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「ひなぁ、これは?」

「え、やだ。それどう見ても怖いやつでしょ」


 レンタルショップの洋画コーナーで清春が雛子に差し出したのは、一枚のDVDだった。全体的に青のジャケットで、氷の上で防寒着を着た人間らしきものが背中を向けて立っている。顔だけが少しこちらを振り返っているが、暗すぎてその表情は伺えない。

 雛子は一応、受け取ったDVDのあらすじに目を通してみた。十万年前に飛行船に乗って地球にやってきたエイリアンが、長い眠りから覚め、地球人を襲い始める、という内容のようだった。SFとパニックホラーを足して二で割った感じだろうか、と雛子は当たりをつける。SFやアクションくらいなら彼女も好むところではあるのだが、どうにもホラー系というか、恐怖がひたひたと迫ってくるような感じは得意ではない。


「そんな怖くないって」

「ほんとに?」

「ほんとほんと。ひどすぎて伝説になったB級映画って特集されてたし」

「………………それは面白いの?」


 どう聞いても面白そうな響きではないのだが。そう思いながらも雛子は受け取ったそれを店内用のカゴの中に入れた。


「雛子は?」

「んー、この間話題になってたのが旧作になってたから、それにする」


 雛子が選んだのは邦画だった。元々は漫画が原作らしい。都会から地元に戻った女性が、そこで出会った年上の男性に突然結婚を申し込まれ、男性の情熱で頑なな女性の心を解きほぐしていく物語のようだった。

 雛子は映画も小説も、恋愛物が好きだった。ミステリやSFも好むが、それらもその中にある恋愛に心惹かれている部分が多分にある。そんな彼女に対し、歯に衣着せぬ物言いをする妹は『恋愛脳』と評していた。


「面白いのか?」

「宣伝が良さそうだったの」

「ふうん。まあ、観てみれば分かるな」


 一つ頷き、清春は雛子の手から店内用のカゴを取り上げる。DVDを吟味している人たちに当たらないように、ふらふらとした足取りでレジへと向かっていった。どうやら会計を済ませてくれるらしい。

 いきなり手持ち無沙汰になった雛子は、少し思案したものの、特に急ぐでもなく彼の後に付いて行った。


 初めて二人で食事をした日、清春の思いもかけない『付き合おうか』という提案により、二人は恋人同士となり、所謂お付き合いをしていた。

 平日はアプリでメッセージを送り合い、日曜日か、お互いの都合が付けば土曜の夜からはほとんど一緒に過ごしている。出かけることもあれば、今晩のように雛子の家でDVDを見ることもあった。雛子が清春の一人暮らしの部屋に行ったこともあるが、基本はDVDデッキのある雛子の家で過ごしている。


 レジを済ませた清春に合流すれば、彼は雛子を促してレンタルショップの外へ出た。繋ぐ?と差し出された手に、雛子は恥じらいから少し躊躇って、それから彼の手に自分の手のひらを重ねる。

 もうすぐ十一月を迎える。今年は秋が珍しく長い。冬などまだ先だと思って彼女は悠長に過ごしているが、夜風は随分と冷え込むようになっていた。薄手のニットにマフラーを巻いて膝丈のスカートを履いているが、これだけでは少し肌寒い。清春も、ジーンズにTシャツを着て、ジャケットを羽織っただけの格好では寒いのか、軽く肩を竦めている。冷たい身体の中で、彼と繋いだ手だけが温かく、それがくすぐったい、と雛子は思った。


「お金、あとで半分出すから」

「いいよ。それなら代わりにあれ買ってくれ」

「あれ?コンビニのチキン?」

「そうそれ!」


 清春はフライドチキンや唐揚げなど、とにかく揚げた鶏肉が好きだった。その中でもコンビニで揚げて販売されているそれが特に好みらしく、何かと食べたがる。


「さっき夕飯食べたのに」

「いやあ、あれはおやつだろう。問題ない」

「太るよ」


 無駄な贅肉など一切身につけていないように見える彼に向けるには、冗談にしかならない言葉だった。くすくすと軽く笑いながら口にした雛子に、清春は大袈裟に嘆くような声を上げる。

 交差点で赤信号が青に変わるのを待つ、暇つぶしの為の会話だった。


「さては僕が太ったらあっさり捨てる気だな。雛子は僕の見た目だけが目当てなんだ」


 冗談でしかない彼の言葉が、ふと雛子の心に引っかかった。歩行者用信号は赤のままで、歩道の向こうには同じように信号を待っている人の姿が見える。暗い中、街頭に照らされた歩道の向こう側では、三歳くらいの小さな子どもと母親らしき大人が手を繋いでいた。


「そんな訳ないでしょ」


 雛子はそう口にして笑った。彼の言葉を否定すると、ちょうど信号が赤から青へと変わる。横断歩道の向こう側からは、母親が子どものペースに合わせて歩いていた。微笑ましいなあ、と雛子が眺めていると、繋いだ手に少し力が篭もる。清春の顔を見上げれば、彼も目を細めてその子どもを見ている。清春は案外子どもが好きなようで、時折今のように柔らかい表情で眺めていることがあった。

 雛子の視線に気付いた清春が、先程までの表情から一変、悪戯っぽい顔で雛子に笑い掛ける。


「どうだかなあ。僕は見た目だけはいいからな」


 先程の否定に対する言葉のようだった。確かに清春はおおよそ欠点の見当たらないような、整った面立ちをしている。彼には当然その自覚があり、確かにそれも彼の魅力の一つだった。けれど、それが損なわれたところで、雛子の気持ちが今更変わることはないだろう。そもそも彼女が始めに好きになったのは、少女のような見た目をしていた頃の彼だ。だからこそ、


 きっと捨てられるとしたら私の方だ。


 彼女はずっとそう思っている。清春と付き合い始めてからずっと燻り続けている不安を、雛子は口にしたことはなかった。









 雛子には四つ年下の妹がいる。現在大学三回生であり、美人でしっかりしていて、雛子の自慢の妹だった。自分のことをぼんやりした顔だと思っている雛子は、常々妹のようにキリッとした顔に生まれたかったと、鏡を覗き込んでは唸っている。

 雛子のマンションは実家からそう離れてはいない。その為、突然妹が彼女の部屋まで遊びにくることもそう珍しくはなかった。


「お姉ちゃんはさ、隙があり過ぎるんだよ」


 家主よりも堂々と寛ぐ妹、住吉咲良(すみよしさくら)はだらしない態度に反して鋭い口調でそう指摘した。コーヒーの入った二人分のマグカップを机に置きながら、雛子は彼女の対面に座る。

 雛子は人並みにお洒落が好きだった。それに対して、咲良はあまりそういったことに興味がないようで、いつも動きやすさを重視した格好をしている。今日も咲良はジーンズにパーカーというラフな格好をしていた。


「隙って?」

「なんかちょろそうって言うか、おどおどしてるし。ちょっと強気に出れば言うこと聞きそう」


 酷い言い草である。しかし、雛子は反論しなかった。自身がおどおどしている自覚はあり、また彼女自身直したいと思っている部分でもある。加えて言えば、妹からこうした苦言を呈されるのはいつものことであり、二十一年の付き合いの中で受け流すことを覚えていた。


「男出来たらすぐ分かるし」

「……………それは咲良が鋭すぎるんだと思うけど」


 用事がある、と言って平日の夜に急に雛子の家を訪れた咲良は、玄関に足を踏み入れた瞬間に言ったのだ。『お姉ちゃん、彼氏出来た?』と。何故急に分かったのだと、雛子は慌てふためいて玄関回りと、そこから見えるキッチンやバスルームの扉に目を向けてみたが、何も清春の存在を示すものは見られない。咲良に理由を問えば『匂いが違う』と予想外の答えが返ってきた。雛子の匂いだけがしていた部屋から、男の匂いがしているらしい。


 思い返してみれば、咲良は昔から鼻が異常に良かった。特に異性関係では抜群で、咲良の異性と付き合う第一条件は『好みの匂いであるか否か』らしい。そんな彼女だからこそ、気づけてしまったのかもしれない。


「いい人なの?騙されてない?」

「ないよ………たぶん」

「言い切れないんじゃん」


 ほれみたことか、と咲良が勢いづく。どちらかと言うと内向的な雛子に対し、咲良ははっきりとしていて、物怖じしない性格をしていた。それが雛子にとって羨ましく思う部分であり、こうして詰め寄られたときには厄介だと感じさせる部分でもあった。


「騙されてはないと思うけど。そういう人じゃないし」


 雛子の知る清春は、嫌なことがあれば、それをはっきりと言う人だった。場合によってはわざと婉曲な表現を選ぶこともあるかもしれないが、自分の意見はしっかりと相手にぶつける。誰かのことを騙したりするような人ではない、と思っている。

 ただ、雛子が彼を信じている素地は、中学生時代に作られたものだ。だからこそ、信じる理由を伝えにくいものがあった。それを伝えたところで、咲良には『人は変わるんだよ』と呆れられるに違いない。


「ふうん。まあ、気を付けてよね」


 咲良は雛子が警戒していたよりかは、幾分かあっさりと引いた。それから、もたれかかっている雛子のベッドに頭を乗せて、こんなことを口にする。


「お姉ちゃんが好きで、お姉ちゃんのことを好きな人なら、それでいいんだけどさ」


 それには特別な返答をせず、雛子はコーヒーに口をつけることで誤魔化した。

 雛子は仁見清春が好きだった。だから彼と付き合えることになり、これ以上なく舞い上がっている。しかしその一方で、この恋に浸りきれないでいるのもまた、事実だった。

 清春は雛子の好意に応えてくれたが、雛子に恋をしている訳ではなないだろう。二人は再会したばかりで、とても彼に好きになってもらえる暇があったとは、雛子には思えない。だからこそ、彼女はたまたま恋人がいなかったから、などその程度の理由で清春と付き合うことが出来ているのだろう、と考えている。その方が自惚れずに済むし、もしそれを突きつけられたときも傷は浅く済むだろう。

 何より雛子は、きっかけが何であれ、今清春と付き合えることが幸福でならなかった。彼は優しい。優しい彼と恋人として過ごせる時間が、雛子は愛しかった。


「あ、用事忘れるところだった」


 熱いマグカップを両手で持ち、ふうふう、と息を吹きかけて冷ましていた妹が、突然ローテーブルの上にマグカップを戻して自身の鞄を漁り始める。鞄から出てきたのは、一枚の葉書だった。


「はい、お姉ちゃんに」

「何これ?」

「同窓会の案内だって」


 咲良の言葉通り、その葉書は同窓会の開催日時や出欠の連絡を求める旨が記載されていた。いつのものだろう、と上から文字を目で追っていく。

 その葉書は、奇しくも雛子と清春が卒業した中学校の同窓会の案内だった。





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