2-11.うちのヒミツ、教えてあげよっか?
「お、お邪魔しまぁす……」
遠慮がちに足を踏み入れる。みゃーこの部屋は柑橘の爽やかな香りがして、俺の心臓を刺激する。みゃーこから依頼されたとはいえ、ひとり暮らしの女子の部屋に俺があがってもいいのだろうか。
「あっ、もしかして照れてるぅ?」
戸惑う俺の心を見透かすように、みゃーこが俺にすり寄った。
「て、照れとか! そういう問題じゃ……」
「うちはいつでも大歓迎だよ?」
みゃーこが俺の腕をぎゅっと抱く。胸が! 胸が当たっております、お嬢さん!
「ととと、とにかく! 今は掃除だろ!」
煩悩を追い払うようにみゃーこから離れ、勢いよく玄関をあがる。廊下を進んだ先、ベランダに面したリビングにガラスは散乱していた。
「ひどいな……」
俺がしゃがむと、みゃーこも隣に並んでガラスを拾い始める。
「ちょ、危ないから」
「へーき、へーき! うち、こういうの慣れっこなんだ」
ガラスの片付けに慣れている人間なんか聞いたことない。俺が顔をしかめるも、たしかにみゃーこは手慣れた様子でひょいひょいとガラスを拾いあげていく。彼女は特に大きな破片を集めると、これまた慣れた様子で立ちあがった。
「あ、袋とか掃除機とか持ってくんね」
本当に手慣れているのか、声色もさっぱりと爽やかだ。強がっているわけではないらしい。
そこからのみゃーこの行動は早く、俺の手伝いなどいらなかったのでは、と思うほどだった。
みゃーこは女性向けの雑誌を惜しげもなくちぎってガラスを包み、袋に入れる。彼女の手にはしっかりと軍手がはめられており、俺にはホウキとチリトリが与えられた。みゃーこに指示されるまま掃除が終わると、彼女は素早く掃除機をかける。
あっという間に床が綺麗になった。
「窓はさすがに直せないよな」
「ふっふーん、なめてもらっちゃ困るよ、まこちゃん」
俺のセリフを待ってましたと言うように、みゃーこが胸を張る。ネット通販の段ボールをどこからともなく持ち出してくると、手際よくそれを窓ガラスに貼り付けていく。もちろん、養生テープも常備されていた。
「まじか……」
ものの一時間とかからず、窓は簡易的に修理された。窓ガラスを割られて平気な人間がこの世にいるのかと思ったが、どうやらみゃーこは唯一の人間なのかもしれない。
「すごいな」
すっかり感心する俺をよそに、みゃーこはみく姉に事情を連絡し、修理業者の手配まで完了させていた。
みゃーこはスマホをしまうと、俺にドヤ顔を向ける。
「意外と生活力あるっしょ?」
「うん。まじですごい。てか、ほんとに意外だったわ」
ガラスなんて怖くて触れない、無理! と叫ぶ姿を想像していただけに、まさかこんな展開になるとは思ってもみなかった。
「えへへ、でも、まこちゃんが手伝ってくれてよかったよ。いつもより早く終わったし、ひとりでやるの、やっぱ辛いからさぁ」
それが俺を誘った理由か。……ん、待てよ?
「いや、いつもって……そんなに割れんのかよ」
「ん~、三か月に一回くらい? かなぁ?」
「はぁ?」
みゃーこは真剣な顔で「まじだって」と念を押した。
「ここに引っ越してきてからは、これが初めてだけど……。前のアパートのときとか、ガラス割れるだけじゃなくて、給湯器壊れたり、壁に穴が開いたり、あー、雨漏りとかもあったし」
指折り数えるみゃーこの姿が痛ましく、俺は思わず「もういい」と制止する。
「さすがに波乱万丈すぎる」
俺も人のことを言えた義理ではないが、みゃーこの経験を考えると頭が痛くなりそうだ。少なくとも俺なら一個で充分。もうお腹いっぱいである。
「ていうか、それでこれだけポジティブに対応できんの、すげぇよ。人間できすぎだろ」
素直に本音を漏らせば、みゃーこが虚を突かれたように俺を見る。
「……優しいんだね」
ポツリとこぼされた声には、なぜか少しの哀愁が滲んでいた。
「い、いや、別に。本当のことだろ」
「まこちゃんは、優しいよ」
みゃーこの笑みは、いつものように明るいのに、それでいてどこか悲しげだった。
どう反応するのが正解か、わからなくなった。俺が固まっていると、
「じゃあ、そんなうちにご褒美、ちょうだい?」
愛嬌たっぷりの猫なで声でみゃーこが再び俺にすり寄る。それは多分、この空気をいつもの雰囲気に戻すためのからかいだったはずだ。だが、無防備だった俺はあとずさってしまった。
「うわっ!」
「まこちゃん!?」
かかとがソファにぶつかり、俺はそのまま体勢を崩す。気づいたら背中からソファになだれこんでいた。
目を開け、こくりと喉が上下した。
「……っ」
唇が触れてしまいそうなほどの距離に、みゃーこの顔がある。みゃーこはにんまりと口角をあげる。オレンジの髪がキラキラと反射して、俺の視界を覆う。反射的に目を閉じると、ルームフレグランスの甘酸っぱい香りが鼻をくすぐった。
「ねえ、まこちゃん」
みゃーこの声が全身をビリビリと駆け巡る。
「うちのヒミツ、教えてあげよっか?」
その声色は、やっぱりどこか切なかった。




