2-23.俺が、そういう存在に
鈴と再会したのは放課後だった。昇降口で靴を履き替えていると、偶然そこに彼女がやってきたのだ。同じ学校にいて、授業のコマ数も大して変わらないのだから、当然と言えば当然かもしれないが。
どうせ相手にもされないだろう。俺が気にせず帰ろうと腰をおこすと、鈴のほうから手招きされる。
「珍しいじゃん」
わざと明るく振舞えば、鈴はいつもの白い目を俺に向けた。それから、不服そうに声を漏らす。
「……レッスン」
「は?」
「今日、ダンスレッスンなの」
「はぁ」
要領をえない鈴の連絡に首をかしげると、鈴から舌打ちが聞こえた。え、なにこの子。怖い。先輩に向かって舌打ちとか、人としてどう? っつか、よりにもよってアイドルなのに許されるの? 俺が怯えていると、鈴が「んもうっ!」と声を荒げる。
「ついてきて!」
鈴の目じりが赤らんでいるような気がした。羞恥と怒り、両方だろう。なんなら、勇気を振り絞ったエネルギーも彼女の体温を上昇させたのかもしれない。
鈴は俺の返答も待たずに、ズカズカと歩き出す。慌てて俺も靴を履き、鈴の背を追う。
「いや、いやいやいや、ちょっと待てよ!」
「なによ」
「それはこっちのセリフだろ。つか、俺といて大丈夫なのかよ」
俺に近づくな。そんな意図の脅迫状が届いたのに。ストーカーに俺といるところを見られてしまったら、それこそエスカレートするかもしれない。俺の身も安全とは言いきれない。いや、たしかに昼間、覚悟は決めたつもりだ。だが、まだ行動に移せるほどの能力や作戦が俺に備わったわけではない。
鈴は「わかってる」と苦々しく声を絞り出した。
「……でも、怖くて」
いつもはちぐはぐな声色と言葉が、今日は一体となって俺に届いた。失礼な話かもしれないが、そのことに驚きを越えて感動すら芽生える。あの鈴が素直になった、なんて。
俺が黙ったからだろう。鈴は自らの言葉を恥じるようにすぐさま取り繕った。
「無理するなって、あんたが言ったんだからね!」
そんなことをする必要はないのに、なぜ彼女はここまで強くあろうとするのだろう。
「……わかった」「……迷惑、かけてごめん」
俺の返事と鈴の謝罪が重なる。お互いに「え」と顔を見合わせた。
鈴の頬が昼間の比にならないほど真っ赤になる。彼女の瞳には今にも泣きだしてしまいそうな、透明な膜が張っているようにすら見えた。
俺はそれに気づかないフリをして、グラウンドへ目を向ける。なぜか、見てはいけないものを見てしまったような、そんな気さえして、サッカーボールを懸命に転がしている生徒の足の動きに集中する。
生徒がゴールを決めたのを見届け、俺は気まずさを払拭するため、ゴホン、とわざとらしく咳払いした。
「あ、あー、レッスンって、どこでやってんの? やっぱ都心?」
「はぁ?」
突然の問いかけに、鈴は戸惑いつつも、駅名を述べる。
「お、まじ? 俺、ちょうどそこに用事あったんだわぁ。なんか、日本に初出店されたっつー、なんだっけ、あー、なんとかってやつが食べたかったんだよなぁ。まじでちょうどいいな、そこ行こっかなぁ」
自分でも笑いそうになってしまいほど大げさに嘘を並べたてれば、隣で鈴が笑った気配がした。やわらかな息遣いは、すぐにとげとげしい口調に変わったが。
「演技へたすぎ」
「そういうこと言うから、友達できねぇんだよ」
「う、うるさいな! 別にいらないからいいの!」
いるだろ。こういうときに、頼れるやつは必要だろ。うっかり正論をこぼしそうになって、俺はぐっとそれを腹に押しとどめる。俺が、そういう存在にならなきゃいけないのかもしれない。彼女にとっての、家族であり、友人である。そんなひとりに。
よし。まずは、ひとつめの目標が定まった。
俺は心の内に思いを秘めて、気を取り直す。
「レッスン、何時まで?」
「二十時」
「まじか。結構遅くまでやってるんだな」
アパートに着くころには二十一時を回る。すごく遅い時間だとは思わないが、女子高生がひとりで夜道を歩くには心もとない時間だろう。アパートから駅まで十分ほどの道のりだが、そのうちの半分は人通りの少ない路地を歩かざるをえない。ストーカーがなにを仕掛けてくるかわからない今、鈴をひとり歩きさせるわけにはいかない。
「んじゃ、レッスン終わったら連絡くれ。駅で合流な」
俺が二十時にアラームを設定すると、鈴もまた静かにうなずいた。
「あ、ごめんとか思うなよ。そりゃ、俺だって怖えし、めっちゃビビってるけど。俺より、鈴のほうが大変だろ。レッスン、集中しろよな」
大切なことを言い忘れていた、と補足する。鈴はかすかに目を見開いて、
「あたりまえでしょ」
とつっけんどんな態度をとる。プロなんだから、と言い切る彼女の横顔には、決意にも似たなにかが宿っているようにも見えた。誰にもアイドルである自分を邪魔させないという意思が、鈴を奮い立たせているのかもしれない。
「マネージャーとか、相談しろよ」
「わかってる」
「送迎、してもらえるなら、頼んでもいいんだからな」
うなずいた鈴の口調がやや硬くなった。マネージャーに頼ると、他のメンバーがうるさい。だからあんまり頼みたくないんだけど。そんなことをこぼして、鈴は、しかたないよね、と足元を見つめる。自分に言い聞かせているようだ。
「……メンバーとは、うまくいってねえの」
「そうだね。みんな、ライバルだから」
「そういうもんか」
「多分、メンバーにばれたら、それこそ利用されると思う」
鈴がぎゅっとこぶしを握ったのがわかった。奥歯を噛みしめて前を向く鈴の横顔は、冬の曇天をもろともしない強さを秘めている。
俺は、ずっと聞けなかった純粋な疑問をぶつける。今なら鈴とも話せそうな気がした。
「なんで、そこまでしてアイドルやってんの」
自分がかわいいことを、鈴はよく自覚している。地雷系の見た目やファッションがキャラづくりのためのものなのか、それとも彼女本来の嗜好なのかは不明だが、バラのように華やかな雰囲気はアイドルという職業にはよくあっていると思う。
それだけでなく、歌もうまい。以前聞いたときに感じた、あの胸に迫るような切ない歌声は、彼女をアイドルという道に引きこむのも必然だったと思わせるだけの力があった。
みゃーこからは、ライブもすごい、ダンスがうまい、そう聞いている。
でも、鈴の口から、理由を聞いたことはなかった。アイドル以外でも、なんなら、彼女ひとりでもやっていけそうなのに。
鈴は少しためらいを見せつつも、ゆっくりと口を開いた。
「憧れてる人がいるの」
汚れひとつなく澄み渡る声は、寒空に白く溶けていった。




