第十一節 帰還②...父娘の力関係:跡を継がせるのが怖かった
貧乏人が夢見る「英才教育」の妄想です。
「神は沢山の物を残して、この世を後にした。それを総じて『神の遺産』と呼称するが、人は更にそれらを主に三つに分類する。
大凡動かせる物を『神の遺物』、動かせない物・または場所を『神の遺跡』と称する。そして、触れる事も、または近づく事も出来ない物を『神の遺骸』と称する。」
そう、お父様が言った。
「あれ?『太古のなんとか』ではないのですか?」
俺がずっと『太古なんとか』と思って、恐らく何度もそれを口にした。もし、それが間違いだったら、俺が凄いアホな子だった、ってことになる。
「そうではありませんように」と願い、唾を飲んで耳を傾ける。
「うん、そういう呼び方もある。
国が違えば、常識も違う事と同じ。時期を重視人は『太古』と付け、信仰ある人は『神』と付ける。
別々に考える必要は無い。」
セーフ!
でも、そういう問題?正式名称というか、統一した名称があるべきじゃないの?
「この世に数え切れないほどの『神の遺物』があり、未だに全部発見できていない『神の遺跡』がある。それらに比べて、『神の遺骸』は少なく、発見された数が手の指で数えられる。
例えば『日月』、近づこうと飛んでも、飛べば飛ぶほど、逆らえない巨大な力に押され、どんどん近づけ難くなる。最も高く飛んだ偉人でも、距離はリンゴの皮程。
誰にも目にできるのに、誰一人それに触れた事がない。」
「まぁ、無理難題でしょうね。」
その「最も高く飛んだ偉人」の名前はきっとイカロスだろう。
イカロス、イカとロースを食べるイカロス...うわぁ、くったらねぇ!サトリちゃんがここにいなくてよかった。
太陽と月を「ニチゲ」という変な呼び方するのはこの世界特有なものである。実際の太陽が月より何倍も大きいのにが、何か拘りがあるのだろうが、この世界の人達はいつもまとめて呼んでいる。
ロケットを飛ばしたら、太陽は兎も角、月には辿り着けるじゃない?魔法の盛んだこの世界では、ロケットを作れないのかな?
「『炎の大蛇』もそうだ。
ずっと地の底に潜っていて、迸る熱量を常に発している為、未だにその姿を実際目にした人はいない。通った場所の記録も、多くの研究者・探検家が確認してきたが、全貌を掴む事は出来なかった。
『蛇』と名付けているが、それはあくまで便宜上、本当の姿はまだ把握されてない。」
「実際の大きさも分からないのですか?」
「少なくとも、私達が住む日の国くらいに大きい、というのが通説だ。」
「へぇ、火の国と同じか。」
スケールが大きすぎて、驚きの感情も沸かなかった。
「実際はどのくらいに、あの『炎の大蛇』に近づかれていましたの、私達?
かなり『暑い』思いをしたが、別にダンジョンも崩れなかったし、エレベーターも普通に動作してました。
壁を突き破って襲ってくるとも思ったが、全然ありませんでした。ただの私達の勘違いだとすら思えます。」
天が落ちたり、地が崩れたりと余計な心配をする愚か者には成りたくないが、「慎重さ」が俺の特徴だ。考えすぎないように気を付けてはいるが...
「君があの日、深いダンジョンの中に居ながら、まるで日の国の暑い夏を過ごしているような、そんな気分であったんだろう。」
「はい。」
「それはいつもの『発熱』と似ているから、君は自分だけがそうだと思って、異常だと思わなかった。
加えて、その時はまだ紅葉や神月達が戦っている最中、疑問を感じる余裕はなかった。
暑さを只管に耐えて、自分の辛さより、戦いの行方を見守った。」
「言い方を変えればそうなりますが、私はただ何もしなかっただけです。」
お父様に酷く「美化」されていても、あの時の俺は本当に見ているだけの「村人A」だった。
無力、不動。戦っているみんなを止められない故に、抗わない。
無知、呆然。「炎の大蛇」を知らない故に、ギリギリまでに動かなかった。
「興奮すると、人は誰しも『熱』を感じてしまうもの。争っている最中の人は特に、緊張もまた人に『熱』を感じさせる。
その所為で、少し暑くなったところで、誰も何も思わなかったんだろう。その場にいる誰もが、その異常な暑さに気に掛けなかったんだろう。」
お父様は「だろう」という言葉を使っているが、明らかに確信している様子がその口調から窺える。それに対して、俺はうっかり気のない「はぁ...」と口にした。
「その場にいない私の言葉が信じられないか?」
「いいえ!そういう訳では...」
慌てて反論しようとしたが、言葉に詰まった。
言いたくないが、実は俺も同じ事を思っていた。「信じられない」というより、寧ろその逆だ。
きっとそうだろう、と思っている。
ただ、そう決めつけるのは良くないと思う。他の皆さんの心を勝手に決めて、みんなをバカにしているような気分だ。
しかし、それを口にしたところで、何の意味がある?認めているのに、認めたくないと、ツンデレ気取り?
二人の「俺」が俺の頭の中で喧嘩している、三人目の「俺」が裁決できずにいる。なので、俺は何も喋らない事にした。
「ふむ、成程。奈苗、そろそろ私の仕事を手伝う気はある?」
「はい!?」
いきなりすぎた質問に俺は戸惑った。
「お父様の仕事?」
「そう。」
「それは...つまり...お父様の『会社?』の仕事ですか?」
「そうだ、守澄財閥に関わる経理経営などの仕事。無事に今の歳まで生きて来れた君だ、いずれ教える予定だが、今の君を見て『もう待たなくて良いだろう』と思った。
いきなり難しい仕事をやらせる事はしない。まず私に付いて回って、仕事を憶えていく。扱いとしては『秘書』といった所か。
どうだ?少し早いが、私の仕事を手伝う気はある?」
これはアレか?伝説の、お金持ちボンボンへの「英才教育」ってヤツ?「お嬢様」だから、「ジョウジョウ」?
それはさておき、話飛んでない?先までは「炎の大蛇」の話だったのに、どうしていきなり「仕事手伝い」の話になった?
「すみません、お父様。どうやったら『仕事手伝う』という話に変わったのかを、愚かしい私の頭も理解できるように説明して頂けませんか?」
「ふむ...いや、ふっと思っただけ。乗り気に成れないのなら、この話はここで止めよう。」
「いいえ、乗り気に成れない訳ではなく、単純に理由が知りたいだけです。お願いします、教えてください。」
お嬢様っぽく「くださいませ」と言おうとしたが、止めた。役割演技するのは楽しいが、今は茶化する空気ではない。
その理由は今日の「お父様」だ、基本無表情だ!「娘」として言わせれば、「お父さん怖~い」だよ!笑顔を多めに見せてくださいよ!
...でも、何故だろう?「きっと何を言っても、怒られない」という安心感もある。気が楽で、心地よい。
「君は...良く考える人だ。
何事にもすぐに結論を出さず、『そう』と言われても『そう』と返さないで、『違うではないか?』と考える人。
先ほどの君は私が述べた『結論』に『はい』と返さなかったが、『いいえ』も言わなかった。しかも『はぁ』と曖昧な態度を取ったが、私はそんな君を『良く考える人』だと思った。」
「それだけ?それだけでしたら、私は『優柔不断な人だ』と決めつけるよ。」
「最初は他人の言葉に対しての曖昧な態度。その後、自分の事にもすぐに決められず、私に反論しようとしたが、口を閉じた。
確かに、これだけを見れば、君は『優柔不断な人だ』とも思える。」
お父様はそう言って、俺を見つめながら体を前に傾けた。両肘を膝に置き、指と指を交差して、手で口を隠した状態で頭を支える。
「でも、君がダンジョン内でした事を含めて考えれば、これらの『マイナス』の全てが『プラス』に変わる。」
「私がダンジョン内で...?」
「あの『誰もが異常だと思わない』環境の中、いち早く疑問を呈し、異常な暑さの原因を考えた。」
「あぁ、あの時の事?私はただ『暑くない?』と言っただけですが...」
魔力のない紅葉先生触っても、俺の体が拒否反応示し熱を出す事をしなかったのに、肌に感じる空気が熱い。その事に気付いた時、俺は初めて「自分が本当に熱を出しているの?」と疑った。
何せ熱を出した時、同じ「暑い」と感じても、「風の冷たさが足りない」と同時に思う筈だ。その時の「暑い」は風が「熱い」、その場合は室温が体温に近い、もしくは上回っている時だ。
なので気付いた。俺は熱を出している訳ではなく、実際その場所が暑いのだと気付いた。
「その問題発見力は素晴らしい。そして、すぐに提示する勇気もある。バカにされても怖くないという心構えが垣間見える。」
「ほ、褒め過ぎですよ、お父様!」
大した事をしていないのに、そこまで褒められるとか...ちょっと恥ずかしいじゃないか!
これは「親バカ」か?「親バカ」だよね!?
「その後、君は紅葉や神月...他の人達から『炎の大蛇』の話を聞き、逃げなきゃと思いながらも、逆方向にあるエレベーターに乗る事に強く訴えた。違う?」
「...まるでその場にいたかのように語りますね。私に『読心術』でも使いました?」
「言ったろ?『一通り早苗から聞いている』と。」
又聞きの又聞きじゃないか!全く脚色されずにお父様の耳まで辿り着いたのか、「情報」?
「その時の君は他の人と同じように、慌てて逃げようとしなかった。冷静に状況を分析し、『正しい答え』を見つけた。すぐにそれを正しいと信じて、迅速果断にそれを選んだ。
その『決断力』もまた素晴らしい。」
昔、小学校で「列車がトンネルを通るぞ!どっちの出口に逃げればいい?」の算数問題を習った所為で、その時は直感で「ただ上に向かって逃げても、燃やされる前に、または蒸殺される前に、あの複雑すぎたダンジョンを抜けられないかも」と思った。
因みに、「天井をぶち抜く」という案も考えたが、「鉱山落盤事故」の話を思い出して、口にする前に捨てた。
「他全員の意見を押し返せる説得を行い、表現力のあるところも見せた。玉藻が突然に猫になった時も、パニック状態にならずに手早い対処もできた。」
う、うわ...途切れず褒めてくる!褒め殺す気か?
「最後はエレベーターの中で他の人達の魔力に影響されて、気を失ったことは私的にはマイナスだが、その事を考えた上での行動だろう?」
「ま、まぁ...」
そう言われて思い出した。俺はその時に「複数人の男女が小さいボックスの中で、くんずほぐれつ」と、ちょっとエロい事を考えていた。そのすぐ後に、「あぁ、こりゃ...高熱出す待ったなしだな」と思った。
それを深く考えずに走り続けていたな。
「『リスクを取る』勇気のある行動ともとれる。上に立つ人にとって必要なものだ。」
「は、はは...」
何でもかんでも美化されている!恐るべき「親バカ」力。
「『お父様』だから、そう思えるのですわ。実際、私は大した事をしていません。誰もが思いつく事をしただけです。」
「いや、私は至って正当な評価をしているだけだ。貶されたいのなら言うが、君は資質があっても、そのどれもが未熟だ。」
「どれも!?」
いやいや、「幾つ」の間違いでしょう?一つくらい「立派」な点はあっただろう?
お父様、無理に自分を上に立たせようとしていない?
「例えば、エレベーターに乗る時の事。
私なら、その時にある程度回復した紅葉に、他に気絶している人達を連れて、エレベーターの通り道を使って、先に上に飛んで行かせる。そうなると、君の側に後二人...と一匹だけが残る事になる。
人口密度が下がり、その事で君が気を失わないで戻れたかもしれない、だろう?」
「...た、確かに。」
「魔法が使えないとしても、知識として憶えるべきだ。『飛行魔法』なんて、風で自分を飛ばすだけのもの。
最も、記憶喪失前の君は、いつも『魔理』の試験で満点を取っていた。記憶を失くす事を望んでない君を、『不勉強』と責めるのは不公平だろう。」
魔理とは、魔法理論。魔法に関する知識・見解など。
俺は「魔理」を「物理」の逆だと考えている。
そして、さりげなく「アンフェア」と言ったお父様だが、不思議な事に、ウザく感じられなかった。
イケメンの特権?
「どうだ、奈苗?君の考えを聞かせてくれ。」
そう言って、お父様は俺の目を見つめて、返事を待った。
これで、俺がここで「やります!」とか言ったら、経営のノウハウとか、人事管理の仕組みとか、これから色々学ぶ事になるだろう。
学ぶ羽目になるのだろう。
面倒くさいから、正直やりたくない。まだ高校生の女の子なんだから、楽に生きていたい。遊びたい。
恋がしたい訳じゃない!
...訳じゃないが、遊びたい。部活をして、修学旅行して。ダンジョン探検は懲り懲りだが、そのうち、またやる気になって、したくなるかもしれない。
なので、しょーじき断りたい。が、それでは別の問題が発生する。
断ったら、どうなるのだろう?
もしかして、これもまた「試験」なのかもしれない。
俺がここで「嫌です」とか言ったら、そのまま「継承権」を失う事も考えられる。それ程に欲しいものではないが、失うのはやっぱり嫌だな。
どうしようかな?
今苦労して、将来楽する人生を選ぶべきか、後先考えずに短い人生を思い切り楽しむべきか、それが選択だ。
「奈苗、もしや『何故、今頃?』と思っているのか?」
「えぇ、そうですね。思ってます。」
「わざわざ口にした事も、『何故?』と思っているのか?」
「えぇ、そうですよ。」体をベッドボートに寄りかかる、「まるで、元々私に『継がせようとしていなかった』みたい、ですわね。」
最初から自分の子に家業を継がせると考えている人は「お前はいずれ、私の後を継ぐ」みたいに、それを確定事項として語るが、「お父様」は俺に「選択権」を与えてくれた。俺に断る権利をくれた。
それは「今からするか?後でいいのか?」みたいな時期を決める選択肢だが、俺が理由を聞いた時、「お前は俺の子だ、それ以外の理由はない。」のような事を口にせず、きちんと「なぜ」を俺に教えてくれた。
まるで、俺を説得しようとしてるみたいだ。
「お父様は守澄財閥の当主兼創始者...考えたくありませんが、そのような人なら、きっと異性におモテでしょう。
隠し子の一人や二人、居てもおかしくない。お母様と離婚した今、その隠し子を『隠し子』で居させる必要もありません。」
冷静に自分の考えを述べ、しかし言えば言うほど、心の中でメラメラと嫉妬の炎が燃え盛る。
おのれ、イケメン金持ちめ!女の子をもっと大事にしろ!
頭も切れるみたいで、本当最悪!ばれないように工夫もできるということだ!
何でこの世に、何でも持ってる人がいるのだろう?
「私以外にも、候補者がいるのではなくて?」
眼を細くしてお父様を見つめる。挑発にも、軽蔑にもとれる目つきでお父様を見つめる。
「いや、奈苗だけだ。」
お父様は真っ直ぐに俺を見つめて、力強く断言した。
「ぇ、あぁ。」
まさかそんな風にはっきり否定されると思わなくて、俺は少し狼狽えた。
自分でも理解している事だが、俺はプライドが無駄に高い。自分の考えが否定されると、どんなに冷静な状態でも、少しは焦る。
今回も例外にならなくて、自分でも分かるほどに顔が熱くなっている。「アホな事を言った!?」と考えてしまって、恥ずかしくなっているのだろう。
「ごめんなさい、お父様。私はいけない女の子です。どうしても人を疑ってしまい、余計に考えてしまうのです。」
「人を信じる心は美しいが、私はできれば、君にそれを持ってほしくない。」
「え?」
凡そ父親が娘に掛ける言葉に思えないフレーズ、自分の耳を疑った。「あなたがいつまでもピュアのままで居て」と思うのが父親だろう?
「人を疑う心は重要だ。人を信じるのは、あくまで自分に再起不能な被害が及ばないと思った分だけでいい。」
「......」
嘘をついてはいけない。友達を信じなさい。誠実な人間になりなさい...子供の頃に教わった常識が否定されて、俺は何も言えないでいた。「お父様」の言葉を否定したいが、それが出来なくなっているほどに、中身である俺が大人すぎていた。
まだ高校生になったばかりの女の子に教えていい「現実」ではないな。「まだサンタを信じてますか?」みたいな夢を潰すような教えだ。
「君相手だと、私は説教臭くなるようだ。」
お父様は頭を押さえて、ため息をつく。「娘に疑われるのは父親として辛いものだが、娘に嘘を吐きたくない。」
そして、覚悟を決めた顔でお父様が言う、「君の考えた通り。確かに、私の女性関係はちょっと...」
「...ハ?」
この野郎、今認めやかった?女癖が悪いって、告白した?
罪の告白って、したら許される訳じゃねぇんだよ!何自慢してきてんの、この野郎!?
ってか、俺間違ってないじゃん!はっきり否定しされて...でも実は俺、間違ってない?ハァ?
「でも、弁明させてくれ!私は一度も自分から求めた事がない!あくまで相手が...」
「あー、そ」
更に「自慢」してこようとするお父様を思い切り軽蔑した目つきで見つめた。
お金持ちイケメン滅べ!高学歴イケメン滅べ!イケメン滅べ!
「泥沼のようだな。
ただ、奈苗、俺の子は君と、君の双子の妹の雛枝だけだ。他に隠し子なんていない。」
「そう、ですか。それを聞いて、私は喜ぶべきでしょうか?
とても気が晴れませんね。」
目を閉じ、お父様を見ないようにした。落ち着くまで休むつもりだが、「炎の大蛇」とか、「お父様の秘書」とか...気になってる事が多くて落ち着けない。
「何で娘とこんな話をしているのだろう?」という呟きが聞こえてくる。それを聞いて、俺も「何でその話になったのだろう?」と考えて、何故か色々バカらしく感じて、小さく笑ってしまった。
「ふふっ。お父様はとても『良くない事』をしましたが、娘の私が口出しするような事ではありません。
とにかく、お父様の子供は私と...雛枝だけですわね。」
名前を知っているが、知らない「私」の双子の妹。口にするのはまだ慣れていないだろうと思ったが、自然と呼び捨てで呼んだ。
きっと、いつもこんな風に双子妹ちゃんを呼んでいたのだろう、「私」は。どんな顔しているのだろう?
「ではつまり、実の子ではなく、他の人に継がせる可能性もある、という訳ですよね?」
まさか、まさかまさかまさか...でも...
実の子にのみ家業を継がせるという考えは今でも古くないと思うが、実力主義の人なら、或いは...
「...記憶喪失後の君は私の知らない場所で歳をとってきたのか?反抗期も飛び越えて、いきなり老年期?」
「そ、そんな事ある訳ないじゃありませんか!あははっ、もうお父様ったら。」
疑う「お父様」と焦る俺。
やはりこの男は賢い!言葉を交わせば交わす程、自分の正体が知られて行く。
そして、この男にだけは真実を教える訳にはいけないと知っているが、何故かこの男に全てを教えたい自分がいる。
「私は確かに...他の人に仕事を任せようと考えた。」
呟くように、お父様が言った。
「やっぱり...」
実力主義な人だ、この男!
「長女の君が体が弱く、いついなくなってもおかしくなかった。その所為で、私も少し、余計な事を考えた。」
「あっ」
そっか、確かに!理解した、合理的だ。
守澄奈苗という女の子がその父親の守澄隆弘より、先に死ぬ可能性はある。それを考慮して、実の娘でも、「後継ぎ」にできなかったのだろう。
でも、確かに合理的で理解できる事だが、冷血だ!家族より、仕事を取る冷血だ。
全財産を娘に注込め、この冷血漢!
「優秀な人を後継ぎに選び、婿に入れようとした。君達の誰かを...その人生を勝手に決めようとした。
君に家庭教師を付ける事ではなく、君が生きられるこの場所に共学の学園を建てたのも、そういった理由があるかもしれない。」
お父様は沈んだ声で淡々と語る。
「君の『お母様』と離婚したのも、この考えを伝えた事がきっかけだ。気性の荒い彼女が君達を連れて実家に帰り、そのまま君をも返さないつもりだった。」
疲れた声は悲しみを帯びる。男なのに、「お父様」を抱き締めてあげたいと思った。
「しかし、子供ではあるが、君はもう十分『大人』になった。
君が私より先に目を瞑るかもしれないが、それに恐れて、君を避ける事は辞めた。
誰にでも『事故』は起こり得る。
後継ぎと娘を同時に失う事に恐れて、乗り気じゃない君の『婿探し』を続ける事より、他の家庭と同じように血の繋がった実の子に、自分自身の夢を賭けよう。
それに、君も己の優秀さを私に証明した。お陰で『これは私の我儘ではなく、理性のある判断だ』と、自分を説得する事ができた。
このまま育っていけば、君はきっと私をも超えるリーダーなれるだろう。」
お父様は俺の手を握り、顔を近づけて睨むように俺を見つめた。
「私は奈苗、君に継いで欲しいんだ。
君が『欲しくない』というのなら、他の人を探そう。でも、私は君に後を継がせたいんだ。
父親としても、守澄グループの総裁としても、君が欲しい。」
「お父様...」
ここまで言われて「嫌」という人はいるのだろうか?
...きっといるのだろう、世界は広いから。
でも、俺は言えない。真摯にお願いをされたら、どんなお願いでも聞き入れてしまうのだろう、俺は。
「少し、時間を頂けませんか、お父様?きちんと考えたいのです。」
でも、やはりすぐに結論を出せずに「後回し」にした俺、優柔不断!
それに、俺は「守澄奈苗」であっても、彼女本人ではない。「守澄奈苗」として生きていこうと決めているが、真摯にお願いしてきた彼女の父親に罪悪感を覚える。
別に俺自身が何かをした訳じゃないのに、申し訳なさを感じる。
「そ、か...そうだな、急すぎる話だよな。」お父様は俺の手を放して、呼吸を整える。「なら、学校が終わった後でいいので、偶に私の仕事を手伝いに来てくれない?」
「放課後に?」
「少し娘との時間を増やしたい父親の小賢しい願いだ。叶えてくれないか、奈苗?」
「えっ、えぇ。まぁ...」
仕事の勉強と称した父娘の密会...いやいやいや。エロく考えるな、俺!
きっと、お父様は寂しかっているのだろう。その細やかな願いを叶えてやろう。
俺自身も、もしかしたら将来守澄財閥を継ぐ事になるケースを想定して、少し「仕事」について知りたいと思っている。
「では時々、お父様の所に参りますね。その代わり、一つお願いがあるのですが...」
さりげな~く条件を付けた。
いや、「さりげなく」ない、か。
「『炎の大蛇』の事だが、かなり君達に近づいていたと思う。
恐らく、後千メートル未満まで近づいているのだろう、君の思い過ごしではない。」
「え?あぁ、そういえば知りたいと思っていましたね。」
でも、もしや話を逸らされた?
「紅葉達の慌てようを目にしたのだろう?『炎の大蛇』はそれ程に危険な『遺骸』なんだ、ダンジョンの中が暑くなっただけでパニックになる人もいる。
壁が突き破られる前に、人は暑さで死ぬ。魔法を使えば、少しは持つだろうが、少しだけだ。」
「みんなの慌てる姿か。微妙に覚えていないが...
そうですか。私の考えが、本当に正しかったのですか。」
自分だけが大袈裟な訳じゃない事に安心する。他人と違っても、他人と同じでありたいと思う複雑な心。
「いや、違います、お父様!その話ではありません!」
「紅葉の事なら、早苗から聞いている。君の直属に成りたいんだそうだな。」
「え?あぁ、そうです。」
そういえば、その話もしなきゃいけなかったな。
「そのくらいは別に構わない。
私はあの屋敷自体、もう君のものだと思っている。
元はあの学園の教師でもある事、メイドに転職したくらい、人件費自体は変わらない。」
「そういうものですか?」
「ただの私立の教師ではない、紅葉は私が造った『私立一研学園』の教諭だ、教師としては世界一のレベル。」
「嘘!本当?」
彼女の授業は確かに分かりやすかった。ただ彼女自身が星よりも無愛想で、何となく教師っぽくないと思った。
「歴史ももちろん、考古学も精通して、生物学に太古の医療知識、保健の担当医の代わりも務めた事がある。
すまんが、奈苗。メイドに転職しても、彼女には教師の仕事も続けさせた。メイドの仕事を疎かにしても、紅葉に『私立一研学園』の教師でいて欲しい。
紅葉はそれ程の人物だから。」
「へぇ、そんなにすごいのですか。」
長生きした人の専売特許だな。
それにしても、えらく紅葉先生を褒めるね、お父様は。やはりタダナラヌ関係...?
「『守澄家のメイドは一般企業の社長より儲かる』という噂、あれは噂ではない。
そして、あの学園の教諭もまた同じくらいの給料をもらっている。」
「なのに、また給料上げろって?ふざけてる」とお父様が俺に聞こえないように囁いたが、俺は耳が良いらしい。
「先生達と『話し合い』をしましたか?」
「え?」
「少し、耳にしまして...」
何故かこの時、あの金髪なイケメンの顔が目に浮かぶ。
もしかしたら、あの日...俺が星の入部届を渡しに職員室に寄った時、望様から聞きだそうとした「先生(ほぼ)全員不在事件」と関わってる事かも?
「...はぁ。奈苗、大人は大変なんだ。」
「はぁ...」
はいとも、いいえともとれる返事だ。
いや、本題に戻そう。
「お父様、何も言わずに私のお願いを聞いてください。」
「条件三つ目?欲張りだな。」
「一つです、お父様!お父様が勝手に話を変えているだけです。」
強調する、「俺は悪くないからな!」と。
うっかり「炎の大蛇」と紅葉先生の話を忘れたのは自分のミスだが、それを認めたくない情けない俺のプライドが邪魔する。
それを心の隅っこに置いておいて...
「私、妹が欲しいのです。」
可愛い可愛いヒスイちゃんを自分の側に永遠に置いておきたい!
「......流石、私の娘。私の予想の斜め上に話を飛ばす。」
何故がお父様が少し困ったような表情をした。




