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【最終章開始】悪役令嬢ですが、回復魔法しか使えないので平和に生きます!  作者: 九葉(くずは)
第2章

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第7話 これはデートではなく、極秘の視察です

 放課後の生徒会室。

 いつものようにルーカス様の頭痛ケア(という名のマッサージ)を終えたときだった。


「セレス。この後、時間は空いているか?」


 彼が書類を片付けながら尋ねてきた。

 少しそわそわしているように見える。


「ええ、特に予定はありませんが」

「なら、付き合ってほしい場所がある。……街の視察だ」


 視察。

 なるほど、公務だ。

 最近は教会の件で騒がしかったから、民衆の様子を確認しておきたいのだろう。

 次期国王としての責任感には頭が下がる。


「お供しますわ。護衛の騎士は何名ほど?」

「いや、二人きりで行く」


 ルーカス様は懐から二つの眼鏡を取り出した。

 黒縁の、少し野暮ったいデザインだ。


「認識阻害の魔道具だ。これをかければ、私たちが王族や公爵令嬢だとは気づかれない。お忍びだ」

「まあ、スパイみたいで楽しそうですわね」


 わたくしは面白がって眼鏡を受け取った。

 二人きりのお忍び視察。

 響きは少しドキドキするが、あくまで仕事だ。

 そう、仕事に決まっている。


 ◇


 王都の城下町は、夕暮れ時の活気に満ちていた。

 石畳のメインストリートには露店が並び、仕事帰りの人々や買い物客でごった返している。


「はぐれるなよ」


 ルーカス様が自然に手を差し出してきた。

 普段の制服ではなく、シンプルなシャツとベスト姿。

 眼鏡をかけていても隠しきれないスタイルの良さに、すれ違う女性たちが振り返る。


「はい」


 わたくしはその手を握り返した。

 大きくて、温かい手だ。

 以前のような氷の冷たさはもうない。


「あ、見てください。クレープですわ」

「……食べるか?」

「はい! あちらの串焼きも美味しそうです!」


 視察という名目は開始五分で崩壊した。

 わたくしたちは完全に観光客として通りを歩いていた。

 クレープを頬張り、珍しい雑貨を冷やかし、大道芸人のパフォーマンスに拍手を送る。


 ルーカス様は常にわたくしの歩調に合わせ、人混みから守るように肩を抱いてくれた。

 その横顔は、学園で見せる「氷の王子」の仮面を外し、年相応の青年のように柔らかい。


(こんな風に笑う方でしたのね)


 胸の奥がくすぐったくなる。

 患者としての彼しか見ていなかったけれど、今の彼は頼もしい一人の男性だ。


「セレス、少し待て」


 アクセサリーを扱う露店の前で、彼が足を止めた。

 色とりどりのガラス玉や、銀細工が並んでいる。

 彼は真剣な眼差しで商品を吟味し、一つを手に取った。


「これを」

「えっ?」


 店主に銀貨を渡し、戻ってきた彼の手には、アメジスト色の石がついた髪飾りがあった。

 わたくしの瞳と同じ色だ。


「つけてもいいか?」

「あ、はい……」


 断る理由もなく、わたくしは背を向けた。

 彼の手が髪に触れる。

 不器用な指使いで、髪飾りが留められた。


「……よく似合う」


 耳元で囁かれる。

 吐息がかかる距離だ。

 振り返ると、眼鏡の奥の青い瞳が、熱っぽい光を宿してわたくしを見つめていた。


「ありがとう、セレス。君とこうして歩くのが、私の夢だった」

「殿下……」

「ルーカスでいい。今はただの男だ」


 心臓が早鐘を打つ。

 これは反則だ。

 視察だと言っていたのに、こんな甘い空気を出されたら勘違いしてしまう。

 顔が熱い。

 わたくしは誤魔化すように視線を彷徨わせた。


「そ、そういえば! そろそろ日も暮れますし、裏通りを通って帰りましょうか!」

「……照れているのか?」

「ち、違います! ショートカットの提案です!」


 早口で捲し立て、わたくしは彼の腕を引いてメインストリートを外れた。

 ルーカス様が楽しそうに笑う気配がする。

 もう、敵わない。


 賑やかな通りを離れ、少し薄暗い路地裏に入る。

 人通りは少なく、静かだ。

 火照った頬を冷ますには丁度いい。


 そう思った、その時だった。


「……うぅ……」


 ゴミ箱の陰から、微かな呻き声が聞こえた。

 わたくしの足が止まる。

 ナースの耳は、苦痛の声を逃さない。


「セレス?」

「誰かいます」


 わたくしはルーカス様の手を離し、声のした方へ駆け寄った。

 積まれた木箱の裏。

 そこに、ボロ布を纏った小さな子供がうずくまっていた。

 五歳くらいの男の子だろうか。


「どうしました? どこか痛いのですか?」


 膝をつき、声をかける。

 子供はガタガタと震えながら、虚ろな目でこちらを見上げた。

 顔が赤い。

 ひどい高熱だ。


「あつい……くるしい……」

「すぐに楽にしてあげますね」


 わたくしは手袋を外し、子供の額に手を当てた。

 治癒魔法を発動する。

 ただの風邪なら、一瞬で熱が下がるはずだ。


 しかし。


(……え?)


 違和感があった。

 魔力が弾かれるような、奇妙な手応え。

 熱の原因を探ろうと体内に意識を向けると、肺のあたりに黒い斑点のような影が見えた。

 それはわたくしの魔力を受けても消えず、むしろ抵抗するように蠢いている。


(これは……ただの風邪ではありませんわ)


 背筋に冷たいものが走る。

 感染症だ。

 それも、かなりタチの悪い。


「セレス、どうした? 顔色が悪いぞ」


 追いついてきたルーカス様が、心配そうに覗き込んでくる。

 わたくしは子供を抱きかかえたまま、彼を見上げた。


「ルーカス様、すぐにこの子を診療所へ。……いえ、隔離できる場所へ運びます」

「隔離?」

「はい。普通の病気ではありません。この街で、何かが起きています」


 甘いデートの余韻は、一瞬で吹き飛んだ。

 わたくしの腕の中で、子供が苦しげに咳き込む。

 その呼気に混じる微かな魔力の残滓が、不吉な予感を告げていた。

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