第9話 早すぎるシナリオと、予知夢の嘘
王宮に戻ったわたくしたちは、息つく暇もなく執務室へと駆け込んだ。
広い机の上に、王都の地図が広げられる。
「……ここだ。被害が出ているのは、東区画の貧民街」
ルーカス様が赤いインクで地図の一角を囲む。
先ほどの診療所があった場所だ。
そこを中心に、井戸の位置を確認していく。
「この井戸水脈は、下流の商業区にも繋がっている。もし毒物が拡散すれば、被害は数千人規模になるぞ」
「すぐに封鎖を。飲み水は王宮の備蓄を放出してください」
わたくしは即座に言った。
頭の中では、別の思考が高速で回転していた。
(黒い斑点。魔法への耐性。そして、井戸からの感染……)
既視感があった。
前世の記憶。
ゲーム『剣と魔法の乙女ファンタジア』の中盤で発生する、大規模災害イベント。
通称、『黒死の風』。
本来のシナリオでは、ヒロインたちが学園を卒業する直前に発生するはずだった。
謎の疫病が王都を襲い、多くの犠牲が出る中で、聖女の力に目覚めたヒロインが特効薬の素材を見つけ出す――という感動的なエピソードだ。
けれど。
(早すぎますわ!)
今はまだ、学園に入学して数ヶ月。
時期が全く合わない。
それに、ゲームでは「自然発生した古代の病」という設定だったはずだ。
黒い服の男が井戸に毒を撒くなんて描写はなかった。
背筋に冷たい汗が流れる。
シナリオが変わっている?
それとも、わたくしが生き残ったことで、歴史に歪みが生じたのか。
もしこれがゲーム通りの『黒死の風』なら、生半可な対応では防げない。
初期対応を誤れば、王都は死の街と化すバッドエンドが待っている。
「セレス? どうした、顔色が悪いぞ」
ルーカス様が心配そうに顔を覗き込んでくる。
わたくしは拳を握りしめ、覚悟を決めた。
ゲームの知識だとは言えない。
けれど、黙っていては手遅れになる。
「……ルーカス様。信じていただけますか」
「もちろんだ。君の言葉なら、どんなことでも」
迷いのない返答。
その信頼が痛いほど嬉しい。
わたくしは小さく息を吸った。
「わたくし、夢を見たのです。黒い風が王都を包み、人々が倒れていく夢を」
「夢?」
「はい。ただの悪夢かもしれませんが……あの病気は、水だけでなく空気感染の恐れもあります。そして、火に弱い」
嘘を重ねる。
けれど、情報は正確だ。
ゲームの攻略wikiに書いてあった弱点属性だ。
「感染者の衣類や吐瀉物は、すべて焼却処分してください。患者に触れるときは、必ずマスクと手袋を。そして、街の四方に結界を張り、風の出入りを制限するのです」
矢継ぎ早に指示を出す。
専門的すぎる知識に、ルーカス様が一瞬だけ怪訝な顔をした。
しかし、彼は何も聞かずに頷いた。
「分かった。すぐに手配しよう」
「理由を聞かないのですか?」
「君がそう言うなら、それが正解なんだろう。……それに、君のその目は、患者を救おうとする医師の目だ」
彼はわたくしの手を強く握った。
「私は君を信じる。だから、君も私を頼ってくれ」
胸が熱くなる。
この人と婚約してよかったと、心から思った。
その夜は、王宮に泊まり込みで対策に追われた。
騎士団を動員しての井戸封鎖。
貧民街への食料と水の配給。
隔離施設の設営。
わたくしの知識と、ルーカス様の実行力が噛み合い、夜明け前には防疫体制が整いつつあった。
これなら、被害を最小限に食い止められるかもしれない。
そう安堵しかけた、翌朝のことだった。
コンコン、と執務室のドアが激しく叩かれる。
「失礼します! 学園より急報です!」
伝令の騎士が飛び込んできた。
息を切らし、顔面蒼白だ。
「なんだ、騒がしい」
「も、申し訳ありません! ですが、緊急事態でして……!」
騎士は震える声で告げた。
「学園の女子寮にて、高熱を出して倒れた生徒がいます! 症状は、全身に黒い斑点が……」
ドクン、と心臓が跳ねた。
まさか。
貧民街は封鎖したはずだ。
学園までは距離がある。
「その生徒の名は!」
わたくしは叫ぶように尋ねた。
騎士が答える。
「リリア・エヴァンス嬢です! 意識不明の重体で……!」
目の前が真っ暗になった。
リリアさんが。
原作ヒロインであり、わたくしの親衛隊長であり、大切な友人が。
シナリオの強制力だろうか。
それとも、わたくしの対応が遅かったのか。
平和に生きるための計画が、音を立てて崩れていく音がした。




