最終話 聖女の休日と、嵐の前の静けさ
王宮のテラスで、わたくしは優雅に紅茶を傾けていた。
爽やかな風が吹き抜ける。
眼下に広がる王都は、数日前の惨状が嘘のように活気に満ちていた。
いや、活気がありすぎる。
「……賑やかですわね」
「ああ。君を称える祭りだそうだ」
向かいの席で、ルーカス様が苦笑交じりに答える。
街の方から、太鼓や笛の音と共に「セレス様万歳!」という歓声が風に乗って聞こえてくるのだ。
広場には巨大な垂れ幕が掲げられ、わたくしとルーカス様が手を取り合って虹を架ける絵が描かれている。
美化されすぎていて直視できない。
「教会も張り切っているようだな。見ろ、あそこを」
ルーカス様が指差す先。
大聖堂前の広場に、長蛇の列ができていた。
その先頭で、白いローブの男が何かを配っている。
バルト神官長だ。
「さあ、並んで! これぞ聖女様が浄化した『奇跡の聖水』! 飲むだけで健康になり、夫婦円満、家内安全! 今なら聖女様のブロマイド付きだ!」
……何をしているのだろう、あの聖職者は。
わたくしはこめかみを押さえた。
「止めなくてよろしいのですか? 肖像権の侵害ですわ」
「民の不安を拭うには、ああいう分かりやすい偶像が必要なんだ。それに、教会の暴走は私が手綱を握っている。君に直接迷惑はかけさせない」
ルーカス様は涼しい顔で紅茶を飲んだ。
どうやら、裏でしっかりと釘を刺してくれたらしい。
頼もしい婚約者だ。
「それにしても……犯人は見つかりませんでしたか」
わたくしは声を潜めた。
疫病騒ぎの実行犯である「黒い服の男」。
騎士団が貧民街を捜索したが、痕跡一つ残さず消えていたという。
「ああ。プロの仕業だ。単独犯ではなく、何らかの組織がバックにいる可能性が高い」
ルーカス様の瞳が、鋭く細められる。
「だが、心配はいらない。君の予知夢……いや、知識のおかげで、最悪の事態は防げた。それだけで十分な戦果だ」
「お役に立てて光栄です」
わたくしは微笑んだ。
ゲームのシナリオ通りなら、王都は壊滅していたはずだ。
それを防げたのは、間違いなく彼との協力があったからこそ。
「セレス」
不意に、ルーカス様がテーブル越しに手を伸ばしてきた。
わたくしの左手に触れる。
薬指の指輪が、陽光を受けてキラリと輝いた。
「今回の件で、はっきりしたことがある」
「はい?」
「私はもう、君なしでは生きられないということだ」
真剣な眼差し。
甘い言葉に、心臓がトクンと跳ねる。
「私の氷を溶かせるのは君だけだ。そして、君の光を守れるのも私だけだと思いたい。……これからも、私の隣にいてくれるか?」
「……もちろんですわ」
わたくしは彼の手を握り返した。
平和に、目立たず生きるという当初の目標は、もはや修正不可能なくらい崩壊している。
聖女だの英雄だのと騒がれ、教会には崇められ、親衛隊には守られ。
けれど。
(この方の隣なら、それも悪くありませんわね)
騒がしい日常も、彼と一緒なら愛おしく思える。
わたくしは幸せな気分で、冷めかけた紅茶を口に運んだ。
その時だった。
カツカツと、慌ただしい足音がテラスに近づいてきた。
「殿下! 申し上げます!」
近衛騎士が息を切らして現れる。
ただ事ではない様子に、ルーカス様が表情を引き締めた。
「どうした」
「隣国、ガルディア帝国より使者が到着しました! 至急、謁見を求めております!」
「帝国だと? 予定より早すぎるな」
ルーカス様が舌打ちをする。
帝国。
軍事力に優れた大国であり、我が国とは微妙な緊張関係にある国だ。
「用件はなんだ」
「はっ。……『聖女セレスティーナ嬢の引き渡し』、あるいは『帝国皇太子との婚姻』を提案したいと……」
ブッ。
わたくしは紅茶を吹き出しそうになった。
ルーカス様の周囲の気温が、一瞬で氷点下まで下がる。
テラスの手すりがピキピキと音を立てて凍りついた。
「……ほう。面白い冗談だ」
ルーカス様が、この世の終わりみたいな笑顔を浮かべる。
目が笑っていない。
完全に戦闘モードだ。
「セレス。少し行ってくる。……害虫駆除だ」
「あ、あの、殿下? お手柔らかに……」
止める間もなく、彼はマントを翻して去っていった。
その背中からは、どす黒い殺気が立ち昇っている。
わたくしは空を見上げた。
雲ひとつない青空。
けれど、その向こうから新たな嵐が近づいているのを、肌で感じていた。
聖女の休日は、どうやらこれでおしまいのようだ。
平和への道のりは、まだまだ遠いらしい。
第2章-完-
第2章完です!!
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