ。


「さっきも言ったけど、今回は違う。

 今回は本当に、別の理由で...」

 (せい)から視線を外して、ちらっと蝶水さんを見る。


 ...やはり、イラつきを覚える。

 何の罪もない蝶水さんには悪いが、彼女を自分の近くに居させたくない。


「だから、雛枝。お願いだから、みんなを色んな場所に連れていて、楽しませてあげて。」


「...嫌。」

 雛枝は頬を膨らませて、ぷぃっと顔を俺から背けた。


 予想通り過ぎた反応で、お姉ちゃん、泣きたい。

 とりあえず、別の話題でもして、気持ちのリセットでもしようか。

 何か話題...あっ、また昨日の夜の事を思い出してしまった。


「の、望様は?」

 自分の為にも、昨日に起こったもう一つの出来事を話題にした。

(せい)、望様はもう大丈夫?」


「て、てる...」

 何故か(せい)(ども)った。

「輝明君!と...一緒に出なかったから、まだ寝てる、かも。」


 (ども)った理由があき君、か。

 いや、待てよ?さっき、普通に一回、呼べたじゃなかった?


「ねぇ、(せい)!」

「はいっ!?」


 普通に呼ぶつもりだったけど、(せい)にも、そして俺自身にも驚くような大声を出してしまった。

 というより、威圧を感じるような声だった。


「おほん。」

 気を取り直して。

「あき君が部屋を出た時、何が起こった?」

 何故か、「絶対に何かが起こった」と確信している自分がいる。


「べ、別に大した事じゃない。」

 そう言いながら、顔を赤らめて、俺から視線を逸らす(せい)


 ちょっと、(せい)...何故、そのような、態度...

 二人の間で、何かあったのか?

 もし、(せい)とあき君の二人の間に、何か変化があったら...


「...望様は?」

 極力冷静な態度を見せ、望様の話に戻す。

 昨日から、色んな事が起こりすぎて、これ以上に嫌な思いをするような事を増やしたくない。


「ナナエお姉ちゃん。」

 ヒスイちゃんがベッドの近くに来て、俺の注意を引く為か、俺の足首に触る。

「輝明お兄ちゃんから...」

 しかし、用事はあき君からだった。

「『今朝の事は自分の不注意、上半身裸でドアを開けて、ヒカリさんをびっくりさせた』って。」


「あき君ぅううううう!」

 感情の赴くままに、多分ドアの外にいるあき君に怒鳴った。


 だから、昨日から、色んな事が起こりすぎて...ああもう!

 おのれ、あき君。俺の(しんゆう)を誘惑しやがって!

 くっ...今日の俺は本当に良くないな。

 昨晩の出来事、俺がただの「守澄奈苗」だったら、多分「怒り」より、「悲しみ」の方に感情が傾くだろう。

 しかし、今は明らかに「怒り」が勝ってる。「私」より、俺の感情の方が前面に出ている状態だ。理由は分からないか。

 睡眠不足も「怒り」が増している理由の一つとして考えられる。とにかく、今の俺に必要なのは、冷静になれる休み(じかん)だ。


「雛枝、頼む。みんなを連れて、どこか楽しい所に行って。」

「しかし、姉様...」

「それと、蝶水さんも連れていて。」


「えっ?」

 突然に名前を呼ばれて、立って待っていただけの蝶水さんが驚いた顔をして、動揺を見せた。

「お嬢の(あね)さん、私は何か、粗相を...?」


「君じゃないから、安心して。

 君の方は何も悪くない。」

「なら、どうして?

 私、組長から一応...」

「君じゃないっつってんだろうか!」


「「「「っ!」」」」


 俺のまたも急な怒鳴り声に、今度は部屋にいる全員が驚いた。

 無理もない事だと思う。守澄奈苗という女の子は基本、怒っても殆ど怒鳴らない人だったから。

 しかし、今日の朝だけで、二回も怒鳴り声をあげた。一回目はまだきちんととした理由があるけど、二回目は完全に八つ当たりだった。


 はぁ...だめだな、俺。全然冷静になれない。

 昨日はよく「自分の感情をコントロールできる」みたいな事が言えたな、ホントに。ちょっと恥ずかしいぜ。


「雛枝。」

「...はい、姉様。」


「ごめんだけど、さ。みんなを連れて、どこかに遊びに行ってくれ。

 蝶水さんも一緒に...」

 そう言って、俺は最後に一度、蝶水さんを見つめる。

「蝶水さんに悪いけど、今はその顔を見るだけで...自分がどうにかなっちまいそうだ!」

 極めて冷静に...しかし、怒りのこもった声を出してしまった。


「......」

 俺の言葉を受け取った雛枝はゆっくりと、俺のベッドから降りて、そして、とても怖い顔をした。

 その顔、おそらく今の俺と同じような顔だろう。理由の説明はできない、何となくそう思っただけだったから。


「そういう事だ。」

 そう言って、雛枝は体を回して、ヒスイちゃんと(せい)達を見つめる。

「姉様が怒っている。今日は全員、あたしと一緒に居てもらう。」


「しかし、お嬢...」

「しかしもかかしもない!」


 声を掛けようとする蝶水さん、それを一蹴にした雛枝は全身から魔力を出して、それを可視化する事で威圧感をだす。


「姉様が怒っているってことは、それはあたしも怒っていると同じ!

 これ以上、あたし達を怒らせないで!」


 背中しか見えないが、きっと雛枝はとても怖い顔をしているのだろう。

 それが俺の為だと思うと、少しうれしい気持ちになり、少しだけだが、心に落ち着きが戻ってきた。

 この子、本当に「姉様」が大事なんだな。お母様と大違いだよ。


 ふっと、ヒスイちゃんの事が目に入った。異常な程に冷静な(せい)と違って、彼女は蝶水さんと同じように、雛枝に怯えた表情を見せた。

 しかし、その同時に時々俺の方に心配そうな視線を遣る。雛枝に怯えていながらも、俺に近づこうとする素振りも見えた。


 ...サトリ、か。

 どこまで心を読まれているかは分からないが、多分全部読まれたのだろう。


 ヒスイちゃんを呼ぼう、彼女を安心させるようにしよう。

 だが、今からする事を考えると、とても申し訳ない気分になる。


「ヒスイちゃん、こっちに来て。」

「ナナエお姉ちゃーん。」


 俺に呼ばれて、こっちに駆け寄ろうとするにも、魔力を放出している雛枝に怯えて、足がすくんで動けないでいた。

 が、同じく俺の声を聞いた雛枝はそんなヒスイちゃんを見て、何を思ったか、魔力の放出を中止した。

 それでようやく、ヒスイちゃんが俺に駆け寄って、そのままの勢いで俺に飛び込んで、「私」の胸の中に顔を埋めた。


「こめんな、ヒスイちゃん。嫌なものを見せたよね。」

いいえ(うぅん)。ヒスイも同じ、お姉ちゃんと同じ。」

「同じ?」

はい(うん)、同じ。ですから、ヒスイ、分かるのです。

 ナナエお姉ちゃんの気持ち、ヒスイは分かります。

 分かります!」

「...そうか。」


 ヒスイちゃんには両親がいない。

 だから、昨晩に「母親を失った私」の気持ちが分かる。

 ...ありがたい事だ。

 ヒスイちゃんは本当に純真で、俺の事を思ってくれる優しい子。

 その「純真さ」が失われるのは、本当に勿体ないと思う。


「ごめんね、ヒスイちゃん。これから、『嘘』を吐く事を覚えようね。」

 その耳元に囁き。

 彼女に一番好かれる行為で、彼女に「悪さ」を覚えさせる。

「ヒスイちゃんは『サトリ』。今までも沢山の『嘘』を聞いてきたし、これからも沢山の『嘘』を聞く事になる。

 そして、今日のように、『私の嘘をバラさないで欲しい』と頼まれる事も増えるでしょう。」


「ナナエお姉、ちゃん...」

 ヒスイちゃんは何を言われたのか...俺が何を言っているのかが分からないって表情をした。

 それもそうだ。俺も正直、どう言えば一番、ヒスイちゃんを傷つけずに済めるのか、分からないんだ。


「慣れてしまえば、どうという事もない...と言っても、慣れて欲しくないけどね。

 ははは...」

 苦笑い。

「私は今、自分の『嘘』がヒスイちゃんにバレてしまった。

 だから、今ヒスイちゃんに『ばらさないでくれ』と頼む。

 ヒスイちゃんは私の頼み、断らないよね?」


「...はい。ナナエお姉ちゃんの為、ですもの。」

「ヒスイちゃんは良い子ですね。

 本当に...」


 ...心配になるくらい、良い子だ。


「なので、ヒスイちゃん。これからは『嘘』を吐く事を覚えよう。

 人が心の中に隠しているの嘘に気づいても、『気づいていない』ふりを覚えよう。」

「...えっ?」

「そうすれば、人から『ばらさないでくれ』と頼まれる事はない。

 頼まれなかったら、その『嘘』をいつバラしてもよくなる。」

「それでは...でも、でしたらナナエお姉ちゃんの『嘘』は?」

「頼まれたからって、人の嘘を隠し続けるのは辛いよ。自分の心が先に壊れるよ。」

「......」


 ヒスイちゃんが人の心が読めるけど、それで本当に人の心が分かるかどうかは、俺には分からない。

 心が読めるからと、きっと一人でも簡単に大人になっていくなんて、俺は思わない。

 なので、俺はヒスイちゃんに「教える」。きちんと、言葉で教える。


「いい、ヒスイ。いつだって、『嘘を吐く人の方が悪い』。

 優しい嘘とか、人の為の嘘とか...そんなの、結局のところ、嘘を吐いた人が勝手に思っているだけだ。

 嘘を吐かれた人の気持ちなんて、嘘を吐けた人が勝手に決めていい事ではない。

 私が紅葉先生を警察から匿っている事が丁度いい例だよ。

 私は、私の勝手な感情で、私の我が儘で、紅葉先生を匿った。

 それが正しい行動なのかどうか、人の為になる行為かどうか、紅葉先生の為の行いかどうか、そんなの知らないよ。私は、私の勝手で、紅葉先生を匿った。

 私の『嘘』だ。私だけの『嘘』だ。」


 いつからかは覚えていないが、決めてたんだ。

 自分が「やった」事は自分の責任で、誰にもその責任を負わせない。


「だから、ヒスイちゃん。『嘘』を吐く事を覚えよう。

 そして、疲れたら、その『嘘』をバラそう。

 嘘を吐く事は間違いだ。ヒスイちゃんはその間違いに付き合う必要はない。」

「でも、それでしたら、ヒスイ、ナナエお姉ちゃんの『嘘』もバラしていい事になります。

 良いのですか?」


「ふふ、よくないね。」

 そう言いながらも、俺は意外と楽しい気分になった。

「ヒスイちゃんが私の『嘘』をバラしたら、私が怒って、ヒスイちゃんと何日も口を聞かなくなるかもしれないね。」


「そんな、嫌ですよ。」

「でも、それが『人』だよ。

 繰り返すが、『嘘を吐く人の方が悪い』。

 嘘がばれた事で、その人がヒスイちゃんを嫌いになっても、恨んでも、そんなの、全部八つ当たりだよ。ヒスイちゃんは何も悪くない。

 ヒスイちゃんがこれから覚える『嘘』は、『嘘を吐く人達』に見つからないための、()()()()()()だ。

 自分の身を護る為の嘘だ。自分の心を護る為の嘘だ。自分の信念を護る為の嘘だ。

 嘘を吐く人と一緒に嘘を吐かなくてもいい。しかし、それが自分の為なら、一緒に嘘を吐いてもいい。」

「...よく分からないのですよ、ナナエお姉ちゃん。」

「そうね。言葉にするには、本当に難しい。

 しかし、私の心を読めても、分からなかったでしょう?」

「うん...」


 やはりなぁ。


 ヒスイちゃんは幼すぎるんだよ。

 幼いのに、「サトリ族」の生まれの所為で、人の心が読める。

 ...どす黒い大人の心が読める。


 言葉で教えても分からない事、心を読ませるだけで分かる訳がない。読んで分かるような「心」なら、俺も「説明」する必要がない。


 ヒスイちゃんのピュアなところは本当に可愛らしいが、いつの世でも、「世間知らず」は生きにくい。

 なので、これからも色々教えていくつもり。だが、今日はここまでにしよう。


「じゃ、こうしよう、ヒスイちゃん。

 暫く、待っててくれないか?」

「待つ?」

はい(えぇ)。私はいつか、みんなに伝えるので、ヒスイちゃんはただみんなより、一足先に知っただけって事で、どう?」

「え?ヒスイ、『嘘』を吐かなくていいのです?」

「ヒスイちゃんがどうしても言いたくて、言いたくてしょうがないっていうのなら、みんなに言ってもいいよ。

 どうせそのうち、私からもみんなに言うから、気に病まないで。」

「あ、はい!

 なら、ヒスイ、ナナエお姉ちゃんを待ちます!」

「ありがとう、ヒスイちゃん。

 ヒスイちゃんを妹にして、私は幸せだよ。」

「えへへ。」


 屈託のない笑顔を見せるヒスイちゃん。それを見て、少しお父様の気持ちも分かってきた。

 可愛いよね、娘って。いつまでも、自分の可愛い「おチビちゃん」でいてほしいが、その成長もまた愛くるしい。



「では、姉様。行くね。」

「うん。みんなを頼むね、雛枝。」


 みんな、渋々に俺の部屋から出ていき、心配そうに俺を見る。

 が...


「ばいばい、ナナエお姉ちゃん!」

 ヒスイちゃんだけは弾けた笑顔で、手を大きく振って俺とバイバイした。

 俺は手を小さく振って、ヒスイちゃんに微笑みを送った。


 そして、ドアが閉まった後、誰かの話声がしたが、ヒスイちゃんの「秘密です!」という楽しそうな声を聞いて、一先ず安心する事にした。

 ベッドに横たわって、二度寝。


 ...辛い事があったら、人に話すだけでも、大分楽になれる。

 認めたくない事だが、本当の事、かもしれない...

 ......

 ...


 目覚めると、ベッドの上だ。

 あぁ、そう言えば...みんなが遊びに出かけたっけ。

 今は昼かな?

 洞窟の中だと、時間が分からないが、太陽を見に行っても、昼方だと正確な時間が分からない。

 最近、薇発条(ぜんまいばね)を巻くのが面倒くさくて、俺が唯一正確な時間を知る手段である「懐中時計」がすっかり「不要品」となっていた。アンティーク物の中のアンティークという貴重品なのに、大事にできなくて、ごめん。


 昨日、お母様になんか「衝撃的」な事を教わったけど、その後の出来事がもっと「衝撃的」だったから、よく覚えてない。

 ...いや、すみません、嘘つきました。

 覚えてる。一文一句、全部覚えてる。

 昔から暗記が得意だった。というより、学齢前なのに、親父に仕込まれたな。

 俺も、あの時は天真爛漫なガキで、これでもかって程に楽しそうに学んでたな。

 その所為で、入学前から色んな事を他の子より先に知っていてしまって、入学後の学校で「神童」扱いされた。

 実際は、ただ人より先に勉強したに過ぎなかった。「天才」とか、「神童」とか、そんなんじゃなかった。


 そういえば、その頃は本当に色んなものを教え込まれたな。

 親父からは「暗記」のコツや「算数」の様々な簡単計算方法、その運用によって生まれた「暗算力」。電卓を叩くのが面倒と感じる程に得意だった。

 逆に、お袋からは「刺繍」と「生け花」など、軽く「料理」も教わったな。中学生に上がると、「こんな女の子がやるような事、やってられっか!」と、「料理」以外は恥ずかしくてやめたっけ。


 何でお袋が男の俺に「刺繍」とか教えたのだろうと、今でも思う。

 そして、ふっと思い出した。俺、ネタでメイド隊のみんなに「刺繍道具」をねだって、「ナナエ百八(予定)の秘密道具」の6番に設定してた。

 ...5番が「化粧道具」だったので、本当にノリで「刺繍道具」を頼んだ!

 別に俺自身に、そんな女々しい趣味は...

 ......

 暇だし、十何年ぶりにやってみるか。



 刺繍自体はこの世界も俺の元の世界も、手作りに関して、やり方は変わらない。ただ、大量生産になると、こっちでは「魔法」を使い、あっちでは「機械」を使う。

 もう大分慣れている「価値観の違い」だが、こっちでは「手作り」は「大量生産」の物より、圧倒的に価値が高い。魔無品(まなしひん)だから、な。


 ま、別に売り物にするつもりはない。暇だから、ただの暇つぶしでやっているだけで、「刺繍」が趣味という訳でもないし...

 ホント、ただの暇つぶし。


 しかし、一度始めてしまうと、やっぱり欲が出てしまい、人に見せても恥ずかしくないものを作りたくなるのだよねぇ。

 今は「氷の国」に来ているということで、テーマを「北極」にしようか。


 軽くペンで布の上に引き、まずは海の範囲を決める。

 次にランダムに大小バラバラな氷を幾つ描き、縫う時にはその辺りを避けるように気をつけよう。

 折角なので、空の所に月と星も書こう。太陽にすると、俺だと色々シンプルになりがちなので、夜空がいい。

 昨晩見た夜空のような...

 いやいや!流石にそこまでだと難しすぎる。針を触る事だって、一年ぶりだし、高すぎる目標はやめよう。


 ......

 ............

 ふぅ、やっぱこういう作業は全精神が集中してしまい、余計な事が考えられなくなるな。

 拘り過ぎるとストレスになるが、時々に簡単なものなら、良い気分転換かも。

 子供の頃に戻ったようで、母に褒められて、滅茶苦茶うまくなっていた事を思い出した。

 って、母?言葉使いまでが子供の頃に戻ってしまっている!

 お袋、お袋!母じゃなく、お袋!



 トントン

「ななえちゃん、起きましたか?」

 耳に馴染んだ声がドアの外から伝わってきた。


「望様?」

 みんなと一緒に行ってないの?


「入ってもいいですか?」

「えぇ、どうぞ。」


 今はパジャマだけど、普通のパジャマだ。マニアックな動物パジャマは俺の鋼の意思でメイド隊に断固拒否したし、ドエロなセクシーパジャマも俺の鋼の意思で...

 なので、大丈夫だろうと思ってたけど、入ってきた望様が俺を見て一瞬ビクッと体が跳ねて、俺も釣られて「普通のパジャマでもアウト?」と思った。


「刺繍、ですか?」

「え?」


 あ、こっちか。

 てっきりパジャマに反応したと勘ぐってしまった。

 って事は、ある程度親しい人なら、「パジャマ」はOK、か。


「ちょっとした『趣味』、ってところですかね。」

 うわっ、趣味って言っちゃった!俺、恥ずかしい奴!


「へ~、初めて知りました。刺繍、か。」

「お見せした事、ありませんでした?」

「うん。でも、ななえちゃんのイメージにびったりですね。」

「あ、ありがとう...」


 複雑...

 望様的には、これは「褒め」だろうけど、褒められた俺は何とも言えない気分だ。


「手慣れてますね。」

 言いながら、望様は俺の近くに来て、俺の作品を覗き込んできた。

「主に青色を使っていますね。」


「えぇ。デーマはここ、『氷の国』ですので。」

 実際は「北極」だが、本物の「北極」を見た事ないので、リアル感のある方に変えた。

「可愛らしい小動物とかも入れたかったのですが、ここへ来てから、お魚さんばかり見てきましたので...」


 魚を可愛く表現する力というか、そもそも可愛く想像できる力がない!

 くそぉ!想像力が足りない!俺はオタクとして失格だ!


「それでも、とてもうまいですね。

 ただの『素人の無知』かもしれないが、私的にはこの作品、プロ顔負けですよ。」

「あっはは、褒め過ぎですよ。」


 十数年もやってないのに、いきなり「プロ顔負け」はありえない。

 とはいえ...


「自分なりに拘るところも沢山ありまして...

 例えば、氷。色が白いから、ついつい手抜きしたくなるけど、氷は海の色を反射してるじゃないですか。ですから、かなり薄い青の糸で軽く周りだけ。更に月や星々の光で影もあるから、裏の方に灰色で程でもなく、白でもないとても薄い灰色の糸で、多すぎず、少なすぎず...」


 どんな事でも、褒められると、やっぱり嬉しいというか。

 その所為で、口数が多くなってしまうのは、仕様のない事だよね?


「月の方も、表面のデコボコも表現できたらいいな~、と思ってたけど、流石に難しくて。

 無理にそれをやってしまうと、ただでさえ質の低いこの布切れが、本当のゴミになってしまいます。

 自分の今の実力に、ある程度の妥協をしなきゃ...」


 あれ?俺はどのくらい喋ってた?

 長い時間、ずっと語っていたような気がする。


「ごめんなさい、望様!つまらない話に付き合わせてしまいました、よね?」

「いいえ。楽しそうに語っていたななえちゃんを見ていましたから、退屈はしてません。」

「はっ?」


 何言ってんの、この男?イケメン気取り?

 と思って振り向いたら、めっちゃカッコいいイケメン笑みが目の前に現れた。


「っ...」

 すぐに顔を背けて、その後光のついてる笑みから目を逸らす。


 やべぇ、忘れてた。

 望様って、俺の知り合いの中で一番のイケメンだ。全校女子の憧れ、ザ・イケメンの代表、唯一(せい)の隣に立っても見劣りしない超絶美形。

 そんなイケメンの笑みって、人を失神させる程の攻撃力を持つ。遠くから見つめてるだけでも、笑み一つで失神する女性を何人も見て来たじゃないか!

 なのに、こんな至近距離で「イケメン笑み」?俺が女だったら、もう死んでるところだったぞ!

 ...というか、今もドキドキしてるけど、きっとこの体が「女の子」だからというだけで、俺自身に問題はないに決まっている!


「私も妹達にぬいぐるみとか作ってるけど、ななえちゃんの刺繍を見たら、『まだまだだな』と。」

「ぅん。」

「ななえちゃんが刺繍にリアリティを拘るように、私も『材質』とかよく選んだ方がいいでしょうかな?」

「ぅん。」

「...ななえちゃん?」

「ぅん。」

「もしかして、今の私、ななえちゃんの邪魔をしてますか?」

「ぅん...えっ?」


 邪魔?何の話?


「いいえ!邪魔、してません...その...」

 何を言えばいいのかと考えながら、自分の刺繍を見たら、全然進んでない事に気がづいた。

 ...素直に、本当の事を言おう。


「ごめんなさい、望様。実はさっきから、ずっと話、聞いてませんでした。」

「あっ...それは、やはり刺繍って、かなり難しいってことですか?」

「難しいというより...繊細な作業ですので、集中してやらないと、指とか、刺してしまいます。」

「そうでしたか。悪い事をしましたね、ごめん。」

「いいえ、こちらこそ。

 話を聞いていなくて、すみません。」


 落ち着け、俺。マジで落ち着けよ、俺!

 隣にいるのは「超絶美少女」ではなく、「男」だぞ!普通に無視すればいいだけの存在なんだぞ!

 すーはーすーはー、深呼吸深呼吸。


 俺は男!

 モテない人生を過ごしてきたが、それで「男に走る」のはありえない!どんなにモテていなくても、俺の本質は「女」を求めているんだ!

 ...なんか、俺今、最低な事を考えてない?

 いや、とにかく!男の俺が、「イケメン笑み」に堕ちる事はない、ありえない!


 まずは、精神集中。心の中に、刺繍の事だけ考えるようにする。


「......」


 望様は無言で見つめてくる。


「......」


 いや、本当は分からない!

 振り向いていないので、こっちを見ているかどうか、分からない!


「......」


 ただ、無言...無言は辛い!

 もしや、見られているのか?

 そう思うと、とても刺繍に集中できない!


「......」

「ぅ」


 我慢できず、振り向いてみたら、望様が本当にこっちを見ていた事を確認してしまった。

 しかも、目が合った瞬間、またも微笑みを返してきた!


「あ、あの、望様?」

 目を合わせないように、自分の刺繍に両目でガン見する。

「見られてしまうと、気が...散ってしまいます。」


「そ、そうなのですか?

 あぁ、ごめん、気が利かなくて。

 今出て行きますね。」

「いいえ、そういう事が言いたいのではなくて!」


 とっさに出た言葉だが、後悔した。

 俺、今、俺の部屋から出て行こうとしたイケメン野郎を呼び止めてしまった。

 何やっての、俺?まるで恋してる乙女みてぇじゃねぇかよ!



「はぁ...」

 だめだ、こりゃ。

 居たらいたって、気が散る。しかし、出て行ってもらったら、罪悪感が来る。

 今日はこのまま「刺繍」を続けても、納得できる一品は出来上がらないだろう。

 そう思って、俺はやりかけの刺繍を机に置き、「刺繍道具」をバックに戻した。


「もうお終いですか?」

「えぇ。もう刺繍を続ける気分ではなくなりましたので、ここでやめます。」

「そう?結構いい作品だと思いますか。」

「ふふ、望様。『芸術家』は気まぐれなのですよ。」


 小悪魔な笑みを望様に魅せる。

 よし!いつも通りの俺だ。

 先程はやはり刺繍に集中していた所為で、少し頭がおかしくなっていた。そうに違いない!


「なら、これから何かをする予定はあります?」

「予定、ですか。」


 特にないな。

 刺繍だって、ただの思い付きで始めた事で、みんなが戻ってくるまでの暇つぶしだった。

 それをやめると、本当これから何をすればいいのか、分からないね。


「もし予定がないのなら、一緒に観光しません?」

「一緒に?」


 イケメンからの提案だが、中々悪くない提案だと思う。

 しかし、一つきになるところがある。


「そういえば、望様は何故、皆さんと一緒に出かけませんでした?」

「お恥ずかしい事に、昨日のダメージが残ってて、先まで寝ていました。」

「あぁ。」


 起きたくない俺と違って、望様は起きられなかったのか。


「...昨日のダメージ、まだ残ってます?」

 マジで「憎達磨暗殺計画」を立てるべきか?


「いいえ、もう全治しました。

 ですので、ななえちゃんを誘いました。」

「そっか。」


 この世界の人達がみんな「健康優良児」で、本当に良かった。

 ...ん、待てよ?


「ってことは、二人きり?」

「そうですね。私には他に誘える知り合いはいません。

 ななえちゃんは?」

「私にも。」


 無理に俺と繋がりを持っている人を上げると、お母様...

 ...あの顔だけ良いくそババァを誘う訳ねぇだろうか。


「二人きり、遊びに行く...男女で。」

 ひっかかるよね、ここが!

「つまり、デートですね、望様?」


「デートか。

 確かに、世間ではこういうの、デートと呼びますね。」


 へ~、素直に認めるんだ。

 思春期の男子だったら、慌てて否定するところだが、流石の大人のイケメン、いさぎがよくて、かっこいいね。


「いいのですか、望様?生徒と先生ですよ?

 世間体とか、気にしません?」

「ななえちゃんが気にするなら、やめますよ。

 私は単純にななえちゃんと一緒に観光がしたいだけ、他意はありません。

 折角の国外旅行、思い切り楽しみませんか?」

「口がうまいですね、望様。」


 邪な気持ちがないと言った後、すぐにまた「誘う」文言を口にする。

 イケメンだから許される「誘い方」なのかな?それとも、「女性を誘う」時のテンプレなテックなのかな?

 ...ま、どっちにしろ、俺もこれから暇だし。ここでみんなが帰るのを待つより、俺も遊びに行きたい。


「では、望様。中世の貴族のように、私をデートに誘ってくださいませんか?」

「『中世の貴族』?またとんでもない無茶ブリしてきましたね。」


 そもそも、「中世」に「デート」というような事があるのか?

 とか、くだらない事を考えているうちに、望様が俺の右手を取って、片膝を床に着き、そのまま俺の手の甲にキスをした。


「お嬢様、(わたくし)とデートして頂けませんか?」

「っふふ。」


 望様、それは挨拶やダンスを誘う時の作法だよ。

 でも...


「喜んで。」

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