第2話 ヒロインの傷は、わたくしが治します
翌日の昼休み。
わたくしは学園の裏庭にあるベンチで、紅茶の入った水筒を傾けていた。
春の日差しが暖かい。
攻撃魔法の授業は免除されたため、空き時間はこうして優雅に過ごせる。
これぞ、わたくしが求めていた平穏な生活だ。
ドォォン!
突然の爆発音が、平和な空気を切り裂いた。
ティーカップを取り落としそうになる。
音の出所は、生垣の向こう側だ。
「きゃああ!」
短い悲鳴が聞こえた。
わたくしは慌てて立ち上がり、声のした方へと走る。
芝生の上に、一人の少女が座り込んでいた。
ふわふわとしたピンクブロンドの髪に、エメラルドのような緑の瞳。
見間違うはずもない。
この世界の主人公、リリア・エヴァンスだ。
「うぅ……っ」
彼女は右手を押さえて蹲っている。
指の隙間から、赤く爛れた肌が見えた。
そばには焦げた練習用の杖が転がっている。
魔法の制御に失敗し、暴発させてしまったのだろう。
(あっ、この場面……)
記憶にあるゲームのイベント映像が重なる。
本来ならここで悪役令嬢セレスティーナが登場し、『平民風情が魔法など生意気ですわ』と罵倒するシーンだ。
そしてリリアは心を痛め、攻略対象の男子に慰められる。
(そんなこと、させませんわ!)
わたくしはドレスの裾を翻し、彼女の元へ駆け寄った。
罵倒? 断罪? 知ったことではない。
目の前に怪我人がいる。
元看護師として、見過ごせるはずがなかった。
「大丈夫ですか!?」
声をかけると、リリアがビクリと肩を震わせた。
涙目のまま、怯えたようにこちらを見上げる。
「あ、アルヴァレス様……も、申し訳ありません、うるさくして……」
「謝らなくていいのです。それより、手を」
わたくしは躊躇なく芝生に膝をつき、彼女の手首を掴んだ。
近くで見ると酷い火傷だ。
水ぶくれになり始めている。
リリアが「汚れます!」と手を引こうとするが、構わず両手で包み込んだ。
「動かないで。すぐに痛みが引きますから」
目を閉じ、体内の魔力回路を開く。
攻撃魔法の才能はゼロだが、治癒魔法のイメージなら鮮明に浮かぶ。
細胞のひとつひとつに語りかけ、活性化させ、正常な状態へと巻き戻していく感覚。
「──ヒール」
掌から柔らかな光が溢れ出した。
リリアが息を呑む気配がする。
治療を進める最中、わたくしは奇妙なものを見た。
彼女の肩のあたりに、どす黒い靄のようなものが澱んでいる。
怪我の痛みとは違う、もっと重苦しくて、粘着質な不快感。
(これも……治すべき、もの?)
直感が告げていた。
わたくしは無意識に魔力を練り上げ、その黒い靄を光で包み込む。
痛みと一緒に、飛んでいけ。
念じると、靄は朝霧のように晴れて消滅した。
光が収まる。
わたくしは恐る恐る目を開けた。
「……いかが?」
リリアの手からは、赤みも水ぶくれも完全に消え去っていた。
まるで最初から怪我などなかったかのように、白くなめらかな肌が戻っている。
我ながら完璧な仕上がりだ。
しかし、リリアの様子がおかしい。
自分の手を見つめたまま、ぽかんと口を開けて固まっている。
「あの、リリアさん?」
目の前で手を振ってみる。
彼女はハッとして、それから猛烈な勢いでわたくしの両手を握り返してきた。
「す、すごいです……!」
潤んだ瞳が、キラキラと輝いている。
「痛くないです! それに、なんだか体がすごく軽くて……ずっと頭にあった鉛みたいな重さが、全部なくなりました!」
「え? あ、頭?」
「はい! アルヴァレス様の手、すごく温かくて、お花畑にいるみたいで……!」
リリアは興奮気味に捲し立てる。
身分の差など忘れたかのように、顔を寄せてくる勢いだ。
わたくしは少しだけ引き気味になりながらも、安堵の息を吐いた。
(頭の重さというのはよく分かりませんが……元気になったなら何よりですわ)
怯えていたのは最初だけだったようだ。
これで「悪役令嬢による虐め」という既成事実は回避できた。
むしろ、恩を売ることに成功したと言っていい。
「公爵家の娘として、困っている学友を助けるのは当然ですわ。今後は気をつけて練習なさい」
わたくしは精一杯、優しげな(と自分では思っている)微笑みを向けた。
立ち上がり、砂を払う。
リリアは名残惜しそうにわたくしの手を見つめていたが、慌てて立ち上がり、最敬礼をした。
「ありがとうございます、セレスティーナ様! この御恩は、一生忘れません!」
その声は、驚くほど力強かった。
周囲にいた数人の生徒たちが、呆気にとられた顔でこちらを見ている。
わたくしは満足げに頷くと、優雅にその場を後にした。
よし。
まずは一人、味方を確保完了だ。
この調子でいけば、処刑台へのルートなど完全に封鎖できるに違いない。




