第十節 氷の影王③...自然災害・寒蛇の息吹
夜。
お爺様にお別れをして、適当な食事処で弁当を購入し、蝶水さんが呼んだマーナガルムに乗って游房へ戻り、中に入って水密ドアを閉じると...
「ああもうっ!くそジジイィ!」
怒りが爆発した。
「何なんの、あのジジイ!普通、血の繋がった家族にセクハラする?本当に欲情したの?実の孫娘に?!
頭おかしいじゃないの!?女の子を何だと思ってる訳?老い先短いから、何をしても良いと思ってるの!?
くったばれや!んがァ!」
せめて游房が発進するまで耐えようと思ったが、無理だった。
「蝶水さん!游房を発進してくれ。
ちょっと一階に行ってくる。」
「はいっ!
えっ、下へ何しに...?」
「すぐ戻ってくる。」
游房一階の船内寝所に入り、俺はソフトに硬い枕を取り出して、二階へ戻る。
けど、その前に...
「すー......はぁあああああああ!」
顔を枕に埋めて、力いっぱいに叫んだ。
氷の国で近々、戦争が起こる。
その事は大々的にニュースになっていないが、観光しに来た旅行客達も気づくくらいオブラートに包まれてもいなかった。
各国ですでに象徴でしかない王族。氷の国の国王陛下はそれでも戦争を止めたくて、とても同意できない違法行為をした。
その犯行を見破った俺だが、「愚かだ」と彼の願いまでをも一蹴したくはない。
だからなのだろう、俺も愚かに背伸びしようとした。
「あっ、あの...」
枕を抱えて二階に戻ると、下で奇声を上げたせいなのか、蝶水さんが心配な眼差しを送ってきた。
...恥ずかしい。
壁際の長椅子に尻を付き、隣に枕を置く。
そして、俺は蝶水さんを睨んで、
「...怒っているか。何か?」
八つ当たりをした同時に、枕に自分の拳を叩き込む。
ストレスが溜まった時、サンドバッグを滅多打ちするのが一番だが、今はグローブもないし、そもそも今は同年代の女の子よりも弱い体だ。サンドバッグを突いたら、手を痛めてしまう。
代わりに柔らかい枕を突く、叩く、ハンマーパンチ!
「このっ、このっ...このっ!」
俺はゴリラか?
......
...
游房が発進してから暫く、俺は少し冷静になれて、過去の自分を振り返れるようになった。
...恥ずかしい。
いや、恥ずかしいのは分かっていた事だから、後悔はしていない。
後悔はしていない。していないが...恥ずかしい!
「んにゃっ...」
俺は枕を抱きかかえて、自分の顔を埋めた。
そもそも俺は日の国の国籍だから、他国の氷の国に気を掛ける必要がなかった。
けど、血の繋がった母と妹が氷の国人だから。
同じ外国人のあき君が正義感を出して張り切っているから。
氷の国の若い国王陛下が人知れずの努力をしているから。
それで、俺も何かができる事があると思ってしまって、氷の国の戦争に口を挟もうとした。
その結果、いきなりお爺様のところで頓挫して、見事に第一歩で躓いた。いらん失敗体験を味わった。
「ジジィ...くそぉ...」
背伸びしようとした俺も愚かだったが、最初の一歩のところで躓かせなくてもいいじゃないか、お爺様。
...背伸びしようとした俺が、すげぇ恥ずかしい奴じゃない!
「ってか、本当に何も成せていなかったわ。」
胸を揉まれ、ジジイの唾液まみれな飴を食わされて、嫌なモノを見せつけられたのに...
...情報の開示をお願いしたら、服を脱げと言われ、何も聞けなかった。
...政府との和談の場を作るから、出席するだけでいいとお願いしたら、「隠居」の単語の繰り返しで、交渉の余地もくれなかった。
「私、何しにクソジジイのいる区へ来たのだろぅ?」
凹むわ。
自分は大した奴じゃないって分かっているけど、本当に大した奴じゃないと思い知らされるのって、すげぇ凹む。
「姉さん、こっち見て。」
蝶水さんがちょっと離れた場所から俺を呼びかけます。
まだ晩御飯も食ってないし、ちょっと元気がないが、一応視線だけを蝶水さんの方へ向けた。
「自主制作の幻影動画、『草原の王者』。」
言いながら、蝶水さんが「現!」と言って、幻惑の魔法で多くの小さな動物の幻影を作り出し、生きているかのように動かした。
「あっ、原作は群千鳥先生の同名の絵本っス。
警察に目ぇ付けられるとめんどくせぇので、姉さんも黙っててくださいね。」
慌てて自分が創った幻影を一つずつ指さして、俺に愛想笑いを見せる。
許可なく他人の作品を使ったらダメって分かるなら、しなければいいのに、なぜ俺を共犯にしようとする?
いや、それより...動画?アニメかな、この世界の?
カメラのないこの世界に映画やアニメなどの物はないと思っていたが、実はどっちもちゃんとあったのか。
「えっと、昔々、人のいない草原に...」
もぞもぞしながら自分の物入れ結界から子供向け絵本を取り出す蝶水さん、本を読みながら幻影動物達を動かす。
「兎が逃げて...あ、赤獅子も動く!」
そして、幻惑魔法によって作られた動画が始まった。
......
...
「...おしまい。」
「おー!」
一応、拍手をした。
頑張った蝶水さんに申し訳ないが、彼女が作ったアニメは素人レベルだった。
仕様上、3Dアニメになるしかないその作品だが、利点を活かせず、出場キャラ達が邪魔し合い、見せ場となるシーンでも地味な演出だった。
キャラ達も蝶水さん一人の棒演技で、動きもタイミングよくできていない。
背景音もないし、効果音もズレたり、なかったりしている。
背景はそもそもなく、幻影達が何もない中空で動き回っているように見える。
ダメダメだった。
けど、このアニメ映像?が全部彼女一人の魔力で作られたモノだと思うと...凄いと思う。
人の脳に影響を与えず、目にのみ影響を与える幻惑魔法はそれなりの魔力を消耗する。それを複数操り、長時間に魔法を続けたのなら、かなりの魔力を消耗するはずだ。
...ん?
「蝶水さんは幻惑魔法が得意だったよね?」
「ぇまあ。種族魔法は『幻像』なので。」
「そういえば...」
前に一度見たな。
あの時は魔法の余波で倒れて、印象が薄かったから、ド忘れした。
つまり、蝶水さんは種族上適性がいいから、実際消耗した魔力は俺の想像より少なく、楽に長時間に幻惑魔法を使えていた?
...楽なのか?
だめだ、分かんない!魔法を使った事がないから、実感が湧かなくて、評価できない。
それでも、蝶水さんは明らかに不慣れな事をした。理由が分からないが、俺に見せる為にした事だ。
なら、喝采を送るべきだ。
「...よく頑張りました。」
ダメだ!
こんな低レベルなアニメに高評価をあげたら、前世で見たアニメを作った方々を侮辱する事になる!
それはダメだ!許されない!俺が許さない!
「あのね、蝶水さん!」
話題を変えなきゃ!
「そういえば、どうして私に自作のアニメを見せたの?」
「...子供は動画が好きだと聞いて。」
「子供?」
聞き捨てられない単語とフレーズだ。
「私が子供だから、アニメを作って、私に見せたの?
アニメが、子供が見るものだと思ってるの?」
「姉さんは動画、嫌いっスか?」
「いや、好きよ!大好きだよ!」
「なら、よかったス。」
「あのね、蝶水さん...」
...説明するの、めんどいになった。
「姉さんに喜んで欲しくて...」
「...えっ?」
俺を喜ばせようと?
「なぜ?」
「御隠居様の事で怒っていたっスから、機嫌を直して欲しくて。」
「あー、そうなんだ。ありがとう。」
客観的に見たら、今の俺は拗ねた子供のように見えた...のかもしれない!
それで蝶水さんが俺を機嫌良くしようとしたんだろう。
理解できる。
俺もかわいい女の子が泣いたら、理由を聞かずに慰めると思う。
「姉さん、実は姉さんと御隠居様が話してた時、雛枝お嬢からの念話が来て...」
「雛枝からの念話?」
「私が昼に送った念話の用事を聞いてきたっス。」
伝言役の野郎が自殺した時の事か。
「姉さんからの用事と、姉さんが忙しいと、あの時それを伝えて切ったっスけど。
折り返スか?」
雛枝が出られなかった後、こっちも出られなかった、すれ違い通信。
折り返す?
...いや。
「いいよ、蝶水さん。後でまた雛枝から念話が来たら、出れば良い。」
「折り返さないっスか?」
「また都合悪く、雛枝が出れなかったら、急用があると勘違いさせてしまう。
雛枝は今、忙しいから。」
「そう...そうっスか。お嬢の事を大事にしてるんスね。」
「大事よ、妹だもん。」
電話の折り返しが嫌いだからと、蝶水さんに言わなくていいだろう。
それより、今後の事を考えよう。
お別れの際、お爺様に丁寧な「また後日」を告げたが、投げやりな態度だったかも。お爺様のあの態度も、見た限り、正直何度お爺様の所へ通っても、説得できない気がする。
この最初の一歩が頓挫した以上、次の一歩のAプランからZプランまで、全部無駄になった。少しでもお爺様の心を揺さぶれたら、全プランが無駄になる事もなかったか...まさか、お爺様が聞く耳持たんジジイとは思わなかった。
こうなったのは失敗経験の少なさ?全ての可能性を考えるように心掛けていたつもりだったが、ちゃんと「最悪な事態」を予想していなかったようだ。
...いや、どうだろう?
例えお爺様を順調に説得できたとしても、「次の一歩」は俺の思い描いたシナリオの通りに進むだろうか?
そもそも、俺の計画自体はどうだろう?実は甘ちゃんの「将来の夢」だったりしない?
最も理想的なのはお爺様も説得、雛枝達も説得して、氷の国の政府要人達も説得した上での「和平調停」だ。
あまりにも俺の思い通りなシナリオだっだから、最初から期待していない。
なので、代わりに要人達みんなを集めるシナリオを考えた。
お互いのことをよく知れば、気が合うようになったり、誤解はあったらソレが解けたり、それで戦争を起こそうと思わなくなる事を期待した。
もしダメだったら、顔を合わせる事によってお互いのメンバーの中に異心を抱く人を増やして、戦争を反対してもらったり。「異心を抱く人がいるじゃないか?」って、疑心暗鬼になってもらったり。これでとりあえず、戦争を遠ざけるようになると思った。
そもそも人が集まらなくて、会談が開けないとかの場合なら、まずは集まったメンバーだけで会談を開き、お互いを責め合い、次の会談の約束をさせる。そうすれば、少なくても戦争の延期が見込める。
もし、片方だけが集まった場合...
断固戦争を主張する人がいる場合...
戦争をするしかないと思う人がいる場合...
......
この二日間、俺が考えたシナリオは全部、お爺様と王様がいる前提のものだった。
両組織の中心に一番近いと思われるこの二人が会談に参加すれば、どれだけ集まりが悪くても、進行が芳しくなくても、何とかなると思った。
王様は戦争反対派だし、お爺様は俺の血縁者だから、最低でも「会談に参加」までができると思ってた。
が、お爺様に断った今、改めて自分の計画を考えてみると、まだまだ全然甘いんだと思った。
王様に断る可能性だってある。
...自分がバカみたいだ。
「お爺様のバカ。」
他人のせいにした。
「姉さん、メシ、食う?」
「...お腹すいてないもん。」
「でも、晩飯を食わないと、明日の魔力が足りなくなるっスよ。」
「魔力ないもん。そんな科学的根拠のない話、信じないもん。」
「うふふっ。」
笑い声が聞こえた。
えっ、笑われた?蝶水さんに笑われた!
「何が面白いの?」
「いや、姉さんが可愛くて。」
「かわいい?!」
俺は可愛い子ぶっていないのに、なぜ「かわいい」と言われた?
「さっきのアニメの時も思ったけど。蝶水さん、何で私に構うの?」
「私...姉さんの事、誤解してたっス。」
「誤解?」
中身が男だと「誤解」してた、とか?
それなら、誤解じゃないぞ。俺は女の子の皮を被った男だぞ。
「姉さんは雛枝お嬢と双子、だから最初は同じ性格だと思ってたっス。
けど、途中からは姉さんをすごい頭の良い女の子だと思った。御隠居様みたいに、計算高い奴だと思ったっス。」
「お爺様と一緒にしないで欲しいな。
今もお爺様みたいに思ってる?」
「今は違うっスね。今は見た目通りの小娘っス。」
「小娘!?」
「あ、小さい娘っ子の...小娘。可愛いと思ったっス。」
「バカにされてると思ったわ。
バカにしていないよね?」
「逆にビビってたっスね。
なんかすげぇ事をしたみたいだし、国王に喧嘩売るし。今日は人が目の前で死んだのに動じないし、御隠居様前にビビンないし。
どんな奴か、分かんなかったス。」
「本当に?」
そんな風に思われていたとは思わなかったなぁ。
「けど、今の姉さんを見て、そんな全部自分の考えすぎだと思った。
怒る姉さんは子供っぽくて、私らみたいに人に当たる事もしねぇっス。
実は、私は姉さんに突かれると思ったスけど、姉さんは物を突いたじゃないスか。」
「だって、人を殴りたくないし。」
殴る相手によって、ストレスの解消速度が変わるわけじゃないから。
っていうか、人を殴る趣味はない!
「それで一気に姉さんの事がかわいいって思ったス。
ずっとビクビクしてた反動もあるかもしれんスけど、今の姉さんのやる事なす事、全部可愛く思ってしまって、可愛くてしょうがないっス。」
「...誓う!
私、蝶水さんに魅了魔法を掛けてない。
魔法を使えないから、掛けれる訳がない。」
「精神系魔法の耐性は高い方っスよ。私、『幻影』使いのバタフライ族っスから。」
幻影使いのバタフライ!
...なんか、かっこいい。
「姉さん、メシ食わない?」
「姉と呼ばれてるのに、子ども扱いされているが、これ如何に?」
「ナメてる訳じゃないっスよ。食事も買ったし、した方がいいと思う。」
「ん...食欲は本当にないけど、食べておくわ。」
俺は枕を長椅子に残して、弁当の置いてるテーブルに着いた。
赤羽真緒のせいで舌が肥えているが、地元料理は楽しめるうちに楽しむものだ。
「刺身~、さしみ~。」
「姉さんは生魚好きっスか?」
「好きではないけど。
うちのメイド料理長ちゃんは何でも焼くやべぇ女だから、焼いてない料理が珍しいのよ。」
氷の国ならではの保冷剤いらずお寿司弁当...いや、刺身弁当だな。
おしょうゆに付けて、一口ッ...うん!たぶん、おいしい?
これから、どうしよう?
お爺様にノーサインを出された以上、計画は練り直しになる。けど、今は計画を練り直す気力がない。
氷の国での戦争がいつ起こるも分からない、止められる自信もない。一個人が何とかできるレベルな事じゃないのは分かっているが、ギリ関係者でも何もできないとは思いたくない。
一先ずみんなと合流しよう。
次は何をすればいいかが分からない時、何もしないというのも一手だ。望様達と合流し、遊びながら何すればいいのかを考えよう。
俺からみんなと合流しに行くのに、一日くらい掛かるから、みんなに俺の方へ来させる方が早いか。
近くに丁度いいダンジョンがあるのかな?
日の国は塔も洞窟も多いが、氷の国にはダンジョンしかない。しかも、数も少ない。
けれど、殆どのダンジョンの入口は海中にあるのが趣深い。廃墟感あるダンジョンが望ましいが、選べるほどにこの国の事を知らない。
「...っと!」
急に游房が揺らいだ。
まるで地震に遭ったかのような感覚。だが、海中で地震に遭っても同じ感覚なのか。
「窓開けるス。」
「えぇ、お願い。」
複層ガラスの中空層にあるシャッターを「窓」と呼んで正しいのだろうか?
くだらない事に頭を使っている間に、蝶水さんが游房の操縦板を使って、「窓」を開けた。
「これは...『寒蛇の息吹』にぶつかったっスね。」
「へー、そうなのか。」
ガラスの外の景色は異様だった。周りの海水が流れていない。
よく見たら、魚達も動いていない。
「凍ってるの?」
「姉さんは初めて経験っスね、これ?
寒の大蛇周辺の海で、偶に起こる自然現象っス。
游房の中でなかったら、めんどい事になったかも。」
「危ないな。
こんな急に、海の中で凍る事があるの?」
「あるっスよ。自然現象だもの。」
「予兆とかはないのか?急すぎるでしょう?」
「本当っスね。游房に乗ってよかったっス。」
自然現象に対する興味、薄っ!慣れ過ぎて、頭が麻痺してんじゃないのか?
日の国の地下も、偶に「炎蛇の通り道」と呼ばれる空洞が見つかる。「寒蛇の息吹」はアレと似たような不思議自然現象なのかな?
だとしたら、まだ説明不可能の自然現象だ。時々、海中の一部が凍ると、理由は深く考えないでおこう。
「これからどうするの?」
「警察はたぶん私らを無視するから、新入り衆を呼び寄せよう。
何日掛かるかもっスね。」
游房が凍って動けないけど、やっぱり対策があるのか。
逞しいな、この世界の住人達は。
「何日も掛かるの、イヤだよ。こんな小イベントを求めてない。」
「保存食と緊急用冷凍食材がある筈だが、私、料理した事がないっス。
味無い保存食を食うしかない。」
「時間を無駄にする事にケチ付けてるわ。
安心して。料理くらい、私はできるから。」
「姉さんは料理できるっスか?」
「材料にもよるけど...ちょっと手の込んだ料理でも作れると思うわ。」
一人暮らしの選択必修科目だから、レシピ無しでも作れる。
「それより時間!何日も掛かるの、この状況?」
「...最速で来させる。」
「催促してね。」
蝶水さんが右手を耳に近づけて、席を離れた。
刺身を一口...これから、どうしよう?
計画は練り直しになるけど、マジで新しい計画を練る気力がない。湧かない。
もういっそ諦める?他人事でしょう?俺、外国人じゃん。
...全部、お爺様が悪い。
うわー!頭使いたくねぇ!何も考えたくない!
ふて寝する人達の気持ちが分かるわ。ってか、面接に落ちた記憶が蘇る。
もう、いやだ。生きるのがツライ。
「蝶水さーん。」
蝶水さんに後ろから抱きついた。
「おう、姉さん。」
急な事なのに、強面な蝶水さんは嫌な顔をしなかった。
「ちゃんと催促もしといたから。大丈夫スよ、姉さん。」
嬉しそうな表情で、俺の頭を撫でる蝶水さん。
「子ども扱いしないで。
でも、時間つぶしに付き合って。」
「いいすけど。何する?」
「理由がなければ、私も基本...しないけど...
この国に来てから、実は私、まだ自分の水着姿しか見てない。」
男の望様は数に入れない。
「水着?魔法使わずにこの国で泳ぐの危険っスよ。」
「来るまで知らなかったもん!
それでね、蝶水さんの水着姿が見たいなーって。」
もはや意地だ。
誰でもいいから、女の子の水着姿を見る。
見て、カウントする。
「見て楽しいもんじゃないと思うっスけど、姉さんが見たいって言うんスなら...あ、お嬢?」
「雛枝?」
どうやら、雛枝からの折り返しが来たようだ。
タイミング、悪っ!
「お嬢、蝶水っス。
......
情報早いっスね。姉さんもいるので、訊いてみるっス。」
蝶水さんは一旦手を下ろした。
「姉さん、雛枝お嬢から昼と、新入りを呼んだ件について...」
「昼?もう終わった事だから、伝えても無駄でしょう。
雛枝に黙っててくれ。」
雛枝のフリをしていたら人が死んだとか、間違った伝え方をしたら責めてるみたいになる。
「いいっスか?じゃ、御隠居様に会った事も黙っとく?」
「分かってるじゃない。言わないで。
それと雛枝に『今忙しい?』って訊いて来て。望様達と合流しようと思ってるけど、雛枝は来れるかって訊いて。」
「うん。」
蝶水さんが自分の耳元に手を当てる。
「お嬢、私らと合流できる?姉さんのお仲間とも合流する予定っスけど。
......
えっ、妹?いいえ、なってないスけど。何の話?
......
のーまる?
......
えぇ。そうっスか。分かった。」
蝶水さんが手を下ろした。
「姉さん、難しいらしいっスよ。」
「そうスかぁ。」
「子供全員家に帰ったスけど、まだ親がうるさくて。」
「はぁ?」
子供が帰っただけじゃ終わらないのか?
子供を見つけてあげたのに、何で親がうるさいんだ?
「それと、姉さんに会いたい気持ちが同じだって、お嬢が...」
「え?あぁ。」
「『姉様にすっごくすっごく会いたいけど、手がどうしても離せなくて。でも姉様がすごくすごく会いたいなら、全部投げ出して会いに行きますぅ』って。」
「『ありがとう。お疲れ様です。頑張ってください』って言ってあげて。」
「...お二人は仲いいっスね。」
蝶水さんは三度目に、自分の手を耳に当てる。
もどかしいな。
伝言ゲームしてるみたいだが、日常生活だと支障を来すね。
「っと!」
言いそびれた事を思い出して、慌てて蝶水さんの手を掴んだ。
「姉さん...?
...どうしたの?」
「あ、いいやー。」
考えてみたら、大した話ではなかったと思う。
なのに慌てちゃって...俺、恥ずかしい!
「助けを呼んだ件も...えっと...雛枝に言わないで。」
「いいスけど...なんで?」
「忙しそうだったから、煩わせたくなくて...」
姉様のピンチだと知ったら、雛枝はきっといてもたってもいられなくなる。それは申し訳ない。
人は一人では生きていけない事は知ってるし、実感もしてるが、心配かけさせるのは苦手だ。
「姉さんは可愛いスな。」
「その評価の基準に些かな欠陥があるように思うわね。
兎に角、雛枝には私達が氷付けされている事を言わないで。何か適当な理由で誤魔化してください。」
「適当な?誰かを〆るとかでいい?」
「そこまでは...」
考えてみたら、人を呼ぶような用事なら、軽いものの筈がないよな。気にさせないなんて、無理かも。
「何か理由...人を呼ぶような理由なんて...」
「気にしすぎっスよ、姉さん。原始人じゃないスから、自然現象くらい大したことじゃないっスよ。」
「そういうものなの?」
そういうものかも。
自然災害がただの自然現象として見られる時代だし、またも俺の大袈裟かも。
そう思って、俺は蝶水さんの手を放して、雛枝との通話を邪魔しないことにした。
「姉さんからの伝言っス。『ありがとう。頑張って』だそうでス。
......
寒蛇の息吹にぶつけて。
はい。へい、大丈夫っス。
では...」
話終わったのか、蝶水さんは手を下ろして、俺の手の上に重ねた。
「姉さん、そろそろ放してくれる?」
「...うん。」
蝶水さんから離れた。
蝶水さんは知り合って何日も経ってない相手だが、長時間抱きついても、体は元気なままだ。
血縁者のお爺様にちょっと体を触れられただけで、すぐに体温が上がるような症状が出た。
この二つの違いは何なのだろう?
「姉さん、また動画を見るか?」
「どうが?
あ、アニメはいい、お腹いっぱいだから。」
この世界にもアニメがあると分かったから、帰って、プロが作ったアニメが見たい。
蝶水さんのアニメは本当.........専門外だ!目に悪い。
「それより水着!蝶水さんの水着姿を見せて!」
「見て、楽しい事でもないのに。」
渋々に、蝶水さんは自分の物入れ結界から女性用水着を取り出した。
中身が男の人に水着姿を強要された蝶水さんには悪いが、俺は「水でいっぱい」なこの国に来て、いつでも見れる自分の水着姿だけを見て帰国するのは嫌だ。
「...あれ?
蝶水さん、手で服を脱ぐのね?」
「ん?姉さんは手を使わないで服を脱がせるの?」
「いいや、魔法を使わないんだなーって思って。『換装』とか言って、さぁ。」
「大分前に買った水着っスから。
大きさが合わなくなって、裸になってしまったら、恥ずかしいっス。」
俺だけが手動で着替えすると思ってたが、そうじゃなかったのか。
サイズが合わなかったら、「換装」と言って魔法を使ったら、裸になるのか。どのくらいな誤差なら許されるのでしょう?
無闇に人前で魔法を使った着替えはできないね。
「蝶水さんはやはり肌が綺麗。」
顔がちょっと怖いけど、紅葉先生の裸より綺麗。
いや、比べ物にならない。
「えぇ?ありがとっス。」
流石にちょっと恥ずかしくなったのか、蝶水さんは俺に背を向けて、着替えの速度が速くなった。
着替える女の子、良い!
ごめんね、蝶水さん。ありがとう、蝶水さん!
「お爺様との嫌な記憶を、蝶水さんの水着姿で上書きしてください。」
「...うん。」
蝶水さんがバツ悪そうな顔で俺を見た。
いやいやいや、何で蝶水さんの方がそんな顔?悪いのは俺なのに。




