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 中学生の頃、雛子には憧れている男子生徒がいた。彼は女子と比べても小柄な方で、おまけに痩せぎすで華奢だった。顔立ちはテレビに出ているようなアイドルの女の子よりも余程愛くるしく整っており、男子も女子も関係なく思わず目を引いてしまうような男の子だった。

 しかし、性格はその容姿に見合うようなものではなく、少しだけ冷めていて、少しだけ斜に構えたようで、思ったことを何でも相手にぶつけるような人だった。その為彼に反感を抱く人も少なくはなかった。おまけに突然雨の日に外へ飛び出したり、晴れたグラウンドで大の字になって寝転んだりするような奇行が目立ち、どこか腫れ物に接するような扱いを受けていたのだ。


 大っぴらに口にすることはなかったが、今以上に引っ込み思案な性格をしていた雛子は、何でも忌憚なく言葉を発する清春に淡い憧れを抱いていた。彼のようになりたい、と思っていた。そんな雛子の好意的な視線に気付いていたのか、時々清春の方から話しかけることがあった。どこか排他的であった清春と、何でもない世間話をできることが、当時の雛子にとって喜びだった。


 恋を、していた。

 そう気付いたのは、中学を卒業して彼と会えることもなくなってからだった。中学を卒業して久しく経ってからも、雛子の中で清春の存在は綺麗な思い出としてラッピングをかけて胸の奥にしまわれていた。初恋は長く残る。その通説通り、雛子が新しい恋をする機会はなかなか訪れず、大学生の頃に一度だけ恋人が出来たこともあったが、長くは続かなかった。


 その度に思い出していたのだ。彼はどんな大人になっているだろうか。女の子みたいだったけれど、きっと今では男性らしくなっているだろう。そう夢を見るような心地で想像したままの姿の青年が、エアコン技師として彼女の家を訪れたのだ。


「おお、本当に住吉か?住吉だな。だって、僕は住吉さんの依頼でここに来たんだしな」


 彫刻のように整っていた顔が、くしゃりと人懐っこく笑う。雛子の心臓が大きく、且つ乱暴に一つ跳ねた。笑った顔は、中学生の頃と変わらないかもしれない、と思った。


「え、ええ?ほんとに仁見くん?うそぉ………」

「嘘じゃないぞ。懐かしいなあ。しかし、よく僕だと分かったな。どうも昔と随分見た目が変わったみたいで、その頃の知り合いに僕だと気づかれることってほとんどないんだけどな」


 確かに、清春の容姿は当時と大きく変わっていた。女の子のようだった面立ちは、今や見る影もない。どこからどう見ても、立派な青年だった。

 けれど雛子が、それでも彼を見逃すはずがなかった。清春の存在はずっと彼女の記憶の中に息づき、何度も繰り返し彼の大人になった姿を想像した。その想像、そのままの姿で現れたのだから。


「住吉はあまり変わらないな。名前を呼ばれたらすぐ分かったぞ」


 楽しそうに、清春はそう語る。そこで雛子は不意に今の自分の格好を思い出した。部屋でちょっとエアコンを直してもらうだけだからと、ラフなワンピースを着ていた。見っともなくはないかと、途端に不安になる。そういえば、焦げ茶色に染めた髪も、そろそろ黒い部分が伸び始めているかもしれない。見下ろす彼にはそれすら見られてしまっているのではないかと、気が気ではなかった。


 そういえば、と更に思考は迷走する。部屋の片付け、掃除は行き渡っているだろうか。反対する両親に自立したいのだと訴え、就職と同時に住み始めた1Kの部屋の間取りが脳裏に浮かぶ。玄関から向かって左手にキッチンがあるが水滴は残っていないだろうか。廊下に埃はないか、引き出しはきちんと閉めたか、そう言えば机の上に本を置いたままにしている。そんな些細なことでさえ、彼の目にどう映るのだろうかと考えてしまう。


 まさか不意打ちで初恋の人に自室を見られるとは、そう思うと雛子はこの再会を喜びたいのにどうにも素直に受け止められなかった。

 そんな雛子の葛藤など、当然清春は知る由もない。じゃあ早速見てみるな、と告げた彼は雛子に家へ上がる許可を求め、早速エアコンの元へ向かっていった。清春は持参した三段の脚立に乗ると慣れた様子でエアコンの調子を見ている。この仕事を始めてそれなりに月日が経っているのかもしれない、と雛子は思った。


「どうかな?」

「んー、やっぱり吹き出し口のとこだけ交換することになりそうだな」


 詳しい説明をしてくれたが、エアコンの知識など皆無に等しい雛子にはよく分からなかった。要するに蓋を閉じる部分が劣化してしまっているらしい。分からないなりに適当に彼女が返事をすれば、清春は換えの吹き出し口をすでに持ってきてくれていたようで、一度車にそれを取りにいき、すぐに部屋に戻ってきた。

 作業自体は、一時間も掛からず終了した。雛子がこの部屋に引っ越す以前から使用されていた少々古く黄ばんだエアコンの、吹き出し口だけが汚れ一つない真っ白なものに変わる。そのちぐはぐとした色合いが、見ていて少し滑稽だった。


「うん、ちょっとそこだけ余りにも違和感あるな」

「まあ、あの、閉まるようになってよかったよ。ありがとう」

「そっか、そっか。よかった。どういたしまして」


 楽しそうに目を細め、大きく口を開けて笑うと、清春はテキパキと道具を片付け、脚立を畳む。それまで、自身の部屋に彼がいるなんて不思議だなあ、と少々呆然と作業を眺めていた雛子は、途端に焦りの感情に囚われた。

 作業が終わった。彼は今すぐにでも帰ってしまうだろう。せっかくもう一度会えたのに、という想いが雛子の中にはあった。同時に、十年も前の初恋を引きずっているなんて気持ち悪いのではないか、という不安がある。そうした自身へ向ける感情が、雛子の行動に躊躇いを与えていた。


「じゃあ、僕はこれで失礼するな。久しぶりに会えてよかったわ」


 くしゃりと、清春が笑みを深める。中学の頃と変わらない笑顔が、嬉しいと雛子は思った。そして思い出す。雛子は、彼の笑った顔がとても好きだった。


「あ、の!」


 反射的に飛び出した声は、今更取り消せるはずもない。思ったより大きく出てしまった声に、雛子自身焦りながらも言葉を探す。

 清春は確かに彼女の初恋の相手だった。その恋が今も続いているかと言うと、否定の言葉が浮かぶくらいには時間が経ちすぎていた。けれど、雛子の心の中でいつまでも色褪せずに残り続けていたのもまた、事実だった。何より彼女は今の感情として、このまま清春と縁が切れることを許容出来そうもなかった。


「あの、その、お、お礼!エアコンを直してもらったお礼を、したいので………」


 元々雛子は口下手な方である。加えてどちらかと言うと上がり症で、教室の隅でクラスに埋没してしまうようなタイプの人間だった。焦燥は彼女の口下手さに拍車を掛ける。伝えたいことは確かにあるのに、舌がもつれて上手く言葉にできない。

 そんな雛子の緊張をほぐしたのは、吹き出して笑い声を上げた清春だった。


「お礼って、僕は仕事で来ただけで、ちゃんと会社から給料だって出るんだぞ」

「そ、それは分かってるけど、なんていうかその………私の気持ち的な」

「気持ちか、そうか。じゃあ有り難く受け取ろうかな」


 そう言って清春は、作業着のズボンのポケットに突っ込まれていたスマートフォンを取り出すと、雛子の望む言葉を口にした。


「せっかく久しぶりに会えたんだし、今度一緒に飯でも行こう。連絡先を聞いてもいいか?」


 喜びで胸が満たされ、雛子は咄嗟に言葉を紡げなかったものの、大きく頷いて応えた。首が取れるぞ、と清春はからかうように笑う。


「本当はこういうのダメなんだぞ。だから秘密な」

「うん!もちろん」


 聞けば何度か顧客に連絡先を聞かれたこともあったようだ。彼のこの容姿なら、一目で恋に落ちる人も少なくはないだろう。これまではそれを、例外なく断ってきたらしい。

 その例外になれたことが、雛子はたまらなく嬉しかった。元クラスメートのよしみという、ただそれだけの理由だとしても。


「じゃあ、また連絡するな」


 そう言って、清春は連絡先を交換し、早々に雛子の家を出て行った。玄関先で見送って、雛子はその場にへたり込みそうになる。

 恋は終わったはずだった。なかなか消えてくれないものの『初恋』と名前を付けることで、美しい思い出として昇華しているつもりだった。けれど、彼を目の前にしたときの、この胸の高鳴りはなんだろう。


「とりあえず、美容院に行こう」


 雛子は隠すように自分の頭頂部を手のひらで押さえ、明日の予定を決めた。





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