騎士オリオール
わたしがテーブルに突っ伏してすすり泣く真似をしていると、後ろから声がかかった。
「陛下、オリオール卿がいらっしゃいましたよ」
「陛下、ご報告にあがりました。……ラシェド。いかに宰相といえども、夜更けに女性の私室に上がり込むとは、非常識にもほどがあると思いますが」
「まずは鏡をご覧になったらいかがでしょう? 図々しく訪ねてきている自分の顔が映りますよ、オリオール」
わたしは突っ伏したまま片手を上げて、それぞれにいった。
「マリー、オリオールに酒でも出してやって。オリオール、ラシェドはわたしが呼んだので、その件では責めないで。この男はもっと別の件で責められるべきだから。婚約者の件とか、婚約者の件とかね。あなたもそう思うよね、ラシェド?」
「おお、なんと悲しいお言葉……。ですが、我が身が清廉潔白であることは、神がご存じでいらっしゃいます」
「悪魔の間違いではありませんか」
オリオールがため息をつきながらも、わたしの隣の椅子を引いて腰を下ろす。
「陛下、あの二人は騎士団内で軟禁しております。ランデル王国側からは身柄を預かるとの申し出がありましたが、勝手に始末されては困りますからね」
「これで手打ちにしてくれ、って生首差し出されそうだもんねえ」
「ランデル王国側には、陛下の名誉のためならば、騎士団はいつでも死ぬ覚悟であるとお伝えしておきました。彼らの使者が早馬で母国へ向かったそうですので、戦争になると考えているのでしょうね」
「ありがとう。さすが頼りになるね、オリオール。あとの面倒くさい交渉事は全部元凶宰相にやらせようね。……ランデル王は即位したばかり。プライドが高いだけの王子様だったから人気もない。同母の第三王子をヒューデリアに婿入りさせようとしたのは、第二王子派を抑えるためだ。うちには名高い騎士団と戦神がそろっているからね。でもそれは最悪の結末を迎えた。さて、ランデルの王様と弟君はどう動くかな……」
わたしはぐだぐだとそうぼやきながら、顔を上げて頬杖を突いた。
それから、少しだけオリオールのほうに頭を傾けた。
オリオールは心得ている騎士様なので、わたしの無言のおねだりを察して、わたしの頭をぽんぽんと撫でてくれた。
「よく耐えましたね、セレンティア。あなたは侮辱を受けながらも冷静さを失わず、ふさわしいふるまいをなさいました。我が王は俺の誇りです」
「えへへ、えへへへへ、いやあそれほどでも、ぐふっぐふっ、もっと褒めてほしい」
「今の奇怪な声は何ですか、陛下? ヒキガエルの真似ですか?」
「ラシェドは黙ってて。ほんと黙ってて」
わたしは目を据わらせて、顔だけはいい宰相を睨みつけた。
美形大好きなわたしとしては認めざるを得ないくらい、ラシェドは顔だけはいい。
冬の空のような、凍えた薄青色の瞳は、彼が甘く微笑むたびに、悪魔すら狂わせるような魅力を持つ。その微笑みの恐ろしさをわかっていながら、眼が離せなくなる。
どうせ悪いことを考えている、と、わかっているわたしでさえ、絡めとられて、身動きができないような心地になる。
彼が慈愛の笑みを浮かべなら罠を張り、獲物の破滅を眺めながら酒を飲むような男だと知っているというのに。
ちなみにオリオールも整った容姿をしている。彼の場合はラシェドとはちがって、明るさに満ちた美形だ。その誠実な人柄と相まって、物語に出てくる理想の騎士様のようである。美しい金髪は、太陽のもとでまばゆく輝き、オリオール自身の端正な顔立ちもまた輝いている。
マリー曰く『この王宮で最も競争倍率の高い独身男性』だそうだ。
まあ、オーリは、わたしにとっては保護者同然の存在なのだけど。戦場でオリオールに守られたことは、両手の指では足りないほどある。
ラシェド? ラシェドには囮にされたことはありますねえ、ええ。
わたし自身の容姿については、言及するほどのものではないので、沈黙を守りたい。
お母様には似なかった、とだけいっておこう。
オリオールは、ラシェドに向き直ると、苦々しい口調でいった。
「今回の一件、言い訳があるなら聞きましょう」
「あなたに言い訳する必要を感じませんね」
「あの王子は公衆の面前で陛下を侮辱した。裏で手を回したのはあなただ、ラシェド。それでもなお、語る必要はないと?」
「そうだ、そうだ。反省しなさい、ラシェド」
わたしがオリオールの尻馬に乗ってはやし立てると、ラシェドは渋い顔になった。
「犠牲が大きければ、対価も大きい。先ほども申し上げたでしょう、我が君。ランデル王国の政治がどう動こうと、どちらに転ぼうと、必ず莫大な慰謝料をむしり取れます。それこそ、国境沿いの鉱脈の一つや二つ、ね?」
「ええ……。そこまでは貰えないんじゃないかなあ……」
「私にお任せください、我が君。尊き御心を傷つけた報いは、必ず受けさせましょう」
「ならまずはあなたが報いを受けたらどうです、裏切りの宰相殿」
オリオールがぴしゃりという。
わたしは驚きに身を固まらせて、それから恐る恐るオーリを見た。
─── うわあ、激怒してらっしゃる。
裏切りの宰相。ラシェドの過去に由来するその二つ名を、わたしが口にしたことはない。
理由は簡単で、ラシェドが裏切らないと知っているからだ。
オリオールだって知っている。だからめったにその二つ名は口にしない。
たまにそう呼ぶときは、わたしが尋常じゃない被害を被ったときだけだ。正しくは、被害を被ったと、オリオールがそう判断したときだけ。
……やっぱり、公衆の面前で婚約破棄をされるって、普通じゃないよね。最近振られてばかりいたから、感覚が麻痺しつつあったけど、普通に考えるとありえないよね……!
わたしが、密かにそう胸をなでおろしていると、ラシェドが忌々しくも美しい憂い顔でいった。
「そもそも……、事の元凶は、私ではなく、我が君に男を見る眼がなさすぎることではありませんか? だから毎回毎回、飽きもせず、破談になるのでは?」
「よーし、ラシェド。そこにじっとしてなさい。手頃な花瓶を見つけてきて、そのろくでもない頭をぶん殴ってやるわ」




