表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/22




 清春から告げられた言葉に、雛子はあからさまに落胆の声を漏らした。


「あ、そうなんだ………」


 そう零してから雛子は後悔する。これではまるで彼を責めているようではないか。清春の言葉に落胆したのは事実だが、それで彼を責め立てるつもりはなかった。

 何せ、話の内容は至極些細なことで、来週は予定があるので会えない、と清春に断られただけの話だった。これまでも毎週会っていた訳ではない。しかし、十一月の半ばから十二月始めである現在まで、お互いの予定が合い、頻繁に会うことができていた。その為に、雛子は無意識に来週も会えると考えており、思わず落胆の声が漏れてしまったのだ。


「あー……ごめんな?」

「え、ううん!用事があるなら仕方ないよね」


 今日は映画館で映画を観よう、と出掛けた帰り道だった。電車で三十分ほど移動し、駅に直結しているショッピングモールの映画館へ向かった。クリスマス前という事でモール内は随分混み合っていた。人混みではぐれないように、といういつもは使わない言い訳を口にして手を繋ぎ、映画の時間まではモール内の店を覗いて歩いた。食事もそちらで済ませ、映画は清春が譲ってくれて雛子の観たかった恋愛物を観ることになった。無理して自分に合わせてくれているのではないかと雛子は不安になったが、彼は恋愛物も結構好きだぞ、と笑ってさっさとチケットを買ってしまう。確かに自宅でDVDを観るときも、彼は不満を口にすることもなく雛子に付き合ってくれるので、少し心配になりつつも彼女は礼を言って映画を観た。


 映画はコミカルで、感動するというよりは清々しいハッピーエンドで、雛子としては十分に満足出来るものだった。その帰り道、送ってくれるという清春の好意に甘えて一緒に歩いている道中で、彼は来週は会えないと告げた。


「えっと、何するの?って聞いてもいい?」

「ああ、じいさんたちのとこに顔を出して、夜は友達と飯食いに行く約束なんだ」


 そう聞いて、雛子はますます先程の自身の態度を反省した。実家に帰り、友達と遊びに行くという楽しい外出なのに、それで謝らせてしまうような声を出してしまったのか。

 外灯に照らされる住宅街の中を、手を繋いでゆっくりと歩く。今朝の天気予報では、北の方で雪が降ると報道されていた。空気がピンと張り詰めるように冷たく、風の触れる顔が痛い。握った手すら冷たくなりそうで、それが雛子の焦燥を煽った。彼女はそれまでのことを弁解するつもりで、わざと明るい声を出す。


「そっか。楽しんできてね」


 背の高い清春を見上げて雛子はにっこりと笑う。今更遅いかもしれないが、快く見送れる『彼女』でありたかった。

 そんな雛子を見下ろして、清春はじっと見つめる。大きめのマフラーに彼の首元はぐるぐる巻きにされていて、口元まで隠れていた。あまりその表情を伺えなくて、雛子は少しだけ不安になる。


「夜、雛子も来るか?」

「え?」

「友達っていうか、友達カップルで一個下だけど女の子もいるし。気を使ってしんどいならもちろん断ってくれていいんだけど」


 思いもよらない清春の提案に、雛子は目を丸くする。一瞬彼の言葉を咀嚼し損ねて言葉に詰まり、それからすぐに大きく頷いた。


「い、行きたい!いいの?」

「いいよ、気を使うような相手じゃないし、雛子が良いなら伝えておくな」

「ありがとう!嬉しい」


 思わず、というように素直に雛子は破顔した。引っ込み思案なきらいのある彼女は、きっと気も使えば緊張もするだろう。それでも、清春の友人に会わせてもらえるのだと、恋人として認めてもらえているような気がして雛子は嬉しかった。もっとも、彼にはそこまで深い意図などないのだろうが。

 彼女を見下ろす清春も笑みを深める。すると、彼は突然ぴたりと足を止めた。雛子もつられてつんのめるようにして立ち止まる。不思議そうに彼女が清春を見上げれば、彼の顔がゆっくりと近づいて来た。


「な、何するの」


 雛子は反射的に、繋いでいない方の手で彼の口元を抑える。すぐに外して問いかければ、清春はあっさりと答えた。


「キスしたいなって思って」

「そ、外だよ、ここ」

「外だとだめなのか?」

「…………だめだよ」


 いかにも素朴な疑問、というように問いかけられ、雛子は少しばかり許してしまいそうになる。しかし、ここでそれを許して、もしも誰かに見られてしまったら、と思うと気が気ではない。視界に入る範囲での人気はないが、住宅街ではどこで誰が見ているか分からない。たまたまカーテンを開けたところでカップルのキスシーンなど見せてしまえば、申し訳無さと恥ずかしさで居た堪れない、と雛子は思った。


「じゃあ、早く帰ろうぜ」


 そう言って、まるで何事もなかったかのように笑い、清春が手を引く。雛子は慌てて付いて行った。しかし、じゃあ、ということは家に着けばキスをするのだろうか、と考えると、外の気温に反比例して雛子の体温が不自然に上昇する。

 緊張と期待が半分ずつで、家に辿り着くまで、彼女はいつも以上に口ごもってしまった。









 緊張しながらも雛子は次の日曜日を迎えた。十七時半になると待ち合わせをしていた清春に連れられて、以前彼と結婚祝いを買いに行った駅で降車し、今回は百貨店に向かわずに、まずは地上へ出る。

 賑やかな繁華街を抜けて十分ほど歩き、少し細い路地へ入るとAの形をした黒板にチョークで『Welcome』と書かれた看板のあるお店があった。グラスやケーキのイラストも描かれてあり、その下にはおすすめメニューが記されていた。


 店内はそれほど広くはないが、ゆったりとした雰囲気があった。奥行きのある作りで、壁に沿ってソファが設置されてあり、その向かいにテーブルと椅子が置かれている。観葉植物が店内を彩り、シックでモダンな雰囲気だった。

 カウンター席もあり、その向かいで料理を作っている様子が見られる。突き当りの壁にはテレビが掛かっていて、洋画が流されていた。

 時間が早いからか、まだ女性の二人組が食事をしているだけで、店内は空いていた。雛子は清春に席へ案内される。壁際の四人席に案内されたが、清春はそのまま席に付かなかった。


「実はここ、高校のときのバイト先なんだ。挨拶だけしてくるから」

「あ、いってらっしゃい」


 驚きながらも、雛子はなんとか見送りの言葉を口にする。雛子が座っている席はカウンターの前にあり、椅子に腰掛けていると厨房に背中を向ける格好になった。しばらくじっと座っていたが、明るい清春の声が聞こえるとついつい気になってしまい、悩みつつも後ろを振り返った。

 清春はカウンター席に肘をついて、壮年の男性と男性よりも少し若そうな女性と話をしている。振り返った雛子と、男性の目が合った。雛子は慌ててしまい、反射的に目を逸らして目が合わなかったふりをしそうになったが、何とか思いとどまり、軽く会釈をする。


「こんばんは。ゆっくりなさって下さいね」


 男性が雛子にそう声を掛けると、女性も雛子に気付いてにっこりと微笑んだ。雛子が何かを応える前に、清春の方が男性に向かって声を掛けた。


「するする。だから店長、サービスしてくれな」

「もちろん。おまえにはしないけどな」

「何で!」


 ひどいなあ、と清春は楽しそうに笑う。どうやらコックらしき白い服を着た男性は、店長であるらしい。仲の良さそうな様子に、雛子は楽しいバイト先だったんだろうな、と想像する。清春は高校二年までは中学の頃のように小柄なままだったらしい。中学の頃の彼がここにいるのを想像して、雛子は自然と笑みを浮かべた。


 そこで、店の扉に掛けられているベルがなり、来店を告げる。音につられて雛子がそちらへ振り向けば、同年代くらいの男女がこちらへ向かって歩いてきた。


「仁見先輩、すみません!お待たせしちゃいました?」


 軽く小首を傾げて、女性のほうが清春へ声を掛けた。黒髪を編みこんでバレッタで纏めた、明るい笑顔を浮かべる溌剌とした女性だった。彼女が席に着く雛子に気付き、雛子へも笑顔を向ける。


「初めまして、仁見先輩の彼女さん……ですよね?私は夏目千穂です。こっちは夏目聖司で、仁見先輩の友達です」

「初めまして、夏目です」


 千穂と名乗った彼女の隣に寄り添っていた男性が、紹介されて軽く会釈をする。顔立ちも髪型も、身につけているものも、いずれも清潔に整っている印象を人に与える。雛子は慌てて立ち上がって頭を下げた。


「あ、あの、住吉雛子と言います!今日はすみません、急にお邪魔させて頂いて……」

「いいえ、全然!お会いできて嬉しいです」

「そうだぞ、雛子。この二人に遠慮はいらない」

「おまえが言うなよ」


 呆れたように溜息を吐く聖司を、実際にいらないでしょ、と千穂が窘める。それに聖司は少しだけ眉尻を下げて頷いた。

 雛子は事前に清春から、二人がこの間一緒に買いに行った結婚祝いの贈り先だと聞いていた。結婚式はまだ先らしく、今は籍だけ入れている状態らしい。そう聞いていた通り、二人のやり取りには慣れ親しんだ様子があり、向け合う笑顔も当たり前で自然だと、雛子の目に映った。


「仁見先輩、とりあえずご飯にしましょう。お腹空きました」


 千穂のその提案によって、ようやく四人は用意された席へと腰を落ち着けた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ