四度目の裏切り(完)
ラシェドは、続く言葉を待った。
「命を粗末にしないでね」や、「あなたがいなくなったら悲しい」など、ラシェドの不穏さへの牽制が続くのだろうと思っていた。
けれど、セレンティアは、それ以上口を開こうとはしなかった。
身体をこわばらせて、ただじっとラシェドの返事を待っている。
悲壮感すら漂うその様子に、ラシェドは困惑した。
セレンティアが、これほどの緊張を見せるのは珍しい。彼女は、どれほどの劣勢でも笑って見せる人間だ。それだけが、無力な王女にできる唯一のことだと、信じているようだった。
そこまで考えてから、ラシェドは、胸の内で静かに、諦めを受け入れた。
セレンティアは、自分とはちがう。
彼女は、人が死ねば悲しむ。側近といえるほど、親しくしていた相手ならなおさらだ。それを失念していたのは、自分のミスだ。
戦場で適当に死ぬ、という計画は、捨てなくてはならないだろう。彼女を嘆かせたくないのなら。
「 ─── ……私の忠誠は、永遠に貴女のものですよ、我が君」
びくりと、セレンティアの肩が跳ねた。
美しく愛らしい瞳が、大きく見開かれて、凍りつく。
(しまった、永遠という言葉は返って不吉だったか)
戦死を連想させたかもしれない。
ラシェドは即座に言葉を付け足した。
「セレンティア殿下が至高の冠を戴かれた後も、変わらずに忠臣としてお仕えいたします。……ええ、無論、我が君がそれを望んで下されば、ですが……」
最後は、普段通りの軽い口調に、胡散臭いと評判の微笑を浮かべていった。
セレンティアは、ほんの一瞬、泣き出しそうな顔をした。
けれど、ラシェドが口を開くより早く、すぐさま満面の笑みを浮かべて頷いた。
「もちろん! 期待しているからね、ラシェド」
天幕まで送ると申し出たが、護衛の騎士がいるからと断られた。
セレンティアが去った後、ラシェドは一人、片手で顔を覆った。
最後の笑顔は、どう見ても、無理をしていた。
泣き出しそうなあの瞳を想うと、自分を絞め殺したくなる。どれほど彼女に心配をかけていたのだろう。ただでさえ重責を負っているセレンティアに、これ以上の心痛を与えるなど、臣下としても、一人の男としても、失格だ。
オリオールへの妬心がどれほど強かろうと、優先すべきものを見失ってはならない。
(どうか安心してください、セレンティア。私は貴女の軍師ですよ。この先も、永遠にね)
※
セレンティアが、初めて、縁談を進めたいといってきたときは、さすがに驚いた。
もしも、彼女の隣にオリオールが立っていたなら、ついにこのときが来たか……と地獄の日々を覚悟するだけだったのだが、そこに光の騎士の姿はなかった。
代わりに、女王陛下は、きらきらした瞳で、肖像画を掲げてみせた。
「この人、格好良いと思うんだ!」
「はあ……」
いわれて、まじまじと肖像画を見る。
これなら私の方が美形でしょう、と、呟いたところで、さらに首を傾げた。
(オリオールのほうが美形だろう)
認めたくはないが、あれほど容姿の整った男はそうはいない。
さらには戦神と称えられる騎士だ。
おまけに人格者だ。
この肖像画の王子にあって、あの男に足りないものなど……。
(……あるな。血筋か)
オリオールは、今でこそ名を上げ、出世したものの、元をたどれば地方の貧乏貴族にすぎない。
ただでさえセレンティアは、母君の身分が低いのだ。これでオリオールと結婚したいといえば、血筋を貴ぶ連中はさぞやかましくなるだろう。下手をすれば、後々までの禍根となりかねない。
セレンティアは、それを避けたいのだろう。
自分の我儘で、政治に混乱を招くような真似をしたくない。女王となったからには、国のためになる結婚をすべきだ。……とでも思っているのだろう。
(だが、各騎士団の支持は、圧倒的にオリオールにある。民衆の人気もひときわ高い。軍事力と世論を背後に持っている以上、血筋を崇める連中の口をふさぐのは、さほど難しくない……)
そこまで考えてから、ラシェドはにっこりと笑った。
「かしこまりました。我が君がその者を望まれるのであれば、早急に手配いたしましょう」
セレンティアが悲しむ姿は見たくない。
見たくないのだが、しかし。
(……オリオールと結婚する姿も、見たくないんですよね……)
結婚の準備も見たくないし、結婚式に出席もしたくない。
結婚後には目の前で繰り広げられるのだろう、愛ある新婚夫婦っぷりを想像すると、それだけで死にたくなる。
まさに地獄だ。
自分にとって、結婚とはすなわち地獄である。
今でさえ、オリオールがセレンティアの頭をなでるたびに、内臓が損傷を負っている。
医官の診察は受けていないが、殴られたような痛みが走るので、間違いないだろう。
これで新婚夫婦などになられた暁には、うっかり手が滑って……という類の不慮の事故を装って、オリオールを殺さない自信がない。
もちろん、いつかは二人は結ばれるだろう。それはわかっている。
セレンティアがオリオールを愛しているのだ。セレンティアの笑顔のためなら、血統至上主義連中を端から黙らせて、結婚のお膳立てをすることなど、自分にはわけないことである。
けれど、先延ばしにできるものならしたい。非常にしたい。
それこそが、世のため人のため、ひいてはオリオールの安全と自分の内臓のためである。
あの肖像画の王子との縁談は、うまく行かないだろう。
セレンティアにはいわなかったが、たしかあの王子は、たいそうな母君想いだという噂だ。
婿入りの際に母君までついてこられるようでは、混乱を避けるつもりで、新たな混乱を招きよせるのと同じことだ。
そして、縁談が破談になるまでは、セレンティアがオリオールと結ばれることもない。
ラシェドの内臓も、久しぶりの安寧を手に入れられるだろう。
……セレンティアの苦悩と引き換えに、ではあるが。
(そこはもう、私のような人でなしを、死なせなかったのが運の尽き、としか……)
ふと、笑いが込み上げた。
おかしなものだ。
昔はあれほど、悪魔であることを否定したかったのに、今ではどうでもよくなっている。
いっそ、本物の悪魔だったら、セレンティアの心を奪えただろうか、などと思ってしまう始末だ。
(ですが、私の忠誠心に変わりはございませんよ、我が君。貴女が一言、私に助けを求められたなら、そのときには、万難を排して、オリオールとの婚姻を整えましょう)
そう、実をいえば、セレンティアが頼ってくれないことも不満だった。
戦場ならばオリオールを頼るだろうが、政治ならば自分の出番である。
セレンティアが一言、「あなたの力を貸してほしい」「ほかに頼れる人がいないの、ラシェド」「お願い、協力して」などといってくれたなら、即座に動いたものを。
口うるさい連中に隠すのはわかるが、自分は側近中の側近だ。素直な気持ちを打ち明けてくれてもいいはずだ。「本当はオリオールが好きなの」と、彼女がそう寂しげにいったなら、邪魔する者たちすべてを滅ぼしてでも、彼女の幸福のために尽くしただろうに。
なにが、「この人、格好良いと思うんだ!」だ。
自分のほうが格好いい。
外見だけでいいなら自分のほうが美形だ。
中身の勝負をしなくていいのなら、オリオールにだってそこまで負けていないはずだ。
※
真夜中の回廊から、夜闇を眺めて、ラシェドはふと息を吐き出した。
(ここまで、だな)
セレンティアが頼ってくるまでは……などと、性根の腐ったことを考えていたが、さすがに限界だ。これ以上、あの瞳を陰らせる真似はできない。
─── 幸せな結婚なんて夢のまた夢だと、わかってはいるから……!
あのような悲しい言葉をいわせてしまったのだ。
これまでの償いにはならなくとも、せめて、セレンティアの幸福のために動こう。
(問題は、私自身をどう処理するかだな)
血筋にこだわる貴族連中はまだいい。黙らせる方法は、いくらでもある。
ただ、セレンティアが望むような、穏便なやり方でとなると、時間はかかるだろうが……、まあ、その程度のことは、二人とも気にしないだろう。表に出せないだけで、相思相愛の仲なのだから。あぁ、相思相愛など、考えただけで吐きそうだ。
セレンティアの結婚において、一番の難敵は、実のところこの身である。
道徳心が欠落しているくせに、嫉妬心だけは狂人のごとくあるという、最悪の危険人物だ。
自分でいうのもなんだが、どう考えても真っ先に排除すべき人物だ。
自分だったら、こんな男、セレンティアの傍に置かない。危険すぎる。
(しかし、死ぬことは許されない。……となれば、死なない程度に重傷を負って、宰相の激務は務まらなくなったという理由で引退して、田舎にでも引っ込むか……)
ちょうどいいので、血筋にこだわる貴族連中に、毒を盛られたことにしよう。
適当に敵対して、適当に疑わしい人物を作って、いかにも毒殺を装って毒を煽り、かろうじて死なない程度の重体になる。
そうすれば、宰相への暗殺未遂容疑で、血統至上主義の派閥は解体できる。派閥の重鎮を逮捕してしまえば、あとは没落していくだけだ。セレンティアの結婚への障害物は、早々になくなる。
彼女の望む穏便な方法ではないが、死にかけるのは自分だけだし、あの派閥の重鎮も叩けば埃が出る身だ。問題ないだろう。これぞ悪をもって悪を制すだ。
女王陛下と最強の騎士の結婚は、民衆から大歓声とともに迎えられるだろう。
一方その頃、自分は、田舎で療養しているのだ。
重体なので結婚式にも参加できないし、王宮へ戻ることも難しい。素晴らしい。新婚夫婦を見なくてすむのは最高だ。
無論、有事の際には駆けつけるが、それ以外はセレンティアの肖像画でも眺めながら暮らそう。それが一番、平和的解決というものだ。
(あとは……、毒をあおった私を、貴女が悲しまないでいてくれたら、いいのですが……)
無理だろうか。宰相暗殺未遂事件は、衝撃が強すぎるかもしれない。
しかし、死なない程度にしておくので、それで許してほしいところだ。
( ─── 初めて会ったときに、貴女はおっしゃいましたね、セレンティア。“四度目の裏切りを決めるまでは”と。……これが四度目の、そして最後の裏切りです。私はこの先、貴女以外の主を持つことはない)
それだけが、人でなしの男に捧げられる、唯一の誠意だ。
完結です。ここまで読んでくださってありがとうございました。




