7.悪辣宰相の真相
光の騎士の舞台に関する条件は、女王と騎士の名誉を損なわないことだけ ─── 。
一般的にはそう思われているが、事実は少し違う。
ステン公爵が、舞台の話を持ち掛けてきたとき、ラシェドは複数の条件を出した。
そのほとんどは舞台とは関係ない、実利的な取引だったが、舞台の内容に対しても、いくつかは縛りをつけた。
複数の脚本を用意すること。そして、騎士と姫が恋に落ちない物語も用意すること。それは、条件の内の一つだった。
公爵は、当然ながら、困惑した顔になった。
そもそも、公爵が『光の騎士をモデルとした舞台』などという案を出してきたのは、彼の愛する舞台文化と、王家の関係が良好であることを、世間へ示すためだ。先王が娯楽を禁じ、王都一の劇場を潰させたことは誰でも知っている。舞台を生業としていた者たちの恨みはさぞ深かろうが、それでも、客を取り戻すためには、国に認められているという証が必要なのだろう。
オリオール卿が、女王陛下の第一の騎士であり、最も信頼が厚く、最も御心に近い……というのは、今や民衆にも広く知られた事実だ。
無論、王家の婚姻など、政治的背景によって左右されるもので、御心に沿うものではないということも、誰もがわかっているはずだが。
ラシェドは、酷薄と評される通りの笑みを浮かべていった。
「陛下はまだお若くていらっしゃいます。特定の人物との関係を、あたかも事実かのごとく吹聴されては、今後に差し障りが出ないとも限りません。私としては、それは避けたいのですよ」
公爵は、即座に察したのだろう。
その肉付きの良い顔から、さっと血の気を引かせて、取り繕うようにいった。
「ええ、ええ、それは、まったく、その通りです。舞台はただの物語。作り事です。ですが、そうはいっても、理解せぬ者もおりましょう。宰相閣下のご懸念は至極当然でいらっしゃる。いやぁ、私としたことが、配慮の足らぬことを申し上げました。どうかご容赦頂ければ幸いです」
女王の結婚を政治的駒として使えなくするつもりか? という、脅しじみた含みに対し、公爵が汗をかきながら弁明する。
ラシェドは笑みを絶やさずに、にこやかにいった。
「とんでもございません。女王陛下の御威光を世に知らしめるためにも、公爵閣下の提案は実に素晴らしいものだと思います。先ほども申し上げましたが、条件さえ受け入れて頂けるなら、一向に構わないのですよ。舞台については、私から陛下へ進言致しましょう」
「おお、さすが宰相閣下。まさに御慧眼でいらっしゃる。そうですとも、この世の隅々まで陛下の偉業を語り継ぐのに、舞台ほど適したものはございません。必ずしや、閣下の御心に沿う舞台に致しましょう」
公爵は、へつらった笑みを浮かべて、何度も頷いて見せる。そのわざとらしい態度を、しらじらと眺めて、話を終わらせようとしたときだ。
─── ふと、魔が差したとしかいいようがなかった。
「……悪役が、隣国だけというのも、つまらないでしょう」
あとから考えても、どうしてそんなことを口にしてしまったのか。
「オリオール卿が倒す敵の内の一人には、私も入れてください。そうですね、これを最後の条件に致しましょう」
馬鹿馬鹿しいほどの自虐に満ちた、愚か極まりない自傷行為だ。
わかっていたが、ラシェドは言葉を撤回しなかった。
公爵は、さすがに目をむいていたが、宰相が冗談をいったわけではないと悟ると、頬を引きつらせたまま、丁重な礼を取って退出していった。
※
光の騎士をモデルとした舞台が開幕してから数日後、宰相の執務室を訪れたのは、当のオリオールだった。
カツカツと、荒い靴音を立ててやってきた男は ─── 余談だが、この穏健派で知られる騎士団長が荒々しくやってくるなど滅多にあることではない。相手がラシェドであるときを除いては。……と、いうことを、ラシェドはセレンティアから聞いていた。「あなたほどオーリを怒らせるのが上手い人っていないよね」という呆れ顔付きだった ─── いつも通り、例によって、怒りに満ちた瞳でこちらを見下ろした。
「どういうことですか、ラシェド」
「質問は要点を踏まえて具体的に、と家庭教師から習わなかったのですか? ……あぁ、失礼。卿はご家庭の事情で早くから騎士団に入られたのでしたね」
揶揄する言葉にも、オリオールは顔色一つ変えずに頷いた。
「ええ、貧乏貴族でしたからね。それで、ラシェド? あのふざけた舞台は何ですか?」
「何と申されましても……、救国の英雄を描いた一大抒情詩の舞台だと聞いておりますが?」
「俺も宰相が許可を出したと聞きましたが」
「おや、人聞きの悪い。陛下にお伺いは立てておりますよ」
「セレ……っ、陛下は、宰相から、俺の許可は得ていると聞かされたと、驚いていらっしゃいましたが?」
今、セレンティアと、名前を呼び捨てにしかけたな、この男。
あぁ……、死んでくれないだろうか。できる限りぶざまに死んでほしい。セレンティアが悲しまないやり方で死んでくれ。神よ、どうかお願い致します。
そう、ラシェドは、信じてもいない神に祈った。
激情のあまり名前を呼び捨てにしかけて、途中で我に返って思いとどまる……などというのは、いかにも二人の付き合いの長さを感じさせる仕草ではないか?
いつもセレンティアと呼んでいるから、玉座に就かれた今でも、ついうっかりその名で呼んでしまう。そんな匂わせが周囲に対してしたいのか?
率直にいって死んでほしい。
今すぐ塵になってくれ、頼む。
ラシェドは、内心でそうつらつらと考えながらも、表情には出さずに微笑んだ。
「オリオール卿。これはセレンティア陛下が、先王とは違うことを、国内外へ示すための一手です。卿へ事後報告となってしまったことは、私の不徳の致すところなれば、心より謝罪いたします。ですが、どうか、ご理解いただきたい。光の騎士の名声が高まることは、陛下にとって強大な武器となるのですよ」
「……俺ばかりが名を上げることに、不満な者もいるでしょう」
「その筆頭が私であると思われている限りは、そのような者たちは不満をくすぶらせるだけです。私が動くことを勝手に期待して、自分たちでは何もしませんよ」
オリオールは、眉根を寄せてこちらを見て、確信のこもった声でいった。
「現宰相を悪役に据えたのは、やはり、あなたの考えですか」
「おや、舞台に現れるのは、宰相ではなく軍師だと聞いておりましたが?」
とぼけた声を上げてみせても、オリオールは、髪一筋ほども表情を変えなかった。
ただじっと、こちらを見据える眼差しでいった。
「ラシェド。あなたには、あなたにしか見えぬものがあるのでしょう。この世界で、あなたにしか読み解けぬ真理もあるのでしょう。あなたの才覚も、忠誠も、俺は疑ってはいません。 ─── ですが、あなたは、人間を駒として見過ぎている。あなた自身をも含めてです」
ラシェドは、薄く微笑んで、なにも答えなかった。
※
カイから帰還の報告を受けたとき、ラシェドは舞台のチケットを手配した。
この時期にカイが王都にいるとなれば、セレンティアは間違いなく、件の芝居を目当てに、お忍びで出かけようとするだろう。カイの腕前は、オリオールも認めている。
(もっとも、かつて、セレンティアの母君であるエスティア妃の救出のために、カイにオリオールの暗殺を依頼したときには、“災厄の黒羽根”と恐れられていたカイよりも、オリオールのほうが勝ったのだが。予測通りの結末だったとはいえ、オリオールが暗殺者の襲撃を事もなく退けた挙句、叩きのめした光景には、ラシェドは少々引いた。オリオールこそ化け物だろう。皆、あの顔面の爽やかさに騙されているだけだ)
カイが護衛につくといえば、過保護な騎士殿は引き下がるだろう。そして、セレンティアから、お忍びの協力を求められるのは、間違いなく自分だ。ラシェドは少しばかり、ワクワクとした気分で、チケットを用意した。
─── セレンティアは、さぞ、がっかりすることだろう。
ラシェドが手配した舞台は、姫君と騎士が恋に落ちて、末永く幸せに暮らしましたという結末を迎えるものではない。どちらかといえば軍記物の色合いが濃く、騎士はどこまでも高潔で誇り高い。主君に対して忠誠心が厚いが、それだけだ。
それだけ。それ以上のものはどこにもない。恋愛の欠片も出ては来ない。
─── セレンティアは、さぞ、がっかりすることだろう。
だが、言い訳は用意してある。皮肉なことに、騎士と姫君が恋に落ちない物語は、最も集客力が高く、利益を出していた。ステン公爵いわく、熱心に何度も通う常連客が多いらしい。おかげさまで、立派な大義名分ができた。一番人気の舞台。お忍びの主君をお連れするのに、これ以上ふさわしい場所はないだろう?
─── セレンティアは、さぞ、がっかりすることだろう。
彼女が肩を落とす姿を思い浮かべて、ラシェドは、幼子のように、わくわくと、胸を高鳴らせた。悪趣味だなどというのは、今さらだ。自虐にもなりはしない。
生まれてこの方、自分が善人であったためしなどあるものか。
始めから、この世に生まれ落ちた瞬間から、清く正しい光の騎士殿とは、正反対の場所に位置しているのだ。
セレンティアの落胆が見たい。悲しむ顔が見たい。何も気づいていない無邪気さで、自分に協力を頼んでくるだろう彼女が、期待を裏切られて嘆く姿が見たい。
……そのはず、だったのだが。
「ごめん、ラシェド。あなたは素晴らしい軍師なのに。あんな悪役にされてるなんて思わなかったの。連れてきてしまって、ごめんね」
( ─── なぜ、そのようなことをおっしゃるのですか、セレンティア)
彼女に謝られた瞬間、ラシェドはうまく息ができなかった。




