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ザ・シークレット・アパートメント ~俺と四人の美女のヒミツの関係~  作者: 安井優
2. 俺たちのヒミツ

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2-32.覚悟しておいて

 鈴の母親、塩野祭梨しおのまつりは中学生だったころ、その才能を見出された。彼女をアイドルの世界へと引っ張りこんだ男はマネージャーとなり、彼女をしをのまつりとして華々しくデビューさせた。しをのまつりにとって、その男が世界のすべてになった。男もまた、彼女を見初めたからこそアイドルにしたのだし、ふたりの間に愛が芽生えるのは時間の問題だった。


 デビュー直後のこと。アイドルとマネージャーという関係でありながら、その禁断の関係性ゆえに心を燃やしたふたりは結ばれ、鈴を授かることになる。芸能界というきらびやかな世界を捨ててでも、まつりは鈴を生むことに決めた。


 だが、現実は甘くなかった。鈴を生んで一般人となったまつりは、かつてのファンから嫌がらせを受けるようになった。しかも、そのころ、鈴の父親である元マネージャーが、別のアイドルにも手を出していたことがわかった。


 まつりは夫と離婚し、アイドル時代に稼いだ金と夫からの慰謝料を使ってこの家に引っ越し、しばらくは幸せな生活を送る。アイドル時代の仲間たちが励まし、支えてくれたのだ。鈴がアイドルを目指し始めたのはこのころで、母親とその友人たちに影響を受けていたのは間違いなかった。鈴はみんなから褒められた。特に、母であるまつりは、鈴を天才だと褒めた。ずっと、この幸せが続くと思っていた。


「……だけど、それが間違いだった」


 鈴は空になった水のペットボトルをゴミ箱へと放り投げる。カコン、と音がして、ペットボトルは見事ゴミ箱へとおさまった。


「お母さんの友達だった人が、お母さんを裏切った」


「えっ」


「向こうも話題稼ぎに必死だったんだと思う。ファンに、お母さんのことをばらしたの」


 鈴はぎゅっと膝を抱えている手に力をこめる。


「お母さんは、ストーカーの被害にあうようになって……」


 自殺未遂。


 ネット記事で見かけた言葉が俺の頭をよぎる。鈴は口を閉ざしたまま、膝の間に頬を寄せた。すでに赤い目元が、再び潤み始める。俺は鈴を見ないようにテーブルの模様を追いかける。思いがぐるぐると胸の中に渦巻いている。


 なにを言えばいいのか。励ませばいいのか、同情すればいいのかすらわからない。


 俺が黙りこくっていると、鈴のほうが先に口を開いた。


「それ以来、お母さん、ずっと入院してるの」


 見れば、彼女は泣くのを必死に耐えて、夜景を強く睨みつけていた。瞳の奥にごうごうと揺れる炎があった。


「二の舞なんて、死んでも嫌」


 呪いと見間違えるほどに強烈な憎悪。グループのメンバーを信用せず、炎上するほどファンに塩対応で、ストーカー被害を恐れてなお、他人に甘えることもなく必死に生きている鈴のすべてがそこにこもっていた。


 返す言葉なんかない。俺がなにを言ったって、彼女のなににもなりはしない。


 俺が静かにうなずくと、鈴はテーブルに広げていたクッキーを口に入れてかみ砕く。


「よりにもよって、あんたに話すなんて、バカみたい」


「なんでだよ。いい人選だろ」


 いまだ寂寞を声にまとわせた鈴の役に少しでも立ちたい。そんな思いで強がれば、鈴が俺を小ばかにしたような態度で笑う。


「あんたに、なにができんの?」


「それは……」


 具体的な力を鈴は欲している。優しさや、思いやりや、気遣いなんて、そんな曖昧な言葉なんかじゃなくて、行動を。現状を変えるための、このどん底から這いあがるための力を求めているのだ。


 俺はそこまで考えて、ひとつだけあるじゃないか、と思いあたる。


 俺にとっては、いらなかったもの。なければよかったのに、と思い続けてきた力が。


 いや、俺だけじゃない。


 アパートに住むみんなが持っている。


 それを集結させれば、もしかしたら……。


 俺が鈴を見れば、鈴は「なによ」とたじろいだ。多分、俺の顔が怖かったのだろう。自分でも、頬が引きつっているような、というか、口角が持ちあがっているような、そんな筋肉の動きを感じる。肩にも力が入っているし、なんならこぶしを握っている手にすら、力がこもっているのがわかる。


 俺はその力をすべて、心の内から解放させた。


「ストーカー、捕まえようぜ」


 俺と、鈴と、そして、アパートに住むみんなの力で。


 俺の言葉に、鈴は唖然としていた。しばらく口を開閉させ、しかし言葉が見つからないと、代わりに吐息を漏らす。


 数十秒の長い空白のあとにやっと返ってきたのは


「バカじゃないの」


 という、いかにも鈴らしい悪態だった。


 だが、先ほどまでの暗色一辺倒の声色ではない。どこかに期待を孕んだ、夜明け前のような色に見えた。


「やるだろ?」


 俺は恐怖を押さえつけ、鈴を試すように挑発する。引きつり笑いだが、それが逆に鈴の闘志に触れたらしい。鈴の瞳に浮かんでいた灯火が明確に燃えあがる。


「……ほんとうざい」


 鈴は言いつつ、俺が出したこぶしに自らのこぶしをぶつけた。


「みくちゃんと、あかねと、硝子さん。三人を勝手に巻きこんで、なにかあったらタダじゃおかないから」


「わかってる」


「そのときは、あんたのこと、地獄の果てまで追いかけて殺してやる」


 覚悟しておいて。そう呟いた鈴は不敵に笑った。

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