3-4.家族への誓い
作戦会議を終え、俺はみく姉とふたり、庭先から空を見あげていた。冬の星々が頭上にまたたき、月はこれから起こることを忌避するかのごとく空から姿を消している。
「新月やから、よう星が見えるわ」
みく姉も同じことを思っていたのだろうか、皮肉めいた京都弁らしい口調で笑った。
「ほんまに、やるんやね」
「うん」
「……責任重大やなぁ」
みく姉が苦笑する。俺が謝ると、みく姉は「冗談や」といたずらにはにかんだ。少しも不安がないと言えば嘘になる、でも、大丈夫。みく姉はそうささやく。
俺たちの会話はついに途切れる。みく姉の息が白く色づき、空へと昇っていくのを見送った。
多分、みく姉は俺のヒミツに気づいたんだろうな。
沈黙から推測してみたが、想像していたよりも居心地は悪くなかった。むしろ、どこか安心さえ覚える。それは、重たい荷物をおろしたときの開放感に似ていた。
冷たい冬の風に身を縮こまらせ、俺たちはお互いに手元のホットココアに口をつけた。みく姉は空になったマグカップを手でもてあそぶ。
「……まこちゃんにも、ヒミツがあったんやね」
切り出すタイミングをはかっていたにしては、自然な口ぶりだった。ココアの優しい甘みとあたたかさに、ホッと息をつくついでに言葉が出てしまった、くらいの素朴な感想だった。
「黙ってて、ごめん」
「ううん。わたしも、お母さんのこと、ごめん……」
みく姉はマグカップをフローリングに置くと、空に散らばった星を数えるみたいに天を仰ぐ。その姿勢のまま、ゆっくりと息をはきだした。みく姉のほうが窮屈そうだ。
俺はみく姉を助けたい気持ちと、気になっていたことを知りたい衝動にかられて口火を切る。
「みく姉が知ってること、教えてほしい」
たとえ、どんな事実でも。ヒミツを打ち明けることで、みく姉の肩の荷がおりるなら話してほしかった。
ヒミツを抱えているのは辛い。
俺の本音を読み解くように、みく姉はふわりと笑みをこぼす。
「そうやなぁ……、どこから話すんがええんやろうね」
みく姉は、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。
母が失踪した日に起こったことを――、いや、それより前から俺たち『血族』に起きていたことと、母の身に起きたこと、そして、今までを。
かつて、京都に京があったころ。京にはありとあらゆるものがあり、それらを手に入れるために、有象無象のものたちが集まってきていた。皇族、貴族、武士、あやかし。帝の棲む場所だけでなく、神社や仏寺が多く並び、政や神事が毎日のように執り行われ、諍いは絶えず、魑魅魍魎が跋扈していた。
そんな地で重宝されていたのが、神託を受ける巫女や妖を払う陰陽師といった人々であった。
「わたしたちの一族は、そういう人たちから生まれたんやって」
みく姉は長い歴史に思いを馳せるように目を閉じる。
続く話はこうだ。
特別な才をもつ人々が集まり、血を混ぜた。そのことが原因か、一族にはより強い力を持つもの、特殊な力を持つもの、人とは違うものが生まれた。そのものたちがまた、次の世代を生み、血をわけていく。やがて、血が薄まっていくと、継承されてきた才覚も弱まっていった。だが、完全になくなることはない。現代にも、そうした血族の中からなにかしらの才能を持って生まれる子がいることはわかっていた。
そして、それが俺の母であり、みく姉や俺であった。
初めて聞く話に呆然としていると、みく姉は「特に」と声のトーンをあげる。
「まこちゃんのお母さんは、力が強かったって、お母さんが言うてた」
俺の母さんが? 思わず眉をひそめる。みく姉は、ほんまやよ、と念押しした。
「……どんな、力だった?」
「相手の心を読む力」
「相手の心を、読む……」
信じがたい話だ。だが、俺は、それを本気で否定できなかった。
だって、俺は、他者の声色を視ることで疑似的に相手の心を読み、今まで生きてきたんだから。
「ほんまは、まこちゃんのお母さんとお父さんが離婚したときから、お母さんはおかしくなり始めとったって、わたしのお母さんは言うてた」
「そんな……」
「まこちゃんのためにって、ずっと必死に頑張ってはったけど……」
あの日、母は何歳になったのだったか。何年、ひとりで、その苦しみに耐えてきたのだろうか。相手の心が読めるだなんて、そんな恐ろしい力を秘めて。
「多分、限界やったんやと思う。幸せになればなるほど毎日が怖い、自分が幸せになる価値なんかないって、わたしのお母さんに連絡があって」
「幸せに……」
俺は誕生日を祝ったときのことを思い出した。母さんは、あの日『幸せ』だったのだ。
「ずっと、泣きながら謝ってはった。いなくなることを許してほしい、しばらくはひとりにしてって言われて……、それで、わたしが……」
みく姉は力なく笑うと、もう一度俺に頭をさげた。
「ほんまに、黙っとってごめん」
「……母さんの居場所は? 母さんは、無事なのか?」
もはや懇願だった。そうあってくれと祈るような気持ちでみく姉にすがると、みく姉がようやく口元にかすかながら笑みを浮かべる。薄い笑みだが、絶望はなかった。
「お母さんの居場所は、わたしも知らんのよ。ヒミツやって……」
「ヒミツ……」
「でも、元気にはしてはるから、安心して」
みく姉の顔がほころぶ。その表情に、全身から力が抜けた。
母さんは、生きている。それも元気でやっている。それだけで充分だった。
俺を置いて出て行った母さんを、心のどこかで恨んでいた。でも、それ以上に心配や不安でたまらなかったのだ。
それに、母さんは、ずっとひとりで戦ってきた。自らの力に悩まされ、俺以上に苦しい思いをして生きてきたんだと知ってしまった。
そんな人を責める気になんてなれない。
「なんだよ、もう」
声が掠れる。肩が震える。止めたくても、止められなかった。
「元気なら、それで、いいや」
笑ったつもりだったのに、涙がこぼれる。
母さん……。
俺は月のない空を見あげて、鼻をすする。
母さんはたったひとりで、俺を守ってくれていたのだ。俺のために、きっと何度もたたかってくれていた。
「俺も、たたかってみるよ」
それは家族への誓いでもあった。
俺の隣でみく姉が笑う。どちらともなくそっと手をとり、握りしめた。あたたかな温度が指先から伝わってくる。
家族。その言葉を、俺はあらためて噛みしめた。




