イリーナ=ワルイナ
私達を残して、船は行ってしまった。
「ちょっと!こんな汚い所で使用人もいなくてどうやって生活しろと言うのよ!」
「死ねと言うことなのよ……思い通りになんか絶対ならないわよ!」
母が燃えるような目で遠ざかる船を睨みながら言った。
「だけど……どうやって?何を食べればいいの?」
「とりあえず中を見てみましょう」
修道院の中はものすごく埃っぽかった。母に言われ、大きな布を三角に折って、口を覆って後ろで結んだ。
手分けして1階の窓を全部開けたけど、どの部屋も埃が積もっていて使えそうになかった。
「とりあえず寝る場所を確保しましょう。まだ午前中だから、今から洗えばどうにかなるでしょう」
「お母様洗濯出来るの?」
「私の実家は貧しかったから、一通り何でも出来るわ」
そうだった。母は貧しい没落寸前の貴族だったけど、美しかったから父に見初められたんだった。
父とは不仲で、母の実家ももう無いけど、その辺の事情はよく知らない。
母に言われ、2部屋だけとりあえず掃除することにした。それぞれの部屋のマットレスを2人がかりで運び出し、見よう見まねで埃をはたく。
恐ろしいほどの埃に、本当に寝れるのか不安になる……
母が水魔法で洗い、言われるままに風魔法で少し水気を飛ばす。夏だし天気がいいからこのまま乾くだろうと母は言うけど……本当に乾くのだろうか?
部屋に戻り、カーテンを手分けして外す。
「これは明日でいいわね。先に掃除をしましょう。イリーナ、風魔法で埃を外へ出して」
寝室にする2部屋、トイレ、キッチン、廊下の埃を外へ出す。お風呂はスライムのおかげで綺麗でほっとした。
母が水魔法を使って埃を払った場所を磨いていく。魔法にはこんな使い方があったのかと感心してしまった。
寝室は嘘のように綺麗になった。とは言え、こんな粗末な所で生活するのかと思うとげんなりする……
それに、どう言うわけか先程から全く涼しくない。この私が汗をかくなんて……まさかと思うけど、空調魔石が無いのかしら?
「そんな便利なものがあるわけ無いでしょう。向こうは私達が死ぬことを願ってるんだから……!絶対生き延びてここから出るわよ!」
母の殺気にゾッとする……母は自分の意見等主張しないような大人しい人だった。父を嫌いながらもニコニコ従い、私の我儘も許してくれた。
そんな母が、こんなに強い人だったとは意外だった。正直、戻ったところで元の生活には戻れない。
もうここで死んでもいいんじゃないかとさえ思えるのに……何故そんなに生にこだわるのだろう?
戻って国外に逃げれば、また贅沢な暮らしが出来るかしら?母も私も美しいから、バカな男を手玉に取るのは簡単だ。
でも、あの女には正直負けたと思った……父がずっと執着していた未亡人。閉じ込めてやったら痩せてずいぶんみすぼらしくなったけど……母の倍は生きていると言うのにあの美貌……もっといたぶってやればよかったかしら?
バカな男どもがあの色気にやられそうになってたけど、何とか体で従わせた。あんな男どもに股を開く事になるなんて……本当に腹立たしいわ!
アンドレ様のような高貴な身分の方にこそ私はふさわしいと言うのに!
いつの間にか母はトイレを水魔法で掃除していた。次は台所に行くようだ。錆びだらけの調理器具にげんなりする。
石窯は使えそうだけど、支給された薪は冬の暖炉に使いたいらしい。コンロは魔石タイプのようで、母が喜んでいる。何がそんなに嬉しいんだろう?
「お母様、喉が乾きました」
「そこのコップを洗って水を飲みなさい。後で荷物を漁ってみましょう。茶葉があればいいのだけれど……」
嘘でしょう!?水ですって!?何の味も付いていない水を飲めと言うの……?待ったところでお茶が出てくるわけもなく、仕方無く言われた通りに水を飲もうとした……
「お母様、コップってどうやって洗うのかしら?」
「そこに置いてある海綿に洗剤をつけてごしごしして、水でよくすすぐのよ」
……口で教えてくれるなら、してくれてもいいのに……仕方無く言われた通りにやってみると、汚れが落ちて綺麗になった。
窓から射し込む日に透けて、水の粒がキラキラ輝いていた。はあ……これが全部ダイヤモンドだったらいいのに……
大人しく水を飲むと、意外なことに美味しかった。
ついでにこれも洗えと食器やコップを置いていかれた。母は水魔法で掃除している……仕方無いから言われた通りに洗う。
「まあイリーナ、貴女洗い物がとっても上手ね!はじめてとは思えないわ!ふふふ」
容姿以外で初めて誉められたような気がした。その後綺麗になったテーブルと椅子に腰かけて、少し休んでなさいと言われた。
母は調理器具を洗っているようだ……何だか1人だけ休むのも気まずくて、荷物を運びいれる事にした。
大きな箱2つに入っている荷物は、ほとんどが小麦粉だった。キッチンの横に箱が置いてあるので、とりあえず1袋運びいれると、母が驚いてパントリーに置くようにと指示してくれた。
まだあと12袋もある……何で私がこんなことをと思いながらも、食料を置いたままなのも気になって運んでしまった。
途中からは調理器具を洗い終わった母も一緒に、食料は運び終わった。次の箱は玄関前に置いてあり、シーツや毛布、質素な服に下着にタオルなどだった。
明らかに数が少ない……それぞれ今着ている服も合わせて2枚ずつしかなかった。
「こんな薄い毛布2枚に服なんて……冬に凍死すればいいと思ってるとしか思えないわね!明日建物の中を探してみましょう……何かあればいいのだけれど……」
そうなんだ……数が少ないと怒っていた自分の考えの浅さが恥ずかしくなった。冬にこれでは寒いのか……
他には石鹸に台所洗剤、歯ブラシに歯磨き粉、鶏の餌……それだけだった。え?化粧水は?シャンプーは?化粧品は?驚くほど何もなかった……嘘でしょう?
チラリと横を見ると、母は何も言わずに淡々と片付けていた。あとはよく分からない草がいくつか浅い箱に入れてあるだけだった。意味が分からない……
「あら、芋の苗があるわね……上手く育つといいけど……こっちはハーブかしら?茶葉はなかったけど、ハーブティーならそのうち飲めそうね」
さっきから母が別の生き物に見えて少し怖い……何でこの状況で冷静でいられるのかしら?化粧水すら無いことに何も言わないし……
「畑は明日でいいわね。とりあえずマットレスを戻しましょうか。うん、綺麗に乾いているわ。枕も乾いているわよ」
また2人がかりで薄いマットレスをベッドに戻し、母に教えて貰いながらシーツを敷いた。ベッドに毛布を置き、小さなクローゼットに服をかける。これで終わり……本当に何も無い……
先にお風呂に入っちゃいなさいと言われ、シャワーを浴びる。シャンプーも何も無い、ただ石鹸で洗うだけだが、汗をかいていたし、埃を被っていたのでさっぱりして気持ちがいい。
寝巻きなど無かったので、下着用のワンピースだけを着てキッチンへ行くと、スープが出来ていた。
干し肉と干し野菜のスープだそうだ。パンのような謎の薄い物体もあった。味はビックリするくらい美味しかった。
「それはお腹がすいてるからよ。塩と油しかないんじゃ、たいした味付けも出来ないわ。
食べ終わったら洗い物お願いね。私はお風呂に入るわ。スープは朝また食べるから、お鍋は触らないでね」
明日の朝も、同じメニューなのか……




