2-2.みんなヒミツを抱えてる
事件が起きたのは夕方だった。
「きゃぁぁぁぁぁぁああああっ!?」
耳を貫く悲鳴が、ゴミ出しを終えた俺の背後で響く。振り返ると、そこには黒髪にピンクメッシュのツインテール女子が立っていた。
ぱっちりとした目鼻立ちはかわいらしい。顔にはいわゆる地雷系メイクが施されており、服装もよくある地雷系ファッションだ。
美人だけど、こういうタイプは不用意に近づかないが吉。そう思っていたのに、
「なんで男がいんのよ! キモ! 不潔! こっちジロジロ見んな!」
すさまじい勢いで罵声が飛んでくる。おい、キモイはともかく不潔ではねえだろ。てか、いきなり見知らぬ赤の他人にここまで罵詈雑言をはくほうが人間としてやばくね。いやでも、挨拶もまだだったしな。ビビらせたなら俺のせいか?
「あー……はじめまして、今日から一〇三号室に引っ越してきました。高梨と言います」
「ぎゃぁぁぁあああ! 不審者ぁぁぁぁあああ!」
適当にやり過ごそうと自己紹介しただけなのに、再び大声をあげられた。いや、なんでだよ。
遅れて、バタバタと誰かが走ってくる音が聞こえる。
「鈴ちゃんっ!?」
ゴミ捨て場へと駆けこんできたみく姉に、鈴と呼ばれた地雷系がひしと抱き着く。
「みくちゃんっ! やばいよ、不審者! あいつ、ゴミ箱漁ってたんだけど!」
「漁ってねえよ! っていうかここ、俺の家!」
「昨日まで男なんかいなかったもん! 信じらんない! あんたなにもの!?」
「住人だって! さっき自己紹介したじゃねぇか!」
鈴に負けないよう、必死でまくしたてる。いがみ合う俺と鈴の間に挟まれたみく姉が、あらあらまあまあ、といかにもな仕草で苦笑いした。
「みくちゃん!」「みく姉!」
俺と鈴の声が重なる。みく姉は背中に隠れている鈴の肩を抱き、そっと俺の前へ誘導した。
「鈴ちゃん、落ち着いて。この男の子は、今日から引っ越してきた住人で、わたしのいとこ。高梨真琴くん。鈴ちゃんと同じ学校なんよ」
「はぁ!? こいつがみくちゃんのいとこ!? しかもおんなじ学校とかありえないんですけど!」
「はあぁ? それは俺のセリフですぅ。こんな可愛くねえ後輩がいるとか信じらんねぇ」
「うっそ! アタシのこと知らないとか、どんだけ世間から遅れてるワケ? やばぁ!」
「うっわぁ、すっごい自意識過剰~。見た目だけじゃなくて性格まで痛い感じですかぁ?」
俺と鈴は再びにらみ合う。バチバチと火花が飛び散る俺たちの頭上に、「こら」と一喝、みく姉の軽いチョップが落ちた。
「いてっ!」「ちょっ!」
「ふたりとも、ええ加減にしぃ。住人同士のトラブルは許さんからね」
「で、でも」
「でもじゃない。まこちゃん、この子は塩野鈴ちゃん。まこちゃんの一個下で、一〇二号室の住人さん。お隣さん同士、仲ようしたってね」
普段穏やかなみく姉の笑みに、今回ばかりは有無を言わさぬすごみがあった。俺は思わず「う、うす」と縮こまるしかない。鈴も不服そうながら、俺が住人であると理解したのか、それともみく姉の不機嫌な態度を感じ取ったのか、
「とりあえず、今日のところはみくちゃんの顔に免じて許してあげるけど……。隣だからって慣れ慣れしくしてこないでね。あと、騒いだりしたら警察呼ぶから」
と高飛車な態度でアパートの中へと戻っていく。
「なんだよあいつ……」
呆然と呟く俺に、みく姉は困ったように笑う。
「あの子ね、アイドルなんよ」
「え?」
「そのせいか、何回か知らん男の人がこの辺うろついてたってことがあって。それで、怖い思いもしてるから」
みく姉の声に嘘は視えない。鈴に対する心配と不安が入り混じった色だけが、俺の心を揺さぶった。
「やから、許したってくれる?」
女性にしては背の高いみく姉が俺を覗きこむ。美人なお姉さまの上目遣いが直撃してしまっては、首を縦に振る以外ない。
それにしても……。
俺の脳裏によぎったのは、小柄な鈴の後ろ姿。あのツンとした態度は、恐怖への裏返しだったのかも。そう思うと、キンキンと高い声のトーンからは想像もつかないような暗い色が彼女の声にはまとわりついていたような気もする。
「あの子、あんな感じやけど、ほんまは色々心細いと思うねん。まこちゃんは同じ高校やし、家も隣同士やろ? なんかあったら助けたってな」
みく姉からのお願いに、俺は戸惑い、けれど、気づけば自然とうなずいていた。
「わかった」
みく姉の慈愛に満ちた目がやわらかに細められる。
ひとまず、これで一件落着……だよな?
思い出したようにゴミを捨て、俺とみく姉はアパートへ戻ろうと歩き出す。と、みく姉が「あ、そうや」と俺に呼びかけた。
「まこちゃんにひとつ、言っておかなあかんことがあったんよ」
「ん? ゴミ出し、時間とかあった?」
「んーん、もっと大事なこと」
みく姉はもったいぶるように笑みを深めた。
「このアパートの住人は、みんなヒミツを抱えてる。見た目で判断せんことやね」
「……ヒミツ?」
急になんなんだ。俺が首をかしげるも、みく姉は「それじゃ」と去ってしまう。俺はその意味も聞けないまま、その場に取り残されたのだった。




