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【最終章開始】悪役令嬢ですが、回復魔法しか使えないので平和に生きます!  作者: 九葉(くずは)
第2章

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第6話 昨日の敵は、今日の狂信者

 チュンチュン、と小鳥のさえずりが聞こえる。

 爽やかな朝だ。

 わたくしはふかふかのベッドの中で、大きく伸びをした。


『ママ! おはよ! おなかへった!』


 ……訂正する。

 爽やかではない。

 目を開けると、目の前で黄金の聖杯が浮遊していた。

 昨日、大聖堂から勝手についてきた「精霊の杯」だ。


「おはようございます。……朝から元気ですわね」

『ごはん! ママのまりょく、たべたい!』


 聖杯が空の器をカチカチと鳴らして催促してくる。

 どうやらこの子は、わたくしの魔力を主食としているらしい。

 燃費の悪いペットだ。


「はいはい。少しだけですよ」


 わたくしは指先を杯の縁に触れさせ、少量の魔力を流し込んだ。

 聖杯がピカッと発光し、嬉しそうに震える。


『おいしー! ママだいすき!』

「はいはい」


 適当にあしらいつつ、身支度を整える。

 今日は学園への登校日だ。

 昨日の今日で気まずいが、休むわけにはいかない。

 何より、あのバルト神官長たちに「逃げた」と思われるのは癪だ。


 ◇


 公爵家の馬車に揺られ、学園の正門へ到着する。

 窓の外を見て、わたくしは絶句した。


「……何事ですの?」


 正門前が、白いローブの集団で埋め尽くされていたのだ。

 聖光教会の神官たちだ。

 その数、およそ五十人。

 彼らは馬車が到着するなり、一斉に整列し、深々と頭を下げた。


「お待ちしておりました! 至高の聖女、セレスティーナ様!」


 地響きのような挨拶。

 登校中の生徒たちが、遠巻きにドン引きしているのが見える。

 わたくしも引きたい。

 今すぐ回れ右をして帰りたい。


 しかし、馬車のドアが開けられてしまった。

 覚悟を決めて降り立つ。


「ごきげんよう。……何の真似ですの?」


 わたくしは警戒心を露わにして尋ねた。

 すると、集団の中から一人の男が進み出てきた。

 バルト神官長だ。

 昨日はあんなに傲慢だった彼が、今は揉み手をして卑屈な笑みを浮かべている。


「おお、聖女様! 昨日は大変失礼いたしました! 貴女様の深淵なる御力を理解できず、無礼な口を利いた私をお許しください!」

「はあ」

「これはほんの詫びの品でございます!」


 彼が合図をすると、後ろの神官たちが次々と箱を差し出した。

 最高級の聖水、希少な薬草、さらには見たこともない宝石の数々。

 貢物だ。

 完全に機嫌を取りに来ている。


(……怪しいですわ)


 わたくしは目を細めた。

 人間、そう簡単に変わるものではない。

 昨日は「魔女」呼ばわりしていたのに、今日は「至高の聖女」。

 この急変ぶり、裏があるとしか思えない。

 油断させて教会に連れ込み、今度こそ異端審問にかけるつもりかもしれない。


「結構です。そのような高価なものは受け取れません」

「ご謙遜を! 貴女様こそが、我ら教会が数百年間待ち望んだ『真なる導き手』なのです! さあ、どうぞこちらへ! 教会本部にて、教皇猊下が謁見をお待ちです!」


 バルトが一歩踏み出してくる。

 その目は血走っており、異様な熱気を帯びていた。

 怖い。

 昨日の殺意とは違うベクトルで、生理的に無理だ。


「近寄らないでください」


 わたくしは後ずさった。

 すると、バルトの背後から、さらに別の集団が現れた。


「待て待て待てぇい!」

「セレスティーナ様に気安く触れるな、生臭坊主ども!」


 リリア率いる親衛隊だ。

 彼女たちは抜身の剣(練習用)を構え、神官たちとわたくしの間に割って入った。


「リリアさん!」

「お守りします! 昨日の今日で手のひら返しとは、厚顔無恥にも程がありますね!」


 リリアがバルトを睨みつける。

 しかし、バルトも引かない。


「黙れ、平民風情が! 我々は聖女様を『あるべき場所』へお連れしようとしているのだ! 神の愛し子を、このような俗世の学園に置いておくなど冒涜である!」

「はあ? セレス様は学園の宝です! 教会なんぞのカビ臭い場所に閉じ込めてたまるか!」


 一触即発。

 正門前で、宗教勢力と学園勢力の抗争が始まろうとしている。

 わたくしは頭を抱えた。

 平和とは。

 平穏とは、一体どこの国の言葉だっただろうか。


「……やめなさい」


 その時。

 空気を凍らせるような、冷徹な声が響いた。


 ザッ、と神官たちが道を開ける。

 現れたのは、漆黒の制服を纏ったルーカス様だった。

 背後には近衛騎士団を従えている。

 その表情は氷のように冷たく、青い瞳は絶対零度の怒りを宿していた。


「ル、ルーカス殿下……」

「私の婚約者に、群がるなと言ったはずだが?」


 ルーカス様が歩み寄ってくる。

 わたくしは迷わず彼の方へ駆け寄り、その背中に隠れた。

 ここが一番安全だ。


「殿下、怖いですわ。彼ら、目が笑っていませんの」

「ああ、分かっている。……気色が悪いな」


 ルーカス様はわたくしを背に庇い、バルトを見下ろした。


「教会は方針を変えたようだが、やり方が下劣だ。彼女を崇めるフリをして、その力を独占し、政治の道具にするつもりだろう?」

「め、滅相もございません! 我々は純粋に信仰心から……!」

「嘘をつくな」


 ピキッ、と足元の石畳が凍りつく。

 ルーカス様の魔力が漏れ出している。


「彼女は王家のものだ。そして何より、私のものだ。指一本でも触れてみろ。その教会ごと氷漬けにしてやる」


 低い、けれど確かな殺意を含んだ宣言。

 バルト神官長は顔を青くし、ガタガタと震え出した。

 昨日の試験で、ルーカス様の実力(とセレスへの執着)を嫌というほど見せつけられた彼らに、反論する度胸はない。


「……っ、出直します! ですが、我々は諦めませんぞ! 聖女様は必ず、我らが教会へ……!」


 捨て台詞を残し、神官たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。

 後に残されたのは、大量の貢物と、興奮冷めやらぬ親衛隊たち。


「……ふぅ。助かりました、ルーカス様」


 わたくしは彼の背中から顔を出した。

 ルーカス様は振り返り、いつもの穏やかな(少し独占欲の強い)顔に戻る。


「無事でよかった。……しかし、厄介だな」

「ええ。嫌がらせの次は、狂信的な勧誘ですか」

「君が魅力的すぎるのが悪い」


 彼は苦笑して、わたくしの髪を撫でた。


「だが、安心してくれ。どんな手を使っても、君の平穏は私が守る。……たとえ神が相手でもね」


 その言葉は頼もしかったが、同時に少しだけ怖くもあった。

 なぜなら、彼の瞳の奥に、バルトたちとは違う種類の――けれど同じくらい重たい「執着」の炎が見えた気がしたからだ。


 わたくしの平穏な学園生活は、前途多難である。

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