3-10.俺たちの家へ、帰ろう
男の背後から硝子さんの声が、俺の背後からみく姉の声が響いたのは、男が俺にナイフを振りおろそうとした――そのときだった。
「「おまわりさん! あの人です!」」
驚いた男がそちらに気を取られたその隙に、俺は男の脇をすり抜ける。男のナイフが空を切った。鈴の横に本日二度目となるスライディングで滑りこみ、鈴を体でかばうように両手を広げて反撃に備える。だが、その反撃は訪れなかった。
俺の横を通り過ぎ、男の背中に走りこんできた店長が飛び膝蹴りをかましたのだ。
「ぐぇっ!?」
男からカエルがつぶれたような声が聞こえた。さらにはその衝撃で男の手からナイフが離れる。空高く放りだされたそれは斜陽に照らされた。そのまま俺たちの後方へとぶっ飛んだかと思うと、遅れて駆けこんできたみゃーこの目の前に落ちる。
「みゃーこっ!」「あかね!」
俺と鈴の声が重なった。
「ぎゃぁっ!?」
みゃーこは降ってきたナイフを間一髪のところでかわす。カランカラン、とナイフが音を立てて地面に転がり、みゃーこは一拍置いて、それをおそるおそる拾いあげた。
男はといえば、さらに体格のよい店長に押さえつけられ、完全に身動きが取れなくなっている。
「うちのかわい子ちゃんたちに手ぇ出すなんて、あんた、覚悟はできてるのかしら?」
店長のドスのきいた声に、男がヒッと息を飲んだ音が聞こえる。馬乗りになった店長が腕を大きく振りあげたところで、
「そこまでだ!」
現場に走ってきた警察官が制止する。店長はピタリと動きを止めた。警官が店長と男の周りを取り囲むと、店長はがっちりと男ホールドした状態で引き渡す。
男は恨めしそうに俺たちを睨みつけると、
「覚えてろ」
と捨てゼリフをはいた。背筋が凍るような脅し文句は吐き気をもよおしてしまうほどにぐちゃぐちゃと汚い色だった。俺は咄嗟に口元を押さえる。みんなに声色が視えなくてよかった、とこのときばかりは心底思った。
警官は男を現行犯逮捕し、パトカーに連れこむ。男を乗せた車両は大通りへと向かってひと足先に消えていった。
――すべて、終わったのだ。
どっと緊張がほどけて、俺たちはみな、その場に座りこむ。
「……大丈夫か?」
背後で俺の服の裾を掴んでいた鈴のほうを振り返れば、鈴もまた、泣きそうな顔で俺を見つめていた。鈴はしばらくして落ち着いたのか、俺から離れ、ツンとそっぽを向いてしまう。
「……そっちこそ」
こんなときくらい、強がらずに素直になればいいのに。そう思うと、なぜか笑いがこみあげる。
「ふ、はは、はははは!」
「壊れた……」
鈴に呆然とされながらも、俺は滲む涙をぬぐって笑った。
みんな、無事だったんだ。なにもかも、無事に終わった。
「ほんと、よかった……」
俺の周りにみんなが集まってくる。みんな、糸が切れたように笑ったり、泣いたりしながら一斉に鈴と俺を抱きしめた。
「ほんまによかった……! めっちゃ怖かったんやから!」
「ほんとだよぉ~! うちなんか、全然犯人の顔すら見えないままでさぁ! もうなにが起こったのかすらわかんないし!」
「もう、二度とこんな真似しないで」
「ほんとよ! ふたりともよく頑張ったわね! 帰ったら、俺がピザ、ごちそうしてあげるからね!」
んーまっと店長のキスが飛び、俺と鈴はそれを華麗に避ける。と、店長がむっとした顔でさらにキスの嵐をお見舞いしようとするものだから、俺たちはいよいよもみくちゃになった。
「もうっ!」
鈴が声を張りあげる。鈴は俺たちから離れて仁王立ちする。肩で息をしている。
「わかったから! アタシは大丈夫だから!」
言い切って、鈴は呼吸を整えたかと思うと、俺たちを見回してごにょごにょとなにかをささやく。
「ん?」
俺が首をかしげると、鈴はキッと俺を睨み、顔を真っ赤にした。自棄になったのか、
「みんなのおかげ! ありがと!」
と言い捨てて視線を逸らす。耳まで赤くなった鈴の横顔は、しかし美しかった。
みんなはそんな鈴のいじらしさに再び彼女を抱きしめる。
俺と店長はさすがに混ざれず、遠巻きにそんな女性陣を見つめた。
空を見あげれば、一番星がまたたいている。俺たちを祝福するように明るく光を放っていた。
警官に事情聴取は明日にしてくれ、と店長が頼んでくれて、俺たちはその場解散となる。
「……さ、帰るか」
俺がみんなに呼びかければ、四人がそれぞれに笑みを浮かべて歩き出す。
向かう先は同じ。
俺たちの家へ、帰ろう。




