第2話 試験に落ちれば、ただの人に戻れますか?
放課後のチャイムが鳴る。
わたくしは教科書を鞄にしまうと、席を立った。
「セレスティーナ様! 我々も同行します!」
リリアが即座に反応する。
教室の外には、すでに腕章をつけた親衛隊の面々が待機していた。
頼もしいが、今回は少し事情が違う。
「お気持ちは嬉しいですが、礼拝堂の中まではついてこないでくださいね」
「なぜですか! あの神官、明らかに敵意を持っていました。危険です!」
「教会の聖域で騒ぎを起こせば、それこそ彼らの思う壺ですわ。外で見守っていてください」
わたくしは諭すように言った。
リリアは不満げに唇を尖らせたが、しぶしぶ頷く。
「……分かりました。ですが、もし悲鳴が聞こえたら、扉を破壊してでも突入しますから」
「そんな物騒なことになりませんように」
苦笑しながら、わたくしは廊下を歩き出した。
学園の敷地内にある礼拝堂。
普段は静謐な祈りの場だが、今日は重苦しい空気が漂っている。
重厚な扉の前には、白いローブの神官たちが仁王立ちしていた。
「ここから先は関係者以外立ち入り禁止だ」
「呼び出しに応じました。セレスティーナ・フォン・アルヴァレスです」
名乗ると、神官たちは無言で道を開けた。
わたくしは一人、薄暗い堂内へと足を踏み入れる。
ステンドグラスから差し込む夕日が、祭壇を赤く染めていた。
その前に、バルト神官長が背を向けて立っている。
「来たか」
彼がゆっくりと振り返る。
その目は、汚らわしいものを見るように細められていた。
「単刀直入に言おう。教会は、貴様を『聖女』とは認めていない」
開口一番、否定の言葉。
わたくしは内心でガッツポーズをした。
(素晴らしい! 意見が合いますわね!)
わたくしだって認めてほしくない。
聖女なんて面倒な肩書きは、百害あって一利なしだ。
しかし、顔には出さず、殊勝に首を傾げてみせる。
「左様でございますか。学園の皆様が盛り上がっているだけで、わたくし自身も困惑しておりますの」
「ふん。猫を被るな」
バルトが鼻を鳴らす。
「貴様が使ったという大規模な氷結魔法の解除、そしてドレスの修復。あれは通常の治癒魔法の範疇を超えている。神の奇跡か、それとも悪魔の所業か……」
「ただの応用ですわ」
「黙れ。判断するのは我々だ」
彼は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、わたくしに突きつけた。
「来週、大聖堂にて『聖女認定試験』を行う。そこで貴様の力の正体を暴いてやる」
試験。
その響きに、わたくしは希望の光を見た。
「その試験に……もし落ちたら、どうなりますの?」
「落ちる?」
バルトが嘲るように笑う。
「当然、聖女の称号など与えられん。貴様はただの、身の程知らずな公爵令嬢として笑い者になるだけだ」
笑い者。
最高ではないか。
聖女の看板を下ろし、ただの令嬢に戻れる。
それこそが、わたくしの求めていた平穏だ。
バルト神官長は、わたくしを貶めようとしているのだろうが、その提案は渡りに船だ。
「受けます」
わたくしは即答した。
「え?」
「その試験、謹んでお受けいたします。ぜひ、厳正なる審査をお願いしますわ」
満面の笑みで答える。
バルトの顔が引きつった。
嫌がるとでも思っていたのだろうか。
「き、貴様……正気か? 我々が用意する試験だぞ。生半可な覚悟で――」
「構いません。わたくしの力が聖女にふさわしくないなら、はっきりとそう証明していただきたいのです」
証明して、落としてほしい。
切実な願いを込めて訴える。
バルトは気味悪そうに一歩後ずさった。
「……いい度胸だ。後悔するなよ」
「はい、楽しみにしております」
わたくしは優雅にカーテシーをして、踵を返した。
足取りは軽い。
来週の試験で適当に失敗すれば、この過熱した聖女ブームも終わるだろう。
そうすれば、またルーカス様の治療係として、地味に生きられるはずだ。
明るい未来を想像しながら、礼拝堂の扉を開ける。
その瞬間。
ドォォン! という衝撃音と共に、目の前の地面が揺れた。
「きゃっ!?」
砂埃が舞う。
何事かと目を凝らすと、そこには数十人の騎士たちが展開していた。
そして、その中心に。
「――誰の許可を得て、私の婚約者を呼び出した」
氷点下の声が響く。
黒髪をなびかせ、抜身の剣を下げたルーカス様が立っていた。
その瞳は、かつての暴走時と同じくらい、冷たく燃えている。
「ル、ルーカス様?」
「セレス、無事か!?」
彼はわたくしの姿を見るなり、剣を放り捨てて駆け寄ってきた。
そのまま強い力で抱きしめられる。
「怪我はないか? 何をされた? 不快な言葉をかけられなかったか?」
「く、苦しいです、殿下。ただの話合いでしたわ」
「話し合いだと?」
ルーカス様はわたくしを背に庇うと、礼拝堂から出てきたバルトを睨みつけた。
周囲の気温が急激に下がる。
地面に霜が降り始めた。
「教会風情が、王家の許可なく彼女に接触するなど……死にたいらしいな」
殺気。
本気の殺意だ。
バルト神官長が顔を青くして震えている。
まずい。
このままでは試験どころか、教会と王家の全面戦争になってしまう。
わたくしは慌ててルーカス様の袖を引いた。
「お待ちください、殿下! わたくしは試験を受けることにしたのです!」
「試験?」
「はい。これを受ければ、全て丸く収まりますから!」
そう。
試験に落ちて、聖女じゃなくなれば、彼もこんなにピリピリしなくて済むはずだ。
わたくしの言葉に、ルーカス様は怪訝そうな顔でこちらを見た。
「……君がそう言うなら。だが、内容は?」
「詳しくは来週です。きっと簡単なものですわ」
楽観的に告げるわたくしを、ルーカス様はどこか不安げに見つめていた。
その予感が的中することを、わたくしはまだ知らない。




