第1話 役立たずの烙印は、平和へのパスポート
ズキリ、とこめかみが痛んだ。
王立学園の大講堂。
豪奢なシャンデリアの下、整列した新入生たちのざわめきが、遠い波音のように聞こえる。
「──次は、セレスティーナ・フォン・アルヴァレス嬢」
名前を呼ばれた瞬間、わたくしの脳裏に強烈な光が走った。
同時に、大量の「記憶」が雪崩れ込んでくる。
コンクリートのビル群。
白い壁の病院。
消毒液の匂いと、ナースコールのアラーム音。
そして、休憩時間にスマホでプレイしていた『剣と魔法の乙女ファンタジア』。
(……ああ、そうですわ)
激しい頭痛が引くと同時に、視界がクリアになる。
わたくしは思い出した。
ここは前世で遊んでいたゲームの世界。
そしてわたくしは、ヒロインを虐め抜いた挙句、最後には無惨な死を迎える悪役令嬢、セレスティーナだ。
「アルヴァレス嬢? どうしました、前へ」
教師の怪訝そうな声で我に返る。
わたくしはドレスの裾を摘み、優雅に一礼した。
「申し訳ありません。少々、緊張しておりまして」
嘘ではない。
これから行われるのは「魔力判定の儀」。
この数値ですべてが決まる。
ゲームの設定通りなら、セレスティーナは強力な炎魔法の使い手であり、その力を笠に着て暴走するはずだ。
(破滅フラグなんて、お断りです)
わたくしは平和に生きたい。
誰かを傷つけるのも、断罪されるのも御免だ。
祭壇への階段を昇りながら、覚悟を決める。
どんな結果が出ようと、決して驕らず、目立たず、地味に生きよう。
祭壇の中央には、巨大な水晶が鎮座していた。
ここに手を触れれば、固有魔力が空中に投影される。
「では」
わたくしは白く細い手を、水晶へと伸ばした。
冷やりとした感触が指先に伝わる。
一拍置いて、水晶がブゥンと低い唸りを上げた。
空中に光の文字が浮かび上がる。
『属性:光』
『攻撃魔法適性:なし』
『補助魔法適性:微小』
『治癒魔法適性:特大』
しん、と大講堂が静まり返った。
「……は?」
誰かの素っ頓狂な声が響く。
わたくし自身も目を瞬いた。
見間違いではない。
攻撃魔法の欄には、慈悲など一切ない無機質な文字で『なし』と記されている。
ゼロだ。
火種一つ、風の刃一枚すら出せない。
(設定と……違いますわね?)
ゲームのセレスティーナは、国一番の炎の使い手だったはず。
それが、まさかの攻撃力ゼロ。
公爵家の娘としては前代未聞の事態である。
ざわり、と周囲が色めき立った。
「おい、見たか?」
「アルヴァレス公爵家の令嬢だよな?」
「攻撃魔法が使えないなんて、欠陥品じゃないか」
「治癒魔法だけって……平民の衛生兵じゃあるまいし」
嘲笑。蔑み。失望。
無遠慮な視線が、針のように全身に突き刺さる。
教師たちも顔を見合わせ、気まずそうに咳払いをしていた。
この世界において、魔法とはすなわち武力。
魔物の脅威に対抗できない魔力持ちなど、剣を持たない騎士と同じだ。
けれど。
わたくしは、こみ上げてくる歓喜を噛み殺すのに必死だった。
(攻撃魔法が、ない……!)
それはつまり、戦場に出なくていいということだ。
派閥争いの道具として、前線に送られる心配もない。
ヒロインと魔法で決闘して、大怪我をさせるイベントも発生しようがない。
(素晴らしいですわ!)
扇子があれば、高笑いをして広げたい気分だった。
治癒魔法? 大いに結構。
前世は看護師だ。
人を傷つけるより、治すほうが性に合っている。
地味で不人気な魔法らしいけれど、わたくしにとっては最高の天職だ。
「……席にお戻りください」
教師が哀れむような声で告げる。
わたくしは胸を張り、毅然とした態度で微笑んだ。
「はい。ありがとうございます」
優雅に背を向け、階段を降りる。
背中で聞こえる「可哀想に」「公爵家の恥だ」という声を、わたくしは心の中で鼻歌に変えた。
この瞬間、わたくしの目標は定まった。
悪役令嬢、廃業。
これからは回復魔法しか使えない「ただのヒーラー」として、平和に、穏やかに、長生きしてみせますわ。
自分の治癒魔法の数値が、測定限界を振り切って発光していることになど、わたくしは全く気づいていなかった。




