第10話 その吹雪は、誰がための涙か
パリン、と硬質な音が響いた気がした。
続いて、ドォォォン! という爆発音。
昼休みの食堂がざわめきに包まれる。
わたくしはサンドイッチを掴んだまま、窓の外へ目を向けた。
中庭の方角から、白い煙――いいえ、あれは冷気だ。
季節外れの吹雪が、爆心地から渦を巻いて広がっている。
「なんだあれ!」
「おい、廊下が凍り始めたぞ!?」
悲鳴と共に、生徒たちが食堂になだれ込んできた。
その中に、見知った顔がある。
第一王子派閥に属する高学年の男子生徒たちだ。
彼らは恐怖に顔を引きつらせながらも、どこか嗜虐的な笑みを浮かべていた。
「いい気味だ、あの化け物め」
「あんな欠陥品が王位など狙うからだ」
すれ違いざまに聞こえた言葉。
わたくしの背筋が冷たく粟立った。
化け物。欠陥品。
その言葉が誰に向けられたものか、瞬時に理解する。
「ルーカス様……ッ!」
わたくしは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
サンドイッチを放り投げ、出口へと走る。
「きゃあぁぁ!」
「逃げろ、校舎が埋まるぞ!」
逆流してくる生徒の波をかき分ける。
廊下に出ると、そこは既に極寒の世界だった。
壁も床も真っ白な霜に覆われ、呼吸をするたびに肺が凍りつくようだ。
防御魔法の使えないわたくしには、この寒気だけで致命傷になりかねない。
「セレスティーナ様!」
腕を掴まれた。
リリアだ。
彼女は顔を青くして、必死に首を横に振った。
「行ってはダメです! あの冷気、ただ事じゃありません! 近づけば瞬く間に氷像になってしまいます!」
「離して、リリアさん」
「死んでしまいます! 防御魔法が使えないのに、どうやって防ぐんですか!」
彼女の言うことは正しい。
正論だ。
平和に生きたいなら、今すぐ避難するのが正解だ。
けれど。
「患者が待っていますの」
わたくしはリリアの手を、そっと、けれど力強く解いた。
「あの方は今、一人で泣いています。主治医のわたくしが行かなくて、誰が涙を拭くのですか」
「セレスティーナ様……」
「リリアさんは皆の避難誘導をお願いします。貴女ならできますわ」
呆然とする彼女に微笑みかけ、わたくしは踵を返した。
猛吹雪の回廊へ、たった一人で踏み出す。
寒い、というレベルではなかった。
肌が裂けるような激痛。
一歩進むごとに体温が奪われていく。
わたくしは常に体内で魔力を循環させ、凍りかける細胞を片っ端から活性化させ続けた。
壊れる端から治す。
自転車操業もいいところだが、足は止めない。
(ルーカス様、ルーカス様……!)
視界が白く染まる。
中庭への扉は凍りついて開かなかった。
近くにあった消火用の斧を拾い、力任せにガラスを叩き割る。
破片と共に外へ出ると、風圧で飛ばされそうになった。
そこは、氷の城だった。
花壇も、噴水も、ベンチも。
全てが分厚い氷に閉ざされ、時を止めている。
その中心。
暴風の目に、黒い影があった。
「……くるな……」
風の音に混じって、拒絶の声が聞こえる。
ルーカス様だ。
彼は地面に膝をつき、砕け散ったブレスレットの破片を、血の滲む手で必死にかき集めていた。
自分の魔力が暴走していることにも気づかず、ただ壊れた枷を直そうとしている。
「こ、ないでくれ……っ! 殺して、しまう……!」
「殺させません!」
わたくしは叫んだ。
喉が張り裂けそうだ。
彼を取り巻く冷気は、刃物のように鋭い。
一歩踏み出すたびにドレスが切れ、頬に赤い線が走る。
それでも。
わたくしは足を止めなかった。
平和に生きるためには、この優しい王子が必要なのだ。
何より、わたくし自身が――彼を、失いたくない。
「ルーカス様!」
絶対零度の嵐の中、わたくしは彼へと手を伸ばした。




