悪辣宰相の誤解
光の騎士オリオール。
改めて観察してみると、まったくもって目障りな男だった。
まず、容姿からして爽やかな美形である。この時点ですでに許せない。
自分など、端正な顔立ちをしているけれど胡散臭い、信用できない、裏でなにを考えているかわからない……等々しかいわれない。顔の信頼度からしてすでにちがう。
まあ、実際に裏で悪巧みをしている件については、置いておくとしてだ。
さらに、オリオールは剣の腕が立つ。
どれほど劣勢な戦場に放り出しても、尋常でなく強い。戦神の二つ名は伊達ではない。普通なら全滅している状況であっても、部下を守り、さらに自分も無傷で帰還する男だ。おかしい。人間とは思えない。
あの男のほうが悪魔の血を引いているのではないだろうか。
ラシェドはわりと真剣にそう考えた。
人柄もよい。
誰に対しても分け隔てなく接し、温和で誠実。周囲からの信頼は厚く、また期待も高いが、それらに涼しい顔で応えてみせる。己の強さに驕ることなく、日々鍛錬を怠らない姿は、まさに騎士の鏡である。
死んでほしい……と、ラシェドは心から思った。
心から思えてしまう時点でよろしくない。オリオールなら、たとえ恋敵が目障りでも、死ねとは思わないだろう。そういった清廉さも、またひときわ目ざわりである。
そして、何よりも重要なことは、セレンティアのオリオールに対する態度だ。
セレンティアはオリオールを慕っている。
団員たちや兵士たち、それに領民たちがいる前では、王女として振舞い、あからさまな態度を見せることはない。
しかし、彼女に近い者たち ─── つまり、王女の側近しかいない場所では、貴人の猫かぶりがあっという間にはがれて「オーリ」と無邪気な声で呼ぶのだ。
死ねばいいのに、オリオール。
だいたい、あの男にだけ愛称呼びがあって、自分にはないというのは、不公平ではないか?
次期女王としては、臣下を公平に扱うべきであろう。
無論、ラシェドという姓が、オリオールなどに比べると端的で呼びやすく、親しみやすく、わざわざ愛称をつける必要がない、という事情は理解している。
しかし、ラシェドとて、愛称を作ろうと思えば不可能ではない。ラシェや、シェドなど、さらに短くしてもらって構わない。
それにセレンティアは、オリオールに褒めてほしがり、頭を撫でてもらいたがる。
あり得ないことだ。騎士ごときが王女の頭をなでるなど、完全に不敬罪だ。
騎士の鑑ならそれらしく、身の程をわきまえて辞退すべきだ。
なにが「セレンティア殿下は俺の誇りです」だ。
何の下心もない、優しい兄のような顔をしているのがまた許せない。下心があるに決まっている。次期女王の夫の地位を狙っているはずだ。そうだといってくれ。ちがうなら今すぐ死んでくれ。
(私だって、貴女の頭を撫でて、貴女を褒め称えることなら、いくらでもできるんですよ……!)
永遠にだってできる。むしろこの命が尽きるまでやらせてほしい。
しかしセレンティアは、ラシェドには頼まない。頭を撫でてほしいと望まれたことは一度もない。いつだって撫でる準備は万端なのに、この手を求められたことはない。
セレンティアが欲しがるのは、オリオール、ただ一人。
死んでほしい。
オリオールがセレンティアの頭を撫でるたびに、臓腑をえぐられる思いで、そう思った。
※
つまるところ、オリオールは、ラシェドの対極に位置する男だった。
そして、どれほど死を望んでも、ラシェドにオリオールは殺せない。
まあ、物理的になかなか難しいというのもあるが、まず最優先事項としては、オリオールが死ぬとセレンティアが悲しむ。
第二の優先事項としては、王女であるセレンティアを、“皆で生き延びる”という彼女の望み通りに守り抜くには、あの男の力が必要だ。
父王からしてみれば、セレンティアは、とうに死んでいるはずの王女だ。
彼女が生き延びることも、勝利を掴むことも、最初から期待していない。
この状況に、誰よりも激怒しているのは、敵国よりも、父王その人だろう。
あの男は、王女が玉座につくなど、あってはならないことだと信じている。
しかし、今やセレンティアは、病弱な王子よりもはるかに王位にふさわしいと囁かれる身だ。
戦勝を重ね、騎士団と辺境領主たちの支持を一身に集めている王女だ。
民衆は、可憐な姫君と、最強の騎士の物語を、熱狂的に支持している。
この先、敵国を完全に退けてしまえば、セレンティアには二択しかない。
おとなしく父王に殺されるか、剣を取って殺すか。
そしてセレンティアは、すでに選んでいる。
無論、ラシェドは、王と王子派を滅ぼす準備は着々と進めている。
中央の貴族たちは、すでに自分の手の者が、内側から切り崩しを行っているところだ。
祖父が先々代の王の重臣だったマリエールや、王国一の名医と謳われた父を持つアメリアの存在も、彼らの足並みを崩すのに一役買っていた。頭の硬直した長老方は、真っ当な打算ですら動かないが、あれは過去を崇める連中だ。過去をぶつければ効果がある。
豪商のクローテスも取り込んだ。人脈が幅広く、商会への影響力も強い老人だ。クローテスを味方につけたおかげで、資金繰りの心配は不要になった。
しかし、それでも ─── 戦は避けられない。
戦力だけ見れば、未だにこちらが劣るのだ。王が軍を出さないはずがない。
それはセレンティアもわかっている。
せめて、犠牲を最小限に留めたい。
セレンティアがそう願っている以上、ラシェドの策には、戦神オリオールが必要だ。
どうしてもオリオールが目障りで、許しがたく、嫉妬で狂いそうになるというなら、排除すべきはオリオールではなく、自分だろう。
セレンティアのために、オリオールは失えない。
しかし軍師ならば、彼女が玉座に座る頃には墓にいても、何とかなるだろう。
自分がいたほうが、セレンティアの治世が落ち着くのは早い。
それはわかっているのだが、セレンティアがオリオールと結婚するといい出したときに、とち狂った真似をしない自信がない。自分自身が、危険人物すぎる。
今でさえ、冷静にあの男の死を願えるのだ。危なすぎて賭けに出られない。
(仕方ない。怪しまれないように、戦場で適当に死ぬか)
おそらく、それが、セレンティアの幸福のための最適解だ。
※
……しかし、セレンティアは、妙なところで勘のいい姫君だった。
王軍との全面対決を前にした、その夜に、セレンティアは一人でやってきた。
「ラシェド、聞いてほしいことがあるの」
彼女の声は、緊張にこわばっていた。
「わたし……、わたしね、あなたのことが好き」
ラシェドはまず、自分の耳を疑った。
それから、困ったようにうつむくセレンティアを見て、現実だと認識した。
途端に祝福のラッパが鳴り響き、天使が踊り狂った。
世界が薔薇色に輝き、空には虹がかかり、地上には花々が咲き誇る。
歓喜が胸に満ち、ラシェドは一瞬、跪いて結婚を願い出てしまいそうになった。
しかし、ラシェドは、計算ができる男だった。
己の分をわきまえた人間である。敗北の味を知る軍師である。
セレンティアが、自分に、愛の告白など、するはずがない。
彼女には、輝かしい光の騎士オリオールがいるのだ。
となればこれは、大変紛らわしいが『あなたが好きだから、ちゃんと生き延びてね』という意味だろう。
この戦に勝てば、死んでも大丈夫だろうと考えていた。
完璧に隠し通してきたつもりだったが、セレンティアはどこかで不穏な空気を察してしまったに違いない。
だから、不安になって、生き延びてほしいとわざわざ伝えにきたわけだ。
罪深いほどに、紛らわしい。
けれど、死ぬほど嬉しい。
今夜のことは、一生の思い出にしよう。




