最終話 平和に生きるための、最善の選択
目を覚ますと、そこは見知らぬ天井だった。
豪奢な天蓋。
肌触りの良いシルクのシーツ。
窓からは、王都の街並みが一望できる。
「……ここ、王宮?」
体を起こそうとして、わたくしは自分の手が誰かに握られていることに気づいた。
ベッドサイドの椅子に、ルーカス様が座っている。
彼はわたくしの右手を両手で包み込んだまま、祈るように額を押し当てていた。
「……セレス」
微かな身じろぎに気づいたのか、彼が顔を上げる。
ひどい顔だった。
目の下にはクマがあり、頬も少しこけている。
三日間、不眠不休で付き添っていたと一目で分かった。
「おはようございます、殿下。……随分とやつれましたわね」
「誰のせいだと思っている」
ルーカス様は安堵の息を吐き出すと、ふらりと立ち上がり、わたくしを強く抱きしめた。
洗いたてのシーツの匂いと、彼の体温。
生きていてよかったと、心から思う。
「三日間、君は目を覚まさなかった。魔力枯渇で、心臓が止まりかけたんだぞ」
「あら、わたくしとしたことが。……でも、殿下の呪いは?」
「静かだ」
彼は自分の胸に手を当てた。
「完全に消えたわけではない。だが、君が近くにいると……自分でも驚くほど理性が保てる。もう、あの冷たい闇に飲まれることはない」
その瞳は、春の湖のように穏やかだった。
かつての「氷の王子」の面影はない。
「それは重畳です。では、わたくしの役目はこれで――」
「終わりなわけがないだろう」
ルーカス様は即座に遮った。
そして、サイドテーブルから小さなベルベットの箱を取り出す。
「セレスティーナ・フォン・アルヴァレス」
彼が片膝をついた。
箱が開かれる。
中には、アメジストとサファイアが輝く指輪が収められていた。
「私の妻になってくれ。君の平和は、私がこの国の全てを使って守る。だから、君の一生を私に預けてほしい」
ストレートな求婚だった。
わたくしは瞬きをする。
本来の目的は「目立たず、平和に生きる」こと。
王族の妻になれば、目立たない生活など夢のまた夢だ。
けれど。
目の前の彼は、こんなにも脆くて、愛おしい。
この手を放せば、彼はまた一人で凍えてしまうだろう。
それは、わたくしの望む「平和」ではない。
「……条件があります」
「なんだ? なんでも聞こう」
「わたくしは、ただ飾られるだけのお人形にはなりません。怪我人がいれば治しに行きますし、貴方が無茶をすれば叱ります」
「望むところだ。君以外に、私を叱れる人間などいない」
彼は笑った。
わたくしもつられて微笑む。
左手を差し出すと、彼は震える指で、薬指に指輪を滑り込ませた。
「謹んで、お受けいたします」
指輪が指に収まった瞬間、窓の外から爆発的な歓声が上がった。
「えっ?」
慌てて窓を見る。
王宮の庭園に、リリアさんをはじめとする学園の生徒たちがすし詰めになっていた。
皆、横断幕を持っている。
『セレス様、目覚めおめでとう!』
『俺たちの聖女万歳!』
『殿下、セレス様を泣かせたら承知しませんよ!』
中には、あの時の騎士科の男子や、ドレスを直した令嬢たちの姿もある。
「……あそこにいるのは、わたくしの『患者』たちですの?」
「ああ。君が倒れたと聞いて、見舞いの品を持って押し寄せてきたんだ。追い返すのに苦労した」
ルーカス様が呆れたように、けれど誇らしげに言う。
わたくしは頭を抱えたくなった。
「目立たず生きる計画が、台無しですわ」
「諦めろ。君はもう、この国の英雄で、私の最愛の聖女なのだから」
ルーカス様が、わたくしの手の甲にキスを落とす。
窓の外ではリリアが手を振り、騎士たちが剣を掲げている。
騒がしくて、忙しくて、手のかかる未来。
でも、一人で怯えていたあの頃より、ずっと温かい。
「仕方ありませんわね」
わたくしは覚悟を決めて、彼の手を握り返した。
「平和に生きるために……まずはこの騒ぎを鎮圧しに行きましょうか、あなた」
悪役令嬢は卒業だ。
これからは、攻撃魔法ゼロの最強の王太子妃として、この国を――そして愛する人たちを、癒やして生きていく。
わたくしの新しい人生は、まだ始まったばかりなのだから。
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