1.女王陛下は舞台を見に行きたい
本編前(まだラシェドとセレンティアが恋人になる前)の話です。
「いやあ、陛下にもぜひ一度ご覧いただきたいものですな。光の騎士オリオールの英雄譚、今年の公演は見事な仕上がりですぞ」
「……そなたは、相変わらずの芝居狂いよな。もし、わたしが興味を持ったとしても、そなたには話さぬわ」
冷たく言い放つわたしに、恰幅のよい公爵は、たゆんと腹を揺らせて嘆いた。
「おお、なんと哀しいお言葉。この王都で、私以上に演劇に詳しい者はいないと自負しておりますのに」
「王都に活気があるのはよいこと。わたしも民の楽しみを取り上げるつもりはない」
「女王陛下の寛大な御心に、皆感謝することでしょう」
「しかし、女王の贔屓などという看板を与えてやるつもりもない」
公爵が誤魔化すように笑う。
わたしは目をすがめて公爵を見ながら、内心で叫んだ。
わたしだって、わたしだって、できるものなら、オーリの舞台見に行きたいよ!!!
光の騎士オリオールの英雄譚。
それは、オリオールがモデルとなっているお芝居の題目だ。
私の即位以来、夏になると毎年王都で公演される人気演目である。聞いた話によると、古典演目以外では、我が国では最も上演される回数が多いらしい。王都の夏公演は有名だけど、それ以外にも、地方を回る旅芸人の一座でよく演じられるそうだ。
まあ、全部人づてで聞いた話なんですけどね。一度も行ったことないからね。悲しい。
私は、胸の内でしくしくと泣きながらも、表向きは冷たい女王の顔を保ったまま、公爵の雑談を打ち切った。
※
一日の公務を終えて、重苦しいドレスを脱ぎ、楽な寝間着姿になって長椅子に転がる。
教師から出された課題の本を読みながら ─── わたしはお母様以外の教師を持たないまま戦場に送り出されたので、即位してからも勉強は欠かせない未熟者なのである ─── ページをめくる手を止めて、はあとため息をついた。
いいなあ、いいなあ。わたしだってオーリのお芝居見に行きたいよ。
昼間に謁見を許したのは、ステン公爵家当主であるセーデル・ステンだ。確か50歳を過ぎている彼は、年若い女王に冷たくあしらわれても、本心からニコニコしていられる貴重な人物である。
けれど、その一点を持って、彼が人格者であるとはいいがたい。
なぜって彼は、有名な『芝居狂い』なのだ。
かつて公爵が先王を見限り、わたしを支持したのは、先王が広く娯楽を禁じたからだ。
先王は、第一王子以外に、新たに男子が生まれないのは、民の自堕落な生活が、神の怒りに触れたからだと信じていた。
そこには、神殿が、影響力を強めるために、先王を煽ったという要因も大いにある。
しかし、それでも、命令を下したのは先王だ。
責任も評価も、玉座が受ける。
そして、王都一と評判だった劇場が、見せしめのために破壊されたその日に、ステン公爵はわたしのもとを訪れたのだった。
公爵がわたしを支持するのは、わたしが演劇をはじめとする娯楽のたぐいを禁じないからだ。女王が芝居に興味を持つことはないけれど、関与もまたしない。公爵にはそれで充分らしい。
そんな人物なので、今日の謁見だって、本来の執務の話は二割程度で、ほとんどが芝居の話を聞かされて終わった。
いくつもの劇団の有力な支援者となっている公爵は、ぜひとも、贔屓の舞台に女王を招待したかったのだろう。あれが、自分の名誉欲ではなく、自分の愛する俳優に名誉を与えてあげたいという欲望なのだから、また、たちが悪い。
純粋に、楽しそうに、幸せそうに、舞台の素晴らしさを語られたら、わたしだって行きたくなるじゃない! 当たり前だよ!
そもそも、私の保護者同然のオリオールがモデルのお芝居だよ? 最初に公演が始まったときから、真っ先に見に行きたかったよ!
……でも、女王が行ったら、大事になってしまう。どの劇団を見に行くかを選ぶだけでも、大騒ぎだ。女王のお気に入りという名誉は、誰にとっても魅力的なものだから。
わたしは、まるで頭に入ってこない課題の本をローテーブルに置くと、気分を変えようと立ち上がり、水差しを手に取った。
お忍びで、こっそり観覧に行くという手も考えたことはある。けれど、その場合、護衛の問題があった。オリオールは、絶対に、自分が護衛としてつくというだろう。でも、わたしは知っている。オーリは例の舞台が苦手なのだ。自分がモデルの英雄譚というのが、耐えがたいほど恥ずかしいらしい。夜会で美女に誘われても、騎士団の友人たちから誘われても、あの舞台を見に行くことだけは頑なに断っていた。
そもそも、自分をモデルにした舞台自体、オーリが許可したものではなかった。ラシェドのだまし討ちのようなものだ。
わたしがお忍びで見に行きたいといえば、オリオールはついてきてくれるだろう。我慢して一緒に観覧してくれるだろう。
でも、それはいくらなんでも、オーリに悪い。オリオールにはいつも助けられているのに、恩を仇で返すような真似はしたくない。
わたしはグラスを置いて、小さくため息をついた。
「あーあ……、せめてカイがいてくれたらな」
「呼んだかい、姫?」
わたしは悲鳴を上げかけて、懸命に飲み込んだ。
まるで陸に上げられた魚のようにビクビクとのたうちながらも、必死で口を抑えて、そろりそろりと振り返る。
そこには予想通りの美しい青年が ─── ……なぜか、しっかりと目を閉じて立っていた。




