6.女王陛下と悪辣な宰相
酒場と食事処を兼ねた店で、夕食を取る。
焼き立てのパンと、具沢山のスープ。それに、熱々の炙り肉から、肉汁が滴り落ちる。いつもだったら、美味しさを嚙みしめているところだけど、今夜は気が重かった。
あの“悪役”について、どう切り出そうか迷っているうちに、マリーがいった。
「意外と面白かったわ。特に、あの下種で屑で品性下劣な軍師が、最高に笑えたわね」
「マリー!」
「ティアは、先ほどから、浮かない顔をしていますね。もしかして、あなた好みの物語ではなかったのでしょうか?」
ラシェドが、さらりと聞いてくる。
わたしは、まじまじと彼を見た。薄青色の瞳は、変わりなく冷たく、そこにどんな含みも見て取れない。実際、彼は、気にしていないのかもしれない。
だけど、わたしは嫌だった。
だから、勢い良く、頭を下げた。
「ごめん、ラシェド。あなたは素晴らしい軍師なのに。あんな悪役にされてるなんて思わなかったの。連れてきてしまって、ごめんね」
ラシェドは、なぜか、言葉の意味を測りかねたかのように、小さく眉をひそめた。
「……私、ですか」
「えっ、うん。だって、ラシェドの名前で、呼ばれていたから」
「ああ、いえ……。あなたが、その程度のことを、お気になさるとは思わなかったので」
わたしは、思わず、ぽかんと口を開けてしまった。
ラシェドを見返せば、彼が本心から困惑しているのだとわかる。
わたしは、つい叫ぶようにいってしまった。
「気にするよ!? 最悪の気分だったよ!? 舞台の上まで突撃して、こんなの全部嘘だって叫びたいくらいだった!」
「……たかが芝居ですし。すべて作り事ですよ」
「そうだけど! でも、人の名前を使うなら、相応の敬意を払うべきじゃないの!?」
「まあまあ、落ち着いて、ティア」
カイが、塊肉の串焼きから、きれいに肉を切り分けて、わたしの皿に盛ってくれながらいった。
「気にすることはないよ。悪辣な宰相閣下は、初めからすべてご存じだ。わかっていて、あの芝居のチケットを手配したんだから、ティアが憤ることじゃないだろう?」
わたしは、ぱちぱちと瞬いて、ラシェドを見た。
向かいに座る、怜悧な宰相は、薄青色の瞳を、そっとそらした。
カイが、ため息をつきながら「俺がもっと早くに気づいていたら、別の劇場の席を取ったんだけどね」と零す。
マリーは、ハッと嘲るように笑った。
「悪趣味も極まれりね。芝居の中の軍師と、大差ないんじゃないの」
「私があれほどの無能に見えるのなら、あなたの眼もたいがい節穴ですねぇ、マリエール」
マリーとラシェドが、再び戦争を始めそうになるのを、わたしは片手を突き出して止めた。
「待って」
「はい」
「知っていたの、ラシェド?」
「私が公爵と“話し合い”をしましたからね」
「あんな最低の悪役にされるってことも、聞いていたの?」
「今さら落ちるような評判は持っておりませんし、これで侮られるなら、むしろ好都合かと思いましたが……」
ラシェドは少し困ったような顔をして、わたしを見た。
「裏切りの宰相ですよ、ティア。悪名が増えたところで、私は何の痛痒も感じません」
「……それでも、わたしは嫌だったの」
ラシェドは、あいまいな笑みを浮かべて、酒の入ったグラスをもてあそぶと、やがて嘆息していった。
「わかりました。再度、公爵と話し合いの場を持ちましょう」
「ありがとう……! わがままをいって、ごめんね」
「あなたが謝るようなことではありませんよ」
「そうよ、なんであんたが謝るのよ。全部こいつの自業自得よ」
「俺も、こればかりはマリエールに賛成するね。宰相閣下が、もっとマシに描かれている舞台もあるんだから。閣下はあえて、一番最低な脚本を選んだんでしょう」
「えっ、そうなの? どうして?」
「王都で一番人気だからですよ。それよりも、ティア。変えてほしいのは、軍師の描写だけですか? ほかにもあるのではありませんか?」
唐突に尋ねられて、わたしは首を傾げた。
ラシェドはまるで、あると確信しているような物言いだ。
だけど、改めて舞台を反芻してみても、ラシェド以外で悪く描かれていた人はいなかったと思う。わたしだって、あのラシェドの名前を騙る、下劣な悪党が出てくるまでは、ワクワクしながら見ていたのだから。
「……ほかにはないよ?」
「本当に? 正直におっしゃってください。あなたの望みを叶えるのが、私の役目ですから」
「ラシェド以外は、べつに……。なにか、引っかかる所があったの?」
逆に聞き返すと、ラシェドは、薄い笑みを浮かべたままいった。
「結末がお気に召さないのではないかと」
「あなたが悪役として倒されること? それはもちろん嫌だったよ! あれは絶対変えてほしい!」
わたしはこぶしを握って訴えたけれど、ラシェドは首を横に振った。
「いえ、そうではなく……。騎士の冒険譚というのは、一般的には、騎士と姫君が結ばれて終わるものでしょう? そういった物語をお望みでしたら、今回の芝居は、ご期待に沿えなかったでしょうからね。申し訳なく思っておりました」
「へえ、普通はそういうものなの? いいよ。全然いい」
わたしは、重々しくいった。
「だって、考えてみてよ。その一般的な展開だったら、オリオールと結ばれるのは、15番目の王女になってしまうじゃない……」
「さようでございますね」
「ございますね、じゃなくってね!? そんな展開だったら、わたしはオーリにも平謝りだよ!? このうえ、謝る相手を増やさないでほしい!」
「ああ……、なるほど」
ラシェドは、ようやく納得してくれたらしい。
一般的に考えて、付き合ってない男女を、お芝居の中で勝手にくっつけるのはまずいだろう。それは、まあ、オリオールは、ああいう性格だから、怒りはしないだろうけど。
でも、物語とはいえ、勝手に恋人を作られるのは、オーリに想いを寄せている女性たちも嫌がるんじゃないだろうか?
あの芝居の後にも、オーリの姿絵を買っている女性客は大勢見かけた。
(ちなみにわたしは、ラシェド役の姿絵を探しに行く気力なんて全然なかった。あんなのラシェドじゃないし、姿絵が欲しくもない。それに、あの扱いで、姿絵が描かれているのかも怪しい。あんな性根の腐った人物の姿絵が欲しい観客がいるとは思えない)
オリオールは王宮内でもモテるけど、王宮外でもモテる。かつて、騎士団の砦に常駐していた頃もモテたし、今だって、夜会に現れようものなら、令嬢方の熱い眼差しがすごいのだ。
オリオールに恋人ができた日には、暴動が起こりそうな勢いだ。
前に、そんな話をお母様にしたら、「誰も文句をいえない相手が、わたくしの前にいると思うのだけど」と美しく微笑まれた。
お母様は昔から妙に、わたしの結婚相手としてオーリを勧めてくるところがある。まあ、誰よりも信頼できる騎士に、娘を託したいという親心なのだろう。でも、たとえわたしが自由恋愛ができる身分だったとしても、オーリのことは父兄にしか見えない。
何度もそういっているのだけど、お母様はなかなかわかってくれないので困る。
その辺りのことを考えると、あのお芝居は、『一般的ではないらしい結末』という点では素晴らしかったのかもしれない。わたしとしても、王女と騎士の恋愛劇なんて繰り広げられても、どんな顔で見ていいのかわからない。隣にラシェドがいるなら、なおさらだ。
もしかして、ラシェドは、わたしに気まずい思いをさせないようにと考えて、あえて王女と騎士が結ばれない脚本のお芝居を選んだとか……?
うーん、いや、ないか。もしそうだったら、ラシェドの気遣いが嬉しいな、なんて思ったけど、この人、芸術全般に興味がないしね。
ラシェドは、本人曰く、思い出せない事柄はないけれど、どうでもいいことは、日常においては忘れているらしい。どうせ、あの舞台の内容だって、思い出す気にもならなかったんだろう。舞台を鑑賞している最中に、一般的な結末 ─── つまりは恋愛的ハッピーエンドではなかったことを思い出して、女王陛下の期待に沿えなかっただろうか? と考えた程度だろう。
わたしは、なんとなく、肩の力が抜けた気分で、果実水を飲んだ。
ラシェドは本当に気にしてない。それがわかって、心が軽くなる。
よーし、せっかくのお忍びなんだから、今は楽しもう。
わたしは、切り分けてもらった炙り肉を頬張って、美味しいねと相好を崩した。




