2-24.だとすれば、鈴は……
レッスン場兼事務所だという都内の小さなビルに着くまで、鈴はポツポツと話し続けた。
鈴の憧れている人は、アイドルの元センターだった。だからこそ、鈴もアイドルを目指したのだという。彼女が憧れたというその女性は、今はすでに引退してしまっている。けれど、鈴が才能を開花させたときから、誰よりもその能力をあたりまえに受け止め、理解し、鈴をアイドルの世界へと導いた。鈴にとって、その才は疎ましく、恐ろしいものだったが、その人が背中を押してくれたのだ。
いつもの、いや、今までの俺と鈴なら絶対にしないような話だと思った。少なくとも、みゃーこや硝子さんの話を聞く前に鈴からこの話を打ち明けられても、真剣に聞き続けることはできなかっただろう。鈴はどこからどう見ても恵まれた側の『持っている』人間に見えたから。だけど、みんな、そうじゃない。なにかしらのヒミツを抱えて生きているんだとわかった今、鈴の持つ才能とやらも、そのヒミツなのだろうと共感できる。俺だって、きっと、俺の才能を受け入れてくれる人が「君はすごい」と応援してくれれば、その道に進むことをいとわないだろう。
鈴は時間をかけて喋り終えると、途中で購入したコーヒーを飲みきった。
目の前のコンクリートを打ちっぱなしにした灰色のビルを見あげる。どうやらそのビルが事務所らしい。
「ありがと」
ボソリと言い捨て、鈴は俺から背を向ける。ビルの重そうな鉄扉を押し開けて入っていく彼女の後ろ姿は心もとない。鈴ってあんなに小さかったのか、と再確認する。それでも逃げない鈴の、負けず嫌いな性格や頑固さはいっそ健気でいじらしかった。
しばらくビルを眺めていると、三階のフロアにパッと明かりが点く。まるで外に見せつけるような全面ガラス張りの窓だ。そのおかげで中の様子が窺えた。鈴がツインテールをポニーテールへと結い直す。鈴は大きな鏡を前に立つと、入念な準備運動を始める。これで鈴も、しばらくはダンスレッスンに集中できるだろう。
俺は踵を返し、駅と事務所の間にあったカフェに入る。日本初進出ではないが、人気だというフードとドリンクを注文し、空いている席に座った。
スマホを取り出し、操作する。
鈴のことを勝手に詮索するのもどうかと思ったが、彼女が憧れているというその人をひとめ見たくなったのだ。もちろん、鈴から聞いた情報だけで特定できるとも思わなかったが、少なくともすでに引退したアイドルの元センターであることはわかっているわけだから、無謀というわけでもない。
『アイドル 元センター 引退』と安易な検索をかける。表示された記事をスワイプしていきながら、それらしき人を探す。鈴と交流があったのだから、鈴が生まれるより前に亡くなってはいないはず。動画配信サイトやSNSを通じて、引退した芸能人と交流できる時代だから、鈴が生まれる前に引退している可能性はあるが。
店員が持ってきてくれた晩ご飯代わりのフードを咀嚼しながら、ポチポチと記事を漁っていく。
「ん?」
俺が手を止めたのは、ニュース記事の一覧ページを最下部までスクロールしたときだった。
『アイドルグループ・ファム 元センター しをのまつりさん 自殺未遂か?』
その名前に聞き覚えがあったわけではない。だが、しをの、という響きが鈴の名字とリンクした。それだけじゃない。『自殺未遂』という単語に悪寒が走った。
俺は恐る恐る記事をタップする。
アイドルグループ・ファムの元センター・しをのまつりさん(35)が、本日未明、病院へ救急搬送されたことが判明した。しをのまつりさんは、十五年前、熱愛報道を受け、芸能界を引退している。関係者によると、今回の緊急搬送は自宅での自殺未遂が原因とみられ、現在、警察による調査が進められているという。
簡単な文章で締めくくられた記事の投稿日は五年前。鈴が十か十一のころだ。
俺は記事に貼り付けられていた関連リンクをタップする。しをのまつりがアイドル時代だったころの記事や写真が現れ、気づけば息を飲んでいた。
「……これ」
鈴と、どこか似ている。背格好は違うが、顔が特に。
俺はさらに過去の記事を開く。しをのまつりは地下アイドルからメジャーデビューしたと書かれている。今の鈴と同じだ。
ファムというグループは決して売れたわけではないらしい。それもそのはず。デビューして一年、当時最も人気だったセンター・しをのまつりに熱愛が発覚し、彼女が引退したことが原因で、グループは解散を余儀なくされているのだ。活動期間は二年ほど。情報量によって淘汰される時代、二年しか活動ができなかったグループなど、簡単に過去のものとして忘れ去られてしまう。
しをのまつりのアイドルとしての記事は熱愛報道ばかりで多くなかったが、アイドルとしては抜きんでた存在であったこと、引退後、子どもを授かったことなど、いくつかの記事を読んでわかることもあった。
しをのまつりと塩野鈴が母娘であると決まったわけではない。それを裏付ける記事はなにひとつとして出てきていない。
しかし、調べれば調べるほど、俺の中でその予感が大きくなっていく。
だとすれば、鈴は……。
俺はその胸中を想像し、鈴が背負っているものの大きさに愕然とした。いてもたってもいられなくなって、残りの食事を口に放りこみ、ドリンクを手に席を立つ。
気が気でなくて、事務所前の道へと引き返した。先ほどよりも人の気配がする。ちょうど帰宅中の人々が通りがかりに事務所の三階を気にして立ち止まっている。完全に魅入っている人もいる。コアなファンかもしれない。
明かりの点いたダンスフロアにはメンバーらしき影がある。ダンスレッスンが始まっているのか、彼女たちは皆長い手足を懸命に動かして踊っていた。その中に鈴の姿もあった。普段のひょうひょうとした様子からは想像もできないほど、汗をかいて必死に体を動かしている。
「っ……」
その姿に、俺は心臓をわしづかみにされた。
あんなに頑張っている鈴を、顔も、名前も知らない誰かが傷つけている。メンバーも、事務所も、そしてファンも。その事実が、現実をくすませる。応援してくれている声以上に、ネガティブな意見が人の心には残ってしまうことは、誰だって知っているはずなのに。鈴への批判はいつも大きい。
心にかかったモヤを振り払うように、スマホの時計に目を落とす。
十九時二十分。レッスンが終わるまではあと四十分か……。
ここで待っていたいが、脅迫文のこともある。それこそ、鈴のレッスン終わりを事務所前で待っているところなど見られたら、ストーカーに逆上されてしまうかもしれない。
俺はどうにもならない衝動を無理やり抑えこみ、自らの無力さを噛みしめた。スマホをタップして、鈴にメッセージを送る。
『駅にいる。嫌かもしれないけど、駅まではメンバーかマネージャーと一緒に来るんだぞ』
悔しい思いを胸にしまって、俺はひと足先に駅へと戻った。




