第5話 呼び出しの理由は、断罪ではありません
放課後の廊下を歩く足取りは、鉛のように重かった。
行き先は生徒会室。
呼び出し主は、第二王子ルーカス・アーデルハイト殿下。
(……終わりましたわ)
わたくしは心の中で十字を切った。
目立たず生きる誓いはどうした。
先日、図書室で正体不明の男子生徒を助けたのが運の尽きだ。
あれは間違いなくルーカス様だったのだ。
王族の不調を知った不敬罪か、それとも気安く触れたことへの処罰か。
重厚な扉の前に立つ。
ノックを三回。
「入りたまえ」
冷ややかな声が響く。
わたくしは覚悟を決めて扉を開けた。
広い執務室。
書類の山に埋もれるようにして、彼――ルーカス様は革張りのソファに深く沈み込んでいた。
顔色が悪い。
氷のような青い瞳が、気怠げにこちらを向く。
「失礼いたします、殿下」
最上級のカーテシーを行う。
ルーカス様はこめかみを押さえたまま、手招きをした。
「……そこへ座れ」
「は、はい?」
示されたのは、彼のすぐ隣だ。
断罪にしては距離が近い。
恐る恐る腰を下ろすと、冷たい香水の香りが漂ってきた。
「手を出せ」
「手、でございますか」
「以前、図書室でやったアレだ。……早くしろ」
命令口調だが、その声は微かに震えている。
わたくしはハッとした。
近くで見れば、額に脂汗が滲んでいるのが分かる。
不敬を問うために呼んだのではない。
彼は今、耐え難い苦痛の中にいる。
(患者様、でしたか)
なら話は別だ。
怯えている場合ではない。
わたくしは手袋を外し、彼が差し出した右手を両手で包み込んだ。
「失礼します。少し冷たいですが」
先日のように、魔力回路を開く。
鎮痛と、神経の緩和。
わたくしの魔力が温かな水流となって、彼の中へ流れ込んでいく。
ドクン、と彼の手が跳ねた。
「……っ、ぁ……」
ルーカス様が、短く息を吐き出す。
強張っていた肩の力が抜け、ソファの背もたれに崩れ落ちるように体重を預けた。
眉間の皺が消えていく。
常に張り詰めていた「氷の王子」の仮面が溶け、年相応の少年の素顔が覗く。
「……凄いな」
独り言のように彼が呟いた。
「薬も、魔道具も効かないのに。君が触れると、頭の中から灼熱が消える」
「偏頭痛はお辛いですよね。わたくしの魔力でよければ、いくらでも中和しますわ」
職業病で、つい背中をさすりそうになって止める。
相手は殿下だ。
手を離そうとした、その時だった。
ガシッ、と強い力で手首を掴まれた。
「え?」
「離すな」
ルーカス様は閉じていた目を開け、潤んだ瞳でわたくしを見上げた。
焦点が少し合っていないような、熱っぽい視線。
彼は掴んだわたくしの手を引き寄せ、あろうことか自身の頬に押し当てた。
「殿下!?」
「冷たくて、気持ちいい……。もっと、魔力を流せ」
猫が飼い主に甘えるような仕草。
冷徹と噂される第二王子の姿とは、あまりにかけ離れている。
わたくしは動揺しながらも、言われた通りに魔力を放出し続けた。
数分後。
完全に痛みが引いたらしい彼は、ゆっくりと身を起こした。
いつもの無表情に戻っているが、纏う空気は幾分か柔らかい。
「……楽になった」
「それは重畳です。では、わたくしはこれで」
「待て」
立ち去ろうとしたわたくしを、低い声が引き止める。
「明日も来い。いや、毎日だ」
「はい?」
「君を私の専属治療係に任命する。放課後は必ずここへ来い。拒否権はない」
有無を言わせぬ宣告。
わたくしは呆然と瞬きをした。
(専属……つまり、毎日この部屋でマッサージ係ということ?)
断罪回避どころか、王子の懐刀ならぬ「懐薬箱」としてのポジションが確定してしまったらしい。
けれど、あの苦しみようを見てしまっては断れない。
「……承知いたしました。微力ながら、殿下の健康管理を務めさせていただきます」
わたくしが頭を下げると、ルーカス様は微かに口角を上げた。
「ああ。頼りにしているよ、セレス」
初めて名前を呼ばれたことに、わたくしは部屋を出てから気づいた。
なんだか、外堀を埋められたような気がするのは気のせいだろうか。




