リリカとウィルジアと釣り②
リリカは魚に負けるまいと、全身で抵抗していた。いつもながらにまとめている亜麻色の髪の下、うなじに汗を滲ませて、瑠璃色の瞳に結然とした色を宿しながら、湖面を見据えていた。
「うぐぐ……手強い……けど、負けないわ!!」
「リリカ、がんばれ!」
「負けるなリリカァ!」
町人たちの声援が飛んだ。ウィルジアはリリカに駆け寄って、釣り竿を握りしめるリリカの手のそばに自身の手を添えた。
「リリカ、僕も手伝うよ」
「ウィル、ありがとう」
変装しているために愛称でウィルジアを呼んだリリカにちょっと微笑みかけてから、ウィルジアも湖を見た。釣り糸が左右にぐいぐい引っ張られており、今にもちぎれそうである。むしろこんなに細い糸が、よくもまだちぎれていないなとそちらの方が驚きだ。一体リリカは何の素材で釣竿と釣り糸を作ったのだろうか。
水の下には餌にかかった魚の影が見えていた。大きい。全長三メートルはありそうな魚を、果たして釣り上げることができるのだろうか。怯むウィルジアとは対照的に、リリカは釣る気満々だった。
「せーので思いっきり引っ張るわよ!」
「わかった」
ウィルジアは覚悟を決めた。
「せーの!!」
ウィルジアはリリカの声かけに合わせ、万力で釣り竿を引っ張った。
魚の力は尋常ではなく、逆に腕が持っていかれそうなくらいだったが、リリカと共に力を合わせて釣り竿を引っ張った。
細い棒がミシミシと唸りを上げ、亀裂を入れながら、それでも魚の重みに耐え、作り手の意図に沿うように獲物を捕らえて離さない。綱引きのように引っ張ったり引っ張られたりを繰り返しつつ、しかしとうとう魚の鼻面が湖面から覗いたかと思ったら、リリカの力がいや増した。
ぐんっ、と竿が一際強く引っ張られ、ウィルジアの腕はそれについて行くだけで精一杯だった。
一瞬の出来事だった。
ぐわっと魚が引き上げられ、バシャーンと勢いよく水面から飛び出し、水飛沫を撒き散らしながら夏の太陽の光を浴びて空に舞い上がる。逆光に躍る魚は口から釣り糸を垂らしつつ地面に落下して来た。リリカの手が釣り竿からパッと離れる。
「はあっ!」
短い気合いの声と共に、リリカの両手が魚を捕まえた。逃げ出そうと全身ビチビチビチッ! とくねらせ
て抵抗する、三メートルの巨大魚をしっかりと抱え込んでいる。
「うおお! リリカが大物を釣り上げたぞぉ!」
「すげえや! これは湖の主に違いねえ!!」
ウィルジアは滝のようにだくだくの汗を全身から流しながら、しかし主を釣って小躍りしながら喜びに湧く人々に混じって歓喜の声を上げた。
「やったねリリカ、すごいや!」
「ウィルが手伝ってくれたおかげだわ」
リリカは額に粒のような汗を光らせつつ、ニコニコしながらそう言った。
「このお魚でお昼にしましょう」
用意周到なリリカは湖に調理道具一式を持ち込んでいた。
素早く魚を〆たリリカは、鮮やかな手つきで捌いていき、次々に料理を作った。トマトとチーズを合わせてオリーブオイルを垂らしカルパッチョにしたり、マリネにしたり、網まで持って来ていたらしく網焼きにしたりした。ソーセージやバゲットまでもを持参しており、釣りをしていた町人たちはリリカの料理に手を伸ばし次々に平らげた。
「ウィルも早く食べないとなくなっちゃうわ」
万霊祭の再来のような光景だった。ウィルジアも、予想外の体力勝負な釣りにお腹が減っていたため、町人に混じって料理を取って食べる。
「俺、酒を持って来てる」「いいな、ちょっとくれよ」「おう、もちろんだぜ」などという会話も交わされ、昼から飲みつつの昼食はワイワイと賑やかに過ぎていった。
「さて、午後もたくさん釣るわよ!」
ひとしきり食事を堪能したところで、リリカの声がかかる。ウィルジアはギョッとした。
「まだ釣るの? もう五十匹くらい釣れてるけど」
「まだまだ釣るわ! 荷車の大きさからして、もうあと五十匹は釣っても持って帰れるわよ」
湖中の魚を釣り上げるつもりか。しかしリリカを筆頭に街の人々もやる気満々のため、反対意見を言えなかったウィルジアは再び慌ただしい釣りを再開した。
「すっかり夕方になっちゃったわ」
リリカが夕暮れ時の茜色に染まる空を見上げつつ言った。それからウィルジアを見て、気遣わしげな顔をする。
「ウィル、長々付き合わせちゃったけど大丈夫かしら。そろそろ帰りましょう」
「うん……」
ウィルジアは大量のバケツに囲まれながらかろうじて頷いた。全てのバケツの中には魚が十匹ずつ入っている。空っぽのバケツは一つもない。
町人たちも満足げな顔をして片付けの準備を始めていた。
「いやぁ、リリカと釣りすると楽しいなぁ」
「やっぱり釣りは大漁に限るぜ」
「ボウズは辛えからな!」
「リリカはどんくらい持って帰るんだ?」
「私はバケツ一つでいいわ」
「リリカの手柄なんだから、もっと持っていけばいいだろ」
「そんなにたくさん、食べきれないから。残りはみんなで分け合って」
リリカはバケツを一つだけ掴むと荷車に乗せた。残りのバケツは十五個。約百六十匹の魚を釣り上げた計算になる。結局釣りの間中、座っていたのは昼食の時くらいで、あとはずっとバタバタしていた。
「じゃあみんな、またね!」
「おう、リリカ、また釣り行こうな!」
「ウィル君も達者でな!」
王都の門前で別れ、ウィルジアとリリカの二人は森の中へと入っていく。アウレウスが荷車を引くごろごろという音だけが周囲に響いていた。
「ウィルジア様、お疲れではありませんか?」
「まあ、疲れてないと言えば嘘になるけど、大丈夫だよ。僕の想像よりだいぶハードな釣りだったけど、いつもこんな感じなのかい?」
「釣りに行けばこんな感じですね」
「そっか……釣りって、大変なんだね」
「はい。命を使って命を釣り上げるので、こちらも相応の覚悟を持って挑んでいます」
「貴族の遊びの釣りと全然違うというのはわかったよ」
ウィルジアの中の常識がまたもや覆った瞬間だった。するとリリカが不安そうな表情になった。
「……お嫌でしたか? もっとのんびりとした釣りの方がよかったでしょうか」
「えっ、嫌ではないよ。そもそも変装していたから、僕が合わせなきゃいけないのはわかっていたし。お昼も美味しかったし。よくあんな大物を釣り上げたね」
「ウィルジア様が手伝ってくださったおかげです。でなければ、最後に振り絞る力が残りませんでした。街の人たちも喜んでいましたし、本当に感謝しています」
そう言って唇に弧を描きはにかむリリカの姿は、華奢で可憐で可愛くて、三メートルの魚をほとんど独力で釣り上げたとは思えない、ごく普通の女の子にしか見えなかった。相変わらずこのギャップに弱いウィルジアは、顔に熱が集まってくるのを感じつつ、目を泳がせた。
「……リリカが喜んでくれたのなら……また釣りに行こうかな」
「本当ですか?」
「うん。リリカが喜ぶことなら、何でもしたい」
この言葉にますます嬉しそうな顔を見せるリリカを見ていると、愛しさが込み上げてくる。
ひとまず次はもっといいところを見せられるよう、体を鍛えておこうとウィルジアは心に誓った。
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