2-6.お姉さんとイイコトする?
「ねねね、まこちゃんってさぁ、好きな子とかいるの?」
突然の質問に、俺は抱えていたピザを落としそうになって、すんでのところでそれをキャッチした。
「おっ!? その反応、もしかしている系?」
「い、いないですよ!」
「え~、いいじゃぁん、お姉さんに教えてよぅ」
「お姉さんって……みゃーこさん、いくつですか?」
「今年でちょうど二十歳になりましたぁ~! いぇーい!」
みゃーこさんは、ピースサインの人差し指と中指をハサミのように動かす。俺がやればカニの威嚇のものまねにしかならないであろう動きだが、華やかなギャルがやれば様になるのだから不思議だ。
「二十歳っぽいすね」
「それ、ほめてる?」
「なんかかわいいと大人っぽいのちょうど中間って感じっす」
「え、やば! まじ? まこちゃん大好き! ね、お姉さんとイイコトする?」
「し、しません……」
本当はしたい。したいが、それは違う。っていうか、冗談でも、ピザを持っている腕に体ごと腕を絡ませてくるのはやめてくれ! 胸が! 胸が当たる! 最高の地獄すぎる!
「えぇ~、つまんないのぉ」
みゃーこさんは唇をとがらせ、あっさりと腕をほどいた。不満げな顔をすぐさま笑顔へ反転させ、俺にウィンクを投げる。
「あ、でもしたくなったらいつでも言ってね? うち、いつでも大歓迎だから」
オレンジのショートボブがさらりと風に揺れ、思わず「はい」とうなずきそうになった。
さすがギャル。魔性の女だ。ピザ屋のオカマ店長が言っていたことが本当ならば、彼女は正真正銘のビッチ。誰にでもこう言っているのだ。正気を保て、俺。
必死に理性で気持ちにブレーキをかけ、ピザを抱えなおす。
話題を恋愛方面から遠ざけなければいけない。となれば、勉強か、部活か、バイトか? 趣味は……みゃーこさんのことだから、とんでもないのが出てくるかもしれない。まずは無難に学校生活だな、よし、これでいこう。
「みゃーこさんは」
「あ、みゃーこでいいよ。うち、そういうの慣れてないし」
「……じゃあ、みゃーこ、は、大学生とかっすか?」
慣れない呼び捨てにもにょもにょと口を動かすと、みゃーこがほんの少しだけ顔を曇らせた。先ほどまでの底抜けに明るい笑いかたではなく、どこか寂しそうに目を細める。
「あー……実は、がっこ、行ってないんだよね」
まずった。完全に地雷を踏みぬいた。
彼女の声色を視た俺は口をつぐむ。さっきまで声を彩っていたひまわりのようなまばゆさはすっかりなりを潜めてしまっている。
――このアパートの住人は、みんなヒミツを抱えてる。見た目で判断せんことやね。
そう言ったみく姉の声がやけに鮮やかにリフレインする。
こういうことだったのか。みく姉、先に言っといてくれよ。いや、でも他人のヒミツを勝手にばらすのはよくないのか。くそ……。
このまま沈黙を長引かせるか、むしろツッコんで聞いてしまうべきか。俺が迷っていると、みゃーこのほうが
「大学は辞めちゃったの。で、今はフリーターでぇっす!」
と無理やりな笑顔を見せた。明るく振舞おうと取り繕っているのが声からわかってしまって、どんな顔をすればいいのかわからなくなる。
俺の無言を返事と捉えたのか、みゃーこは
「あ、フリーターもね、めっちゃいいよ。最高。てか、うち、普通に働くとか多分無理だし!」
とさらに続けた。まくしたてているわけではないのに、その勢いに乗らねばみゃーこを傷つけてしまうような気がして、俺もへらりと笑みを作る。
「まじすか。じゃ、俺もフリーターなりてぇっすわ」
声に出して、存外それもわるくないと思う。今までは、俺のために必死に働く母さんを見てきたから、俺も必死にバイトして、稼いで、いつか母さんを支えられるくらいちゃんとした収入を、と思っていた。でも、その母さんだってもういない。
「でしょ? まじ最高よ。朝から晩までやりたい放題。めっちゃ遊べるし」
しんみりしそうになって、みゃーこの溌剌とした声に引き戻される。今度はみゃーこに気を遣われたかな、と思った。ギャルは総じて対人能力が高いらしいから。
「じゃ、困ったときはみゃーこに弟子入りしよっかな」
「あっは! フリーターの? いいね、最高じゃん! お姉ちゃんが教えたげる!」
みゃーこの声が底抜けに明るくなって、俺はなぜかホッとした。少しだけみゃーこに救われたぶんだけ、俺もみゃーこを救えたのかな、なんて。大げさだけど。
「てか、それよりピザ持ってもらえません? さすがにちょいキツイっす」
「えぇ~、しょうがないなあ。まこちゃん、もっと鍛えたほうがいいよぉ。ほっそいし!」
「っすね……ちょっと、最近いろいろあったんで」
引きこもっていたとは言えず、適当にごまかす。
「ふぅん。いろいろ、ねぇ」
みゃーこは含みを持たせて呟いた。『いろいろ』という言葉にどんな意味があるのかを知っているみたいだった。だが、俺の頑ななバリアを感じてか、それともギャルのコミュニケーション能力とやらがそうさせるのか、みゃーこはそれ以上詮索する素振りも見せず、俺の手からピザの入った箱をひとつ取りあげる。
「あとでみく姉から手間賃もらおーね!」
みゃーこはわざとらしいほど軽やかな足取りで地面を蹴った。




