2-9.孤独でいたい
「片付け、手伝ってくれてありがとうなぁ」
ゴミ出しから帰ってきた俺に、裏庭から声がかかった。みく姉だ。彼女は缶チューハイを片手に、ベランダに座っている。普段から穏やかでふわふわしているみく姉が、いつもよりさらにふわふわして見えるのは、多分気のせいではないだろう。
「風邪ひくよ」
「まこちゃんが隣に来てくれたら、あったかいし、風邪も引かんのやけどなあ」
「酔ってる?」
「ふふ、酔ってないってぇ」
みく姉はそう言いつつ、ちょいちょいと俺を手招く。クソ。こんな誘い、断れるわけないだろ。誰かへの言い訳を並べ、俺は渋々庭を横切る。
このアパートの一階はベランダがなく、裏庭に地続きだ。そのため、部屋同士の間仕切りもない。代わりに、広々とした庭があって、そこにはみく姉が育てた植物がこれでもかと生えている。今はクリスマスローズやシクラメンが咲いている、とは引っ越した初日にみく姉から教えてもらったことだ。足元の芝生は冬の空気をいっぱいに蓄えていた。ひやりとした冷気がスリッパの裏から伝わってくる。
シャリシャリと氷のような音を鳴らす芝生を踏み分け、俺はみく姉の隣に腰をおろす。みく姉は体に巻き付けていたブランケットを自分の足と俺の足、両方にかかるように広げた。
「楽しかった?」
みく姉の問いにうなずくと、みく姉がホッと胸をなでおろした。
「よかった」
声に安堵の色が視える。みく姉はずっと俺のことを心配してくれていたんだろう。多分、俺が想像しているよりももっと、思っていてくれたのかもしれない。俺だって、声を聞けば心が視えるけど、言葉にしてもらわなければわからないから。
「ありがとう」
礼を述べれば、みく姉は女神のような笑みを浮かべる。缶チューハイに口をつけ、みく姉は空を仰いだ。白んだ吐息が夜空にのぼっていく。
「……まこちゃんのこと、お姉ちゃんは何歳になっても心配してるんやからね」
「はは、なにそれ」
「昔っから年齢のわりに大人びてるっていうかさ。空気読むんがうまくて、みんなのために自分犠牲にして。わざとふざけてるけど、ほんまは正義感が強くてさ」
突然のほめ殺しに驚いていると、みく姉がこちらに顔を向けた。口角はあがっているのに、目元があまり笑っていない。泣いているんじゃないかとギョッとした。
「このアパートが、まこちゃんの家やからね。これから先ずっと、ここがまこちゃんの家やから」
その言葉にはひとつの嘘も、汚れもない。純然な美しさが俺の心をノックする。
「……うん」
俺は必死に、空にまたたく星の中から唯一知っている冬の星座、オリオン座を探す。みく姉の顔は見れなかった。泣いているところを見せたら、また心配させてしまう。
「ほら、また強がってるやろ」
みく姉がからかうように俺の頬をつついた。みく姉も、俺みたいに声色が視えるのだろうか。文字や音に、色がついているのだろうか。親戚だから、ありえるのか。それとも単に敏いだけか。俺はみく姉の指先から逃れるように顔を背ける。
「……男は、強がるもんなんだよ」
孤独でいたい。そうすればこれ以上、傷つくこともない。誰かを失うこともない。
なのに、どうして求めてしまうのだろう。誰かのぬくもりにすがりたくなってしまうんだろう。
ダサ。俺は自分を内心で嘲笑う。そうでもしなきゃ、このままみく姉の隣にずっといたいと願ってしまうから。幸せになる資格なんかないのに、勘違いしてしまいそうになる。
ぬくもりを突き放すように俺は立ちあがった。
「……みく姉、風邪ひくから、部屋戻ろうぜ」
見れば、みく姉は寂しそうな顔をする。けれど、それはほんの一瞬で、彼女は瞬時に取り繕うような笑みを見せた。
「明日はええ天気になるで」
センチメンタルな感情を吹き飛ばす、確信めいたみく姉の突然の天気予報に、俺は思わずブハッと吹き出す。なんだそれ。
「じゃ、明日は布団でも干すかな」
「ああ、でも……急に降ってくるかもしれんなあ」
「どっちだよ」
俺がツッコむと、みく姉はクスクスと笑って真意をごまかした。それを合図に、みく姉は自室に体を引っこめる。互いに「おやすみ」と手を振りあった。庭へと続く大きな窓とカーテンが閉じられたのを見送って、俺はひとりきりの部屋へと踵を返す。
俺もすっかりヒミツを抱えているこのアパートの住人だった。




