第11話 氷と光の協奏曲
指先が冷たく、そして熱い。
矛盾した感覚が全身を駆け巡る。
「……いくぞ、セレス」
「はい!」
ルーカス様の合図と共に、繋いだ手から冷徹な魔力が流れ込んでくる。
それはリリアさんの体内へと浸透し、暴れ回っていた黒い影を一瞬で凍りつかせた。
動きが止まる。
今だ。
「消えなさい!」
わたくしは光の魔力を叩き込んだ。
凍結して脆くなった病巣が、光の熱で瞬時に砕け散り、浄化されていく。
逃げ場はない。
氷の檻に閉じ込められ、光の炎で焼かれる。
完璧な連携だった。
数分後。
リリアさんの肌から、禍々しい黒い斑点が完全に消え去った。
荒かった呼吸が静まり、安らかな寝息へと変わる。
「……成功、ですわ」
わたくしは安堵の息を吐き、その場にへたり込みそうになった。
それをルーカス様が支える。
「よくやった。彼女はもう大丈夫だ」
「ええ。貴方のおかげです」
リリアさんの額の汗を拭う。
熱も下がっている。
これなら、あとは体力の回復を待つだけだ。
けれど、まだ終わっていない。
窓の外を見る。
王都の空は、どんよりとした鉛色の雲に覆われていた。
貧民街には、まだ数百人の患者がいる。
その一人一人を、今と同じ手順で治して回る時間はない。
「……ルーカス様。お願いがあります」
「なんだ?」
「もっと高い場所へ。王都全体が見渡せる場所へ連れて行ってください」
わたくしは懐から、黄金の聖杯を取り出した。
この子は魔力を食べて増幅し、撒き散らす性質がある。
それを利用するのだ。
「この子を使って、わたくしたちの魔力を雨のように降らせます。王都中の病魔を、一気に洗い流すのです」
無茶な提案だ。
失敗すれば魔力枯渇で二人とも倒れるかもしれない。
だが、ルーカス様は迷わなかった。
「分かった。……君となら、奇跡だって起こせる気がする」
彼は力強く頷き、わたくしを抱きかかえるようにして立ち上がった。
◇
王宮の最上階、大バルコニー。
風が強い。
眼下には、病に沈む王都の街並みが広がっている。
あちこちから黒い煙のような瘴気が立ち昇っていた。
「準備はいいか」
「いつでも」
わたくしは聖杯を両手で掲げた。
ルーカス様が背後からわたくしを包み込むように立ち、その手に自身の手を重ねる。
『ママ! パパ! やるの!?』
聖杯が嬉しそうに震えた。
パパ呼ばわりは解せぬが、今は訂正している場合ではない。
「ええ、やりますよ。お腹いっぱい食べさせてあげますから、しっかり働きなさい!」
『わーい! いただきまーす!』
わたくしとルーカス様は、同時に魔力を解放した。
極寒の青と、慈愛の白。
二つの巨大な奔流が聖杯へと注ぎ込まれる。
キィィィン!
聖杯が高音を響かせ、太陽のように輝き始めた。
許容量を超えた魔力が、光の柱となって天を突く。
雲が渦を巻き、割れた。
「降り注げ――『聖氷の雨』!」
二人の声が重なる。
光の柱が弾け、無数の煌めく粒子となって王都全土へと降り注いだ。
それは幻想的な光景だった。
青白い光の雨が、屋根を、路地を、人々を優しく濡らしていく。
雨粒に触れた黒い瘴気は、ジュッという音と共に凍りつき、そして光となって霧散した。
街中から、驚きの声と歓声が上がり始めるのが聞こえる。
苦しんでいた人々が起き上がり、空を見上げているのだろう。
黒い靄が晴れ、澄み渡った青空が顔を出す。
そして。
雨上がりの空に、巨大な虹がかかった。
「……綺麗」
わたくしは呟き、力が抜けて後ろに倒れ込んだ。
ルーカス様の腕の中だ。
彼もまた、肩で息をしながら、満足げに虹を見上げている。
「ああ。……美しいな」
彼の視線が、虹からわたくしの顔へと降りてくる。
眼鏡を外した素顔の瞳が、熱っぽく揺れていた。
「君が守った世界だ」
「いいえ、貴方と守った世界ですわ」
わたくしは彼の頬に手を添えた。
冷たくて、温かい。
この人がいれば、どんな理不尽なシナリオだって覆せる。
そう確信できた。
遠くから、王都の鐘が鳴り響く。
それは疫病の終息を告げる、祝福の音色だった。




