番外編:お仕事争奪戦(前)
「大人しくそれを渡して、ラシェド。今ならまだ、オリオールにいいつけないであげるわ」
「ふふっ、我が君、私がオリオールごときに怯むなどと思わないで頂きたいものですね。戦のない、平時のオリオールなど、寝ぼけた虎のようなもの。私がその気になれば、いつでも破滅させられるのですよ」
「わかった。じゃあ、今夜から、あなたの食事はオリオールにお願いしてあげる」
ラシェドの顔が、眼に見えて引きつった。
オリオールの手料理は、まずいわけではないけれど、絶妙に草の味がするのだ。
まずいわけではないんだけどね……。普通に野草を入れるからね、オーリは……。
オリオールは、食べられる草花について大変詳しい。わたしのお母様から伝授された知恵だ。
わたしのお母様も、その辺りに生えている草花が食べられるか、食べられないかという究極の二択に関しては、右に出るものはいないほどの知恵者である。
わたしも物心ついた頃から、謎の野草入りの食事をしてきたので、慣れてはいるのだけど、正直にいっていいなら、草は入っていないほうがご飯は美味しい。
ラシェドは、頬を引きつらせつつも、いつもの胡散臭い笑みを浮かべて、往生際悪くいった。
「私は私の仕事をしているだけですよ、我が君。責められるいわれはございません」
しらじらしい言い訳だ。
わたしは、胸の前で腕を組み、仁王立ちして、彼が隠そうとしているものを睨みつけた。
ラシェドが腰かけている寝台の上に、積み重なっているのは、予算案、法案、事業計画書、報告書……もろもろの、仕事の書類である。
彼は、絶対安静を命じられている身にも関わらず、医官やわたしの目を盗んでこっそり仕事をしていたのだ。
「今のあなたの仕事は、休むことなの。アメリアのいうことを聞いて、安静にしてねって、わたしは何度もいったよね?」
「ええ、ですから、こうして寝台の上で、安静に仕事をしているではありませんか」
「ああ言えばこう言う……! もう、誰があなたの所へ書類を持ってきているのかな……! いい、ラシェド?」
わたしは傲慢な眼差しで彼を見下ろし、ひときわ冷たい声でいった。
「次に部下に書類を調達させたら、その部下を処罰するわ。それが嫌なら、大人しくしていなさい」
ここまでいえば、いくらラシェドだって、引いてくれるだろうと思った。
けれど、ラシェドは、嘲笑うように、薄い唇を引き上げた。
「おやおや……、臣下の忠誠心を量ろうというのですか? 直属の上司である私と、至高の女王陛下のどちらの命に従うかを、試そうと? ……罪な御方だ。板挟みになった者は、さぞ苦しむでしょうねえ……。いかに私といえども憐れみを覚えますが……、無論、それが我が君の望みであるなら、私に否はございません」
「そっ、そういうことじゃなくて……!」
わたしは慌てていった。
「量ろうなんて思っていないし、忠誠心を疑ったこともないよ。あなたたちはいつも国に尽くしてくれている。感謝してる。でも、それとこれとは別でね……!」
そういい募ってから、目の前の男がにやにやと笑っていることに気づいた。
わたしは、思わず、こぶしを振るわせた。
「ラシェド……! あなたね!」
「いけませんね、我が君。脅しをかけるならば、もっとうまくやらなくては。脅迫材料に心を揺らしてどうするのです? 人質に取ったならば、いつでも斬り捨てる冷酷さを持たなくてはいけませんよ」
「もっともらしい顔でいってるけど、おかしくない!? そんな駆け引きが必要な場面だった、いま!? あなたが大人しくしてくれたら、それですむと思うんだけど……!」
「部下の一人や二人減ったところで、さほど支障はございませんからねえ」
「さらっと鬼畜な発言をしないで」
ラシェドの場合、本心からいっているのが、問題がありすぎる。
わたしが、どうやって彼から書類を取り上げようか悩んだとき、ラシェドは笑みを含んだ口調でいった。
「ですが、その守るべき部下たちから泣きつかれたのですよ。私がいなくては到底仕事が回らぬと。どうでしょう? ここは、部下たちのためにも、私の執務復帰をお許しになられては?」
「だめです」
わたしは胸の前で大きくバツを作ってみせた。
それから、ひどく申し訳ない気持ちになっていった。
「ラシェド。わかっているんだよ。……本当は、わたしのためでしょう? 宰相のサインが必要な書類を、宰相に代わって処理できるのは、王であるわたしだけだから」
ラシェドが倒れてから、わたしの仕事が格段に増えたのは事実だった。
そして、わたしがそれを、ラシェドほど短時間で処理できないことも。
「あなたは、わたしを心配して、具合が悪いのに仕事に戻ろうとしてくれているんだよね」
「我が君……」
ラシェドは、困ったように微笑んだ。
「それはちがいます。私はただ、自分が行ったことの対価を支払おうとしているにすぎません。そう……、オリオール卿ならば、私の自業自得だというでしょう。私も同意見ですよ。むしろ、我が君にご迷惑をおかけしていることを、詫びなくてはなりませんね」
暗殺未遂事件が、ラシェド自身の策略だったことをいっているのだと、わかっていた。
確かに、二度と、自分で毒をあおるような真似はしないでほしい。それは何よりも強く思うけれど、だからといって、未だ体調の戻らないこの人に、働いてほしいなんて到底思えない。
休んでほしいのだ。心配でたまらなくなってしまうから。
「ラシェド。わたしは、あなたほど有能じゃない。それは自分でもわかってる。あなたから見たらきっと、すごく頼りないんだろうね。でも……、今はわたしを信じてほしい。わたしを信じて、休んでほしいんだ」
わたしは、わたしにできる限りの誠意を込めて、そう告げた。
ラシェドは、わずかに視線を落として、小さく息を吐き出すと、軽く頭を振っていった。
「やれやれ……。我が君ときたら、まったく……、困った御方ですね」
「それはわたしの台詞じゃないかな?」




