第十一話 愛を語る演説の効果
イルデブランドは知っていた。カンディールが南大陸にあったシャムス王国の王女で、滅びた国から脱出してきたことを、すでにこっそりとヴィーチェから聞いていた。ただ、あまりに機微な話であるため、それについてカンディールへ直接尋ねることはせず、カンディールが話さないかぎりは話題にしないと心に決めていた。
だが、今となっては、無視できない。カンディールにあとで謝ることにして、彼女の境遇を演説に利用する。
「アルバラフィ王国に故郷を滅ぼされた亡国の王女カンディール、彼女がニーロ海艦隊とともに戦っているからだ」
すでに、この議会の場にいる商人や貴族たちの、知るべき筋にはカンディールについて知られているだろう。だから言及せずにはいられない、隠していたなどと思われても困るし、カンディールへきちんとその功績を帰す必要がある。
だから、イルデブランドは——自分にとって都合のいいように、きっとカンディールが聞けば呆れるような話を作り上げる。
「復讐か、あるいはその怒りが身に宿っていることは間違いない。だが、彼女は冷静だった。自暴自棄になることもなく、僕を騙すこともなく、やるべきことをやれと言ってくれた。率直に言おう。僕を叱咤激励し、僕の力になり、僕たちのために戦う彼女を、僕は愛さずにはいられない。恋に落ちたんだ、彼女が凛々しく、そして美しいから」
クエンドーニ王国人は、恋愛話が大好きだ。物心ついた子どもから、伴侶に先立たれた老人まで、恋の話に花を咲かせる。そして、とても感情移入をする。
すでに身を乗り出して聞いている貴族の姿はちらほら見受けられた。それをあてにするわけではない、ただただの王子であるイルデブランドの話を聞こうとするきっかけになる。
聴衆の耳目が集まったことを感じたイルデブランドは、最後にこう訴える。
「それでも、この国の人々は戦いを前にして、のんびりと討論するのか。今、ニーロ海で戦いに臨もうとしている将兵たちやカンディールを、この国の人々は誰も助けてはくれないのか」
しんと静まり返ったのも束の間、思い思いの会話や怒号が飛び交いはじめた。
「なるほど、亡国の王女が旗頭か。悪くない宣伝材料だ」
「王子との関係もあれば、いい歌劇になりそうですな」
「ええい、この期に及んでまだそんな打算を! 素直に若者の恋路を応援すればよかろうものを!」
どれも、熱気を帯びた声だ。商人も貴族も関係なく、企みも思いも関係なく、口々に彼らは意見を述べる。
しかし、さすがに収まりがつかなくなってきたため、代弁者タンシーニ伯爵が木槌を打ち鳴らし、議決を取る。
「では、こうしよう。王子の恋を応援しようと思う者は、挙手を」
それは絶妙な表現だった。どっと笑いを引き起こし、気分屋たちの手を伸ばさせて、それに釣られて面白がる貴族たちが我先にと挙手する。利益関係にある商人たちも提携する貴族が賛成するならと、そして賛成多数と見るなり様子見の者たちもやれやれとばかりに手を上向ける。
もはや数えるまでもない。満場一致の賛成に、イルデブランドは謝意を述べる。
「感謝する! では、僕は戻る!」
壇上から、議会から去ろうと踵を返したイルデブランドへ、タンシーニ伯爵が待ったをかける。
「待ちたまえ、王子。指輪は用意しているのかね?」
「えっ……あっ」
恋に落ちたというのなら、先に用意すべきは指輪だ。婚約だろうと結婚だろうと、どのみち必要になる。だがイルデブランドはすっかり忘れていた、昨日のうちに誰かに指輪の入手を頼んでおけばよかったと後悔していると、国王が手招きをしていた。
素直にイルデブランドは父王のもとに向かう。すると、国王は自分の左手からシンプルな金の指輪を抜き、差し出した。
「持っていきなさい。くれぐれもなくさないように」
金の指輪を握りしめ、万雷の拍手と応援の声を背に、イルデブランドは議会から飛び出していった。
一刻も早く、カンディールのもとへ。そればかり考えて、走っていく。
観劇のあとのように歓喜と笑い声に満ちた議会で、ごく一部の冷静な商人たちはこんなことを話していた。
「やれやれ。アルバラフィ王国が勝つだろうに、皆よくやることだ」
「今のところ、な。しかし、イフィジェニアのオルフェオ曰く、亡国の王女は勝利の女神らしいぞ」
「どういうことだ?」
「シャムス王国の王族は、皆、炎魔法の使い手だった。アルバラフィ王国はその戴く宗教の教義によって魔法の使い手を悪魔だとして迫害し、一人残らず殺しているが……最後まで抵抗したのはシャムス王国だ。『炎の魔人の末裔』を自称していたシャムス王族は、これまでどれほどの敵を道連れにしたと思う? まったくもって、度し難いほど損害を受けたさ! 傭兵や武器を流したうちの商会も、アルバラフィ王国も!」
この場で、その言葉を咎める者はいない。大なり小なり、クエンドーニ王国の商人たちは南大陸の戦争によって儲けている。商人にとっては儲けることこそが道義だ、誰がどれほど死のうとも、金になるならかまわない。
だからこそ、儲けられる道こそが、正しい道なのだ。イルデブランドの演説から商人たちが導いた答えは「王子の望む戦いを手伝えば儲かる」だった。カンディールにしてもそうだ、そのシンボル的要素がどれほど金に繋がるか、ここにいたってやっと商人たちが価値を作り上げていく。
「王子の名を掲げて船乗りや傭兵を集めて、武器を供給して船を渡して……ははっ、我らが王子様は商人を喜ばせる才能がおありだ」
「まったくだ。王女が炎でもってアルバラフィ王国へ復讐する。おそらくは、命懸けで。どれほど被害が出るか。まったく。最新の乾ドックを持つ造船所に投資しておいてよかった、忙しくなるぞ」
気色ばむ商人たちの会話を聞いていた、アルバラフィ王国との戦いに懐疑的な貴族たちも、その心が揺らぐ。
「なるほど、その流れなら勝てそうか。なら……王子の愛の勝利に賭けるのも一興だな」
踊る議会を味方につけたイルデブランドの名は、これより先、英雄的人気を得ることとなっていくが——クエンドーニ王国における世界一の近代海軍成立の端緒としての面を強調され、亡国の王女カンディールに関する部分は脚色の演劇と見做されていく。
だが、それでもいいのだ。
イルデブランドは急ぐ。
カンディールへ、自分の気持ちを伝えるために。




