3-1.わたしたちは、家族、やろ?
「本当に、申し訳ありませんでした!」
翌朝、始発でアパートへと戻った俺と鈴は、みく姉に土下座を決めた。
みく姉はどうやらあまり眠れなかったらしい。いつもはおっとりと穏やかな目元にクマができていた。早朝からアパートの前で俺と鈴を心配して待ってくれていたのだ。俺たちが帰ってくるのを夢で視たのかもしれない。みく姉は俺と鈴を泣きながら怒り、けれど、心配してたんだと本当の家族を出迎えるようにきつく抱きしめた。
俺と鈴は、みく姉の部屋のリビングで出された茶をすすり、そして、ふたりで再度、潔く頭をさげた。特に俺は深く、深く反省した。
「……もう、ええよ。無事に帰ってきてくれただけで、安心したわ」
みく姉が呆れたように笑う。俺と鈴はゆっくりと顔をあげ、互いに気まずさを飲みこむ。
ストーカーのことを切り出すのなら、今だ。でも。それはせっかく鎮火しつつあるところに、油を注ぐことになる。
その葛藤を見透かしたように、みく姉が俺と鈴の顔を見比べた。
「まだ、なんか言いたそうやね」
「それは、その……」
俺がどもっていると、鈴が俺の脇腹をつつく。早く言え。あんたが言い出したんだ。そんな声が聞こえる気がする。おい、ずるいぞ。みく姉をこれ以上心配させたくないのは、俺も鈴も同じ。だから、ふたりしてタイミングを見計らっていたのだが……。
意外にも、しびれを切らしたのはみく姉だった。
「隠さんでもええよ」
「え」
「……鈴ちゃんのストーカーのこと、やろ」
みく姉から発されたとは思えないほどの覚悟と緊張で硬くなった口調に、俺と鈴は思わずひるんだ。
「夢で視たんよ。今朝は、ずいぶんようはっきりと視えたわ。ほんま、こういう嫌なことだけはよう当たるもんやね」
みく姉は我慢することを諦めたのか、ツラツラと愚痴をはく。自分のマグカップに指をかけ、まだ湯気のたつ茶に口をつける。しゃんと伸びた背筋が育ちのよさをうかがわせる。それゆえに有無を言わせぬ威圧感があった。
鈴だけが、みく姉の言葉の意味が理解できなかったらしく、目をぱちくりとさせている。
「夢って」
「ああ、鈴ちゃんには言うてなかったね」
「もしかして……みくさんにも、ヒミツがあるの?」
鈴の質問に、みく姉が静かに首肯する。鈴は瞠目し、「あっ」と声を漏らす。それから、震えるように
「アパートの住人は、みんな、ヒミツを持っている」
鈴はそう言った。俺が引っ越してきた日に、みく姉から聞いた言葉。鈴も同じことを言われていたようだ。
「あかねと、硝子さんだけじゃなくて……、みくさんも?」
「そう。わたしは予知夢を視る。それが、わたしのヒミツ」
みく姉は、俺に話してくれたように、鈴にも予知夢のことを説明した。鈴はそれを黙って聞き、最後には複雑な表情ではあるものの「わかった」と事実を受け止めた。
話を終えたみく姉は、信じてくれてありがとうと鈴に礼を言う。みく姉からようやくいつもどおりの笑みがこぼれた。
場がひと段落すると、
「それで?」
みく姉が俺に視線を移す。
「どうやってストーカーを捕まえるつもりなん?」
俺は、無理を承知で、と前置きし、まさに今みく姉が言ったような、みんなの『ヒミツ』を使ってなんとかできないか、と昨晩考えたストーリーを話した。
「つまり、ストーカーを捕まえるには、みんなの力が必要ってことやよね」
みく姉の確認に、俺は「ごめん」と頭をさげた。だが、みく姉は大丈夫だと首を振る。
「もし、ストーカーを捕まえるのに、わたしの予知夢が役に立つんやったら、この力はいくらでも鈴ちゃんのために使ったげる」
「……いいのか?」
もしかしたら、危ないことに巻きこまれるかもしれない。俺から言っておいてなんだけど、みく姉にだって断る権利はある。
俺がたしかめるようにみく姉を見ると、彼女は穏やかに目を細めた。
「わたしたちは、家族、やろ?」
みく姉の声には、嘘や恐怖、不安なんてものはなにひとつ視えなかった。
視えたのは、ひたむきな愛情。
まさに、家族に向けた言葉だ。
俺と鈴が目を見開いていると、みく姉がコロコロと笑い、「でも」とつけ加える。俺と鈴に向かって、みく姉が小指を立てる。
「ふたりとも、約束してな。絶対に無理はせんこと。遅くなるときはちゃんと連絡すること。安全第一、大人を頼ること」
なんだ、その子どもに向けたような注意は。俺が眉をひそめると、隣で鈴もむっと眉間にしわを寄せていた。みく姉はそんな俺らの頭の中を覗いたみたいに「ほら」と小指を俺たちのほうへ出す。
「ふたりは、わたしから見たら子どもやよ。社会的にも。やから、ときどきは甘えてもええんよ。ちゃんと、周りの大人に甘えること」
「……このあと、夢で視た?」
俺が尋ねると、みく姉は「内緒」と笑みを深める。
そんなみく姉の姿に、俺も、そして多分鈴も、かなわない、と思った。
俺たちはゆっくりと自らの小指を差し出し、みく姉の小指にそっと絡める。
「指きりげんまん、嘘ついたら、はりせんぼん、飲ーます、指きった!」
指先からあたたかな温度が離れていく。
俺と鈴は互いにその指先を自らのこぶしの中に織りこんだ。みく姉もまた、約束を大切にしまいこむように手を握る。
「それじゃあ、早速、作戦会議でも開こかぁ」
みく姉はいたずらっ子のようにニッと口角をあげると、スマホを操作する。
そうして、みく姉が『作戦会議を開こう』と連絡した相手は、夕方、学校を終えて早々に帰宅した俺と鈴の前にそろって現れた。




