第11話 愛しています、と言えなくても
指先の感覚は、とうにない。
踏み出すたびに、素足のような感覚で氷を踏み砕く。
ドレスはボロボロに裂け、露出した肌は白く凍りついては、瞬時に再生する赤みでまだらになっていた。
痛い。
熱いような、痺れるような激痛が全身を走り続ける。
けれど、わたくしは止まらなかった。
「……セレス、やめろ……!」
ルーカス様が顔を上げ、絶叫する。
彼の瞳から溢れるのは、涙ではなく凍てついた魔力の粒子だ。
伸ばされた手が、わたくしを拒絶するように空を切る。
「これ以上近づくな! 君が……君が死んでしまう!」
「死にません!」
わたくしは叫び返し、最後の一歩を踏み込んだ。
風速を増す暴風雪。
身を切るような冷気を真正面から受け止め、彼の手首を掴む。
ジュッ、と音がした。
あまりの冷たさに、皮膚が焼けるような錯覚を覚える。
「捕まえましたわ」
「離せッ! 頼むから、逃げてくれ……!」
「嫌です」
わたくしは強引に彼の懐へ滑り込み、その身体を力一杯抱きしめた。
氷塊を抱いているようだ。
心臓まで凍りそうな冷気が、わたくしの体温を貪欲に奪っていく。
(負けるものですか)
奥歯を噛みしめる。
体内の魔力回路を全開にした。
セーブなどしない。
血管が焼き切れてもいい。
ありったけの魔力を、温かな光に変えて彼の中へ流し込む。
「受け取ってください、ルーカス様!」
わたくしの治癒魔法は、傷を治すだけじゃない。
貴方の凍りついた孤独も、自分を責める呪いも、全部溶かしてみせる。
「あ、あぁ……ッ」
ルーカス様が苦しげに仰け反った。
彼の中から溢れる黒い冷気と、わたくしの放つ白い光が衝突し、火花のような音を立てる。
痛い。寒い。苦しい。
それでも、腕の力は緩めない。
「大丈夫、大丈夫です」
赤子をあやすように、彼の背中をさすり続ける。
凍傷で指が動かなくなれば治し、またさする。
その繰り返しだ。
「わたくしはここにいます。どこにも行きません」
「セレス……」
「貴方が化け物だと言うなら、わたくしも共犯者になりますわ。だから一人で泣かないで」
視界が霞んできた。
魔力の残量が底をつきかけている。
手足の先から、重い鉛に変わっていくような倦怠感。
けれど、それと反比例するように、腕の中の体温が戻ってきていた。
突き刺さるような冷気が消え、柔らかな温もりが広がる。
暴風が止んだ。
しん、と静まり返った中庭。
氷漬けの世界で、わたくしたちだけが熱を帯びていた。
「……は、ぁ……」
ルーカス様の身体から力が抜ける。
わたくしもまた、糸が切れたように膝から崩れ落ちた。
支えようとしたが、指一本動かない。
地面に倒れ込む――その寸前で、強い腕に抱き留められた。
「セレス!」
悲痛な声。
薄目を開けると、ルーカス様がわたくしを抱きしめ、顔を覗き込んでいた。
氷のようだった瞳が、今はただの少年のように揺れている。
その目から、ポロポロと大粒の雫が零れ落ち、わたくしの頬を濡らした。
「馬鹿な人だ……どうして、私なんかのために……」
「……患者様を見捨てる……ナースはいません……」
掠れた声で軽口を叩く。
ルーカス様は泣き笑いのような顔をして、わたくしをさらに強く抱きしめた。
肋骨が軋むほどの強さ。
けれど、それはとても温かかった。
「愛している」
耳元で、震える声がした。
「君を愛している。誰にも渡したくない。私の全てを懸けて、君を守り抜く」
それは呪いの言葉のようで、祈りのようでもあった。
平和に生きたいと願ったはずなのに。
こんなに激しくて、重たくて、面倒な愛を受け取ってしまったら、もう逃げられないではないか。
(……まあ、それも悪くありませんわね)
わたくしは心の中で苦笑し、彼の胸に顔を埋めたまま、深い眠りの淵へと沈んでいった。




