3-8.絶対許さねぇ!
俺たちは作戦どおりの配置について、そのときを待った。
公園の梅が、傾いた西日でよりいっそう紅く染まる。見惚れてしまうほど、淡く美麗な色合いだった。
そこに、鈴がやってくる。周りを気にするように、だが、平然を装った歩調は、やがて公園の梅の木の前で止められた。みく姉から聞いた夢を意識して、というよりも、自然と梅が目に止まったようで、鈴は咲き誇る花に柔和な笑みを浮かべる。張りつめていた緊張がいくらかほどけたようだった。
だが、ものの数分で、鈴の顔が沈鬱なものに変わる。
俺も、あれ、と思った。
そろそろストーカーが現れてもいいはずなのに。
来なければいいと思っているはずなのに、みく姉の夢がはずれてしまったのではないかと不安がよぎる。もしも、みく姉の予知夢が絶対ではなかったとしたら? このままストーカーが来なければいいが、もし、もっとひどいことになったら? ネガティブな想像が止められず、今すぐ鈴のもとへと走っていきたくなる衝動にかられた。
鈴も、同じだったのだろう。困惑をあらわにしたまま、あたりを見回していた。なんで。彼女の口元がそう動いたような気がする。
やがて、鈴は自らの胸元を押さえこむようにして長く息をはきだした。彼女の肩がさがる。
「……ら、ら、ら」
かすかに声が聞こえた。
「……歌?」
繊細だが、綺麗な響きだった。それが鈴から発されたのだと気づくのに、数秒を要した。
鈴の歌声は、やがて、恐怖をかき消すように、自らを鼓舞するような力強いものに変わっていく。
「なんで、歌なんか……」
俺が当惑して見つめていると、急に鈴の歌が止まった。鈴は俺が隠れている駅前商店街の方向を見つめる。
すると、いつの間に鈴のそばまで歩いていたのか、見るからに危ない足取りで鈴に近づく男がひとり立っていた。
全身黒づくめの、背の高い男だ。
「……見つけた」
粘着質な男の声に、ざわりと心臓が直接撫でられたような不快感が体中に走った。
こいつは、本気でまずい……!
俺が急いで立ちあがると、鈴がみく姉の待っている方向へと駆け出した。
「鈴!」
そっちじゃない! そう叫ぶ間もなく、鈴を追いかけるように男も走りだす。俺も負けまいと足を動かした。
「おい、止まれ!」
だが、俺の声など聞こえていないらしい。男は足を止めることなく走る。くそ、あいつ、無駄に足が速い! 鈴も必死に逃げているが、このままだと追いつかれる。まずい。状況を確認しようと無線イヤフォンを耳にねじこむと、ノイズ混じりな硝子さんの声が聞こえた。
『顔、見えた! でもっ……』
男の足が速すぎて追いつけない、そう言いたいのだろう。硝子さんの息が切れるような呼吸音だけが続く。
『向かってるけど、回りこむ前にりんりんが捕まっちゃうとかないよね!?』
続いて耳に流れて来たみゃーこの声はもっと切実だった。
『なんでこんなときに限って、不幸体質が発動しないの!? もうぅ! マジありえないんですけどぉ!!』
みゃーこの愚痴に、俺は自らの作戦に穴があったことに気づいた。俺はてっきり、みゃーこが不幸体質だから、ストーカーはみゃーこを狙うと思った。だが、みゃーこにとっての不幸とは、自分が襲われることではない。鈴が襲われることなのだ。
だから、みゃーこは『不幸体質』なのか!
「あーっ、くそっ!」
俺の口からも自然と腹立たしさが漏れる。俺のせいだ。全部、俺のせい。
住宅街の影から飛び出してきたみく姉が見える。どうやら、みく姉はスマホで警察を呼んでくれているらしい。鈴はみく姉を抜き去ると、住宅の入り組む細い路地へと逃げる。ついで、追っていた男がみく姉を突き飛ばした。
「きゃっ!?」
俺は必死にみく姉に向かってスライディングする。
間に合え!
アスファルトと胸がこすれる痛みすら忘れて腕を伸ばすと、ぐっと腕に負荷がかかった。
「みく姉っ!?」
「だ、大丈夫……、それよりもまこちゃんのほうが!」
俺の両腕にお尻をつけたみく姉が俺を見つめて顔面蒼白になる。みく姉とアスファルトの間に勢いよく滑りこんだ俺の腕には、擦り傷ができ、血がにじみ出ていた。
だが、そんなものにかまっている暇はない。俺はみく姉をそっと立たせると、再び走りだす。
「あいつ……、絶対許さねぇ!」
鈴のみならず、みく姉にも危害を加えるだなんて。
俺は鈴と男が入っていった路地を全力で駆け抜ける。ルートはわかっている。鈴にも最悪のパターンは事前に共有済みだ。大通りに繋がる道へと向かい、見えない男の背を追いかける。
頼む、鈴、無事でいてくれ!
姿が見えないというのは、こんなにも恐ろしいことなのか。
漠然とした恐れや憂慮を全身の力に変える。足も手も引きちぎれてもかまわないと思った。歯を食いしばって力を振り絞りがむしゃらに走る。強く地面を蹴る。次の一歩はできるかぎり大きく前へ出す。疲労など感じている暇はなかった。息をすることすらわずらわしい。
「ぐっ、う、うぉぉぉおおおっ!」
俺はおたけびをあげ、コーナーを曲がる。男の背中が見えた。安堵するのもつかの間、男の前で鈴がぺたりと地面に座りこんでしまう。
「鈴!!」
男が胸元に手を入れたのが見えた。ナイフが抜き取られ、ギラギラと夕日に銀刃が反射する。
すべてがスローモーションのようだった。




