3.城下街にて
石畳の道を、わたしは浮き立つ気分で歩いていた。
城下街の大通りは、今日も人の行き来が多く、賑わっている。あちこちの露店からは、盛んに呼び込みの声が響いていた。
わたしが一緒にいるのは、マリーとカイ、そしてラシェドだ。
お忍びで出かけたいということを、マリーに打ち明け、ラシェドに協力を求めると、二人とも、一緒に行くと譲らなかった。マリーは、普段から心配性なので、カイが護衛にいるといっても「あんた一人で街に下りるなんて駄目よ」というだろうことは予想していたけれど、ラシェドは想定外だ。
彼は、オリオールがモデルの芝居に興味があるわけでもないし、カイがいるなら大丈夫だとわかっている。だいたい、ラシェドは軍師であって、女王の護衛に適しているとは言い難い。本人だって、普段から「私に剣を持たせたところで瞬殺ですよ。無論、私が殺される側です」と公言しているような人だ。
だけど、ラシェドは、わたしがこっそり芝居を見に行きたいというと、にこやかに微笑んで、協力と引き換えに同行を申し出た。
「私もたまには息抜きがしたいのですよ、我が君」
……と、いわれたけれど、ラシェドは、あの公爵みたいに、芝居好きじゃない。そもそも、芸術全般に関心がない人だ。休日になれば、自室に引きこもって書物に埋もれているか、怪しげな薬の調合をしている。もしくは、情報収集のために、怪しげな会合に顔を出しているか、怪しげな相手に会っているか、まあ、その辺りだ。だいたい怪しいことをしている。
わたしは、ラシェドの意図が読めずに戸惑ったけれど、チケットまで手配してくれるといわれたら、拒む理由もなかった。
─── うん、本心をいってしまうと、拒むどころか、大歓迎でした……。
※
……こんな気持ち、表に出してはいけないとわかっている。
わたしが告白したとき、ラシェドはこういった。
『私の忠誠は、永遠に貴女のものですよ、我が君』
わたしだって、その言葉の意味がわからないほど、鈍くはない。
ラシェドはわたしのことを、特別に好きではなかった。わたしが彼を想うようには、彼はわたしを思ってはいなかった。ただ、日常を共有する相手への情のようなものだけが、そこにはあった。
だから、彼は“なかったこと”にしてくれたのだ。面と向かって拒絶すれば角が立つ。わたしとの関係がこじれたり、ギクシャクすれば、その影響は、軍全体へ及ぶ。わたしたちだけの問題ですむことじゃない。大勢の命に関わることなのだ。
ラシェドは、大人として、軍師として、臣下として、最善の態度を取った。
……それがつらくてたまらないなんていうのは、わたしの勝手な言い分だ。なかったことにしないでと、泣きたくなるのは、わたしの中の“ただのわたし”だ。これといって秀でた才能もなく、本来は王位につくはずもなかった、平凡なわたし。
もしも、わたしが、ただの貧乏貴族の娘だったら。
あるいは、ただの町娘だったら。
諦められないと、あなたが好きなのと、追いかけることもできたんだろうか?
ラシェドはああいう性格の人だから、素っ気なくあしらわれるだろうけど、それでも、好きといい続けて、どんな仕事でもするから、傍に置いてほしいと、まとわりついて……、そんな風に……、たとえ結末は同じだとしても、気持ちを押し殺すのではない終わり方が、あったのだろうか。
─── なんて、そんな空想をしたこともある。一瞬だけだ。
わたしは貧乏貴族の娘でも、町娘でもなく、十五番目の王女だった。
わたしは、わたしの望みのために戦い、多くの血を流した。赤く染めた道の先で、玉座に座った。わたしがその重みを忘れることはない。今さら引き返すことなどできないし、そのつもりもない。
今やわたしは女王で、ラシェドは宰相だ。
わたしたちには、ふさわしい距離感がある。適切な関係がある。わたしはこの気持ちをもう二度と表には出さないし、心の奥底にずっと隠しておくのだ。
本当は……、ラシェドを忘れて、吹っ切ってしまうのが一番いいと、わかっている。
そして、早めに、国内外の有力者から、夫を迎えるのがいいのだろう。
政略結婚にはなるけれど、夫になる人と、できることなら、愛をはぐくめたら、最善だ。
そう、頭ではわかっているのだけど、なかなか、心がついてきてくれない。わたしは重度の面食いのはずなのに、それでも、ラシェドが世界で一番格好良く見えてしまう。
……いや、でも、ラシェドって、実際に、すごい美形だよね……?
ハッキリいって、容姿の良さならオリオールにも負けず劣らずというか、ラシェドのほうが格好良いと思う。
残念ながら、マリーの同意を得られたことはないけれど。欲目が入っていることも認める。ごめん、オーリ。いや、オーリも本当に格好良いよ……!
ただ、マリー曰く『たとえ王宮中の女官に聞いて回ったとしても、全員が全員、オリオール卿のほうが素敵だというわよ』だそうだけど、わたしはそこまで差はないと思う。それにみんな、悪評の色眼鏡で見過ぎだと思う。確かにラシェドは、人間性に問題がある、あるけれども。でも、顔だけはいいです。断言します。
美形大好きなわたしが吹っ切れないのは仕方ないくらい、容姿だけは整っている……!
※
今日はそんな、世界一の美形で、こっそり好きな人と一緒に出かけられる。
それも、行く先が、戦場でも会合でも視察でもない、ただのお芝居を見に行くだけなんだ。
わたしが少しくらい浮足立ってしまっても、仕方ないと思う。
マリーに頼んで、髪飾りを用意してもらったのも、大目に見てほしい。あくまで庶民価格の髪飾りだし、変装の一環と言い訳ができる範囲だろう。
そう、今のわたしとマリーは、変装のために、洗いざらしのワンピース姿をしている。どこにでもいる普通の町娘だ。
もっとも、マリーは、平凡な服装をしたくらいでは、到底群衆に紛れられないほどの美貌の持ち主だ。先ほどから、すれ違う人々が、マリーとラシェドとカイに、それぞれ目を奪われているのがわかる。
一方のわたしは、完璧に、どこからどうみても、その辺にいそうな町娘だ。平凡さが極まっている。街並みに溶け込みすぎて、もはや埋没しているといっていいだろう。
……自分でいうのもなんだけど、わたし、これでよく、王位についているよね。こんなにも平凡な町娘を女王様に見せる、王冠と、豪奢なドレスと、高価な装飾類の効果はすごいと思う。
まあ、わたしは別に、玉座を目指していたわけじゃないから、不釣り合いでも仕方ないんだろう。王冠が欲しかったわけじゃなかった。わたしはただ、受け入れられなかっただけだ。わたしの大事な人たちが、この国の民が、王の名のもとに踏みにじられていくことを、認められなかった。
わたしは、ぐるりと街並みを見回す。王都の中でも特に名高いこの城下街は、今日も活気があった。そのことに、ホッと胸をなでおろす。ああ、よかったなと思う。温かな気持ちが、胸に満ちていくのを噛みしめた。




